2016年12月01日

No.1752 2016年11月度 実践目標の進捗報告

今年もいよいよ残り1カ月。皆さんの実践目標の進み具合はいかかでしょうか?
私にとって11月は飛躍の月になった。
というのも正月に転倒して以来、ドクターストップがかかって
登山やアスレチッククラブでのトレーニングから遠のいていたが、
先月半ばから久しぶりに六甲登山にチャレンジし、
徐々に距離を伸ばして先日はついに山頂まで登ることができた。

10年ひと昔というが、六甲登山1,000回達成から10年。
当時と比べると近頃は驚くほど体力の衰えを実感する。
やはり歳には勝てないのだろうか。
少しばかり弱気になっている自分がいた。

しかし、アスレチックトレーニングに代わって
新たなヘルスケアの目標として設定した階段昇り。
これが功を奏した。
最初は住まいのある25階建てマンションの階段を昇ることから始め
半年ほど続けると、梅田周辺のビルや駅の階段を含めて
1日平均100階がラクに昇れるようになった。
最近では150階越えも楽勝だ。

時には「止める」決断も勇気だ。
生きるためには手放すことが必要な時がある。
しかし、「できない」ことの言い訳はしたくない。
こちらはだめでも、他にできる方法はないかと考える。
諦めなければ「策」が生まれる。
今回の私は「階段昇り」がそうだった。
アスレチックがだめでも足はまだまだ使える。これで行こう、と。

やり続けると見えてくるものがある。
こつこつ積み重ねた努力は、結果に通ずる。
体力づくりだけではない。ビジネスも人生も同じだ。

久しぶりに挑んだ六甲山は体も軽く、とにかく爽快だった。
どんなに贅沢をしても、この達成感には及ばない。
この分なら日本百名山、いや80歳でのキリマンジャロ再登頂も夢ではなさそうだ。

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☆では、私の11月度実践報告を

・減量、減塩、断酒
・万歩計441/500万歩
・ヘルスケア、フロア階(3m換算)29,800/20,000階
・登山16/20回

・読書88/30冊
・英会話62/50回
・写経4,890/4,500枚(累計)

・大阪木村塾受講生 1,220/1,800名

・益田市活性化への
11月「第2回マジッククラブスタート」
「デザイン思考講座」

投稿者 Katsuo : 01:26

2016年11月15日

No.1752 木村塾やってみよう会11月度例会@

11月8日、大阪市北区の手品家梅田店で第97回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回の「我が人生を語る」はフリーライター、池永美佐子さん。
我が著書『逆境に勝る師なし』や『BS経営のススメ』の執筆の際にお手伝いいただいた。
木村塾にもKKFC時代から参加され、会場には懐かしい顔ぶれが集まった。

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世界遺産の下鴨神社を遊び場として成長した池永さん。
子ども時代、おばあちゃん子の彼女はお墓参りのパートナーを務めた。
お墓とは恐怖の対象ではなく、命を考える場所だったのかもしれない。
また、母親の「女性も技術があれば社会に出て活躍できる。自立できる」という口癖は
生涯を貫く池永さんの基盤となった。
洋裁が好きでデザイナーを志すものの、時代背景もありそれを断念した母親。
紳士服店に勤める父親の職場の仕事を内職でこなすような女性だった。
ちなみに池永さんは2人姉妹の妹で、姉は医者になっている。

大人しく真面目で運動が苦手な少女時代。唯一の成功体験が、小学校の壁新聞。
書くことの楽しさに目覚めた。中学では美術部、高校では新聞部、
マスコミ関係の仕事に付きたくて関大の社会学部に進んだ。

時代はバブル真っ只中。卒業後、スポーツ用品の産業新聞に勤め記者になった。
華やかな記者会見やさまざまな人と接する日々を過ごし、
「名刺一枚でどこへでも行ける面白さ」も満喫するも、失恋がきっかけで転職を決意する。
次は広告制作会社で広告の仕事に。
海外旅行に行ったこともないのに、好きな人を追いかけて飛行機に飛び乗り
NYまで行ったのもこの頃だ。
「やったらできる」と機内で喜びに浸った。
しかし、またもや失恋で転職。「終わりは次の始まり。環境を変えて新規まき直し」と笑う。

やっと恋が実って1985年結婚を機にフリーランスになる。
ご主人は同じ歳でPRの仕事をしている男性。奇しくも私と同じ益田の出身だった。
この「益田」が、後に池永さんと私を結びつけることになるのだが。
翌々年には長男、続いて長女が誕生した。

幸せに見えた彼女の人生を、夫の病気が影を落とす。
1989年に発病、100万人に一人という病気(腹膜偽粘液腺腫)だった。
楽天家のご主人は、病気のことも軽く考えて過ごし普通の生活を送るものの、
1995年から2年間に3回もの手術を経験することとなる。
ご主人がベッドで子供達に綴った物語がある。
『てっちゃん、てつこ、てつぞうからの贈り物』、
そして益田の情景が描かれる『自転車に乗った小学生父さん』。
クリスマスに子供達に贈るため、著者名は「池 讃太(サンタ)」。
父から子供への愛情が溢れる贈り物だ。
のちに池永さんは物語に共感してくれた小学生の絵を入れて素敵な絵本にした。

最後の手術の時、池永さんは手術室へ呼ばれた。
白衣を着て恐る恐る入ると横たわるご主人がいた。主治医から病巣が思いの外広がり、
完全に除去できない旨を伝えられ、それを受け入れるように言われる。
手術室を出てご主人のお母さんと手を取り合って泣いた。その日から「姑は戦友になった」。
さらに、病気とお金がないという二つの現実も彼女を待ち受けていた。
「病気とお金。どちらか一つなら人は耐えられる。二つ同時は本当にしんどい」。
当時を思い出して、そう語る。
こうして絶食の中、タバコを燻らせ、夫は他界した。
葬儀の日には200名を超える方が別れに集ってくれた。
「一人ではない、こんなに沢山の人に支えられていた」と気づいた瞬間でもあった。

一方、6歳と9歳の子供を抱えた池永さんだったが、遺族年金は下りなかった。
理由は病気の発症と前後する形で起業していたご主人。
国民年金の一部未払いにより受給資格に届かなかったこと。
「夫はお金は遺してくれなかったけど、子供と人と仕事を遺してくれた」と回顧する。
逆境が池永さんの眠っている潜在能力をも引き出した。

「心優しく、粘り強いシングルマザーに」。決意とともに歩む日々が始まった。
フリーライターとしてのテーマも、生活に根ざしたものから自然と、
命や生き方に関わるものに変わっていった。
スポーツニッポンでの連載「リストラに勝つ、転職で天職」で取材した80人との出会いが、
自らの生きるバネになった。起業家の生き方にも共感した。
「人は皆、人生の主人公。心の窓を開くと力が出る。逆境こそが宝」。

私との出会いもこの連載の取材がきっかけだ。
私の講演を聞き、思わず「木村さんの人生を書きたい!」と願い出た彼女に、
私は『逆境に勝る師なし』の編集協力をお願いした。
益田出身のご主人が天国から繋いでくれたご縁かもしれない。
「ほとばしる想いがチャンスを呼び込む。そして、やっていたらできた」。池永さんは言う。

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もう一つ彼女に自信を与えてくれるのが登山。木村塾がやっている六甲全山縦走にも挑戦。
2011年の1/3を皮切りに、1/2、2/3と毎年距離を伸ばし、2015年にはついに全山制覇。
さらに昨年は、ひょんなことからキリマンジャロ登頂にも挑戦した。
9月の登頂に向けて、練習の日々が始まった。ほぼ毎週登山。
「気づくと登山靴を履いていました。登山を決断したら行動が変わるんです」。
人はビジョンがあれば行動が変わるのだ。

9泊10日のキリマンジャロ登頂ツァー。
半袖で登り始め山頂付近はマイナス20度にもなる。高山病のリスクもある。
山頂アタックの日。深夜に山小屋を出発し、ご来光を拝むために山頂を目指す。
池永さんもガイドやポーターとともに挑戦するが、途中で力尽きてしまう。
「命が大事。断念するしかない」そう判断した。
しかし担当のポーターは言葉が通じない。仕方なく無我夢中で登り続けた。
意識もうろうの中「オーーイ、もうちょっとよ!」という仲間の声が耳に入る。
下ばかり見て登山していたのに、上を見る余裕ができた瞬間だった。
そして山頂に輝く三日月と一番星。それは家の玄関にあるリトグラフと同じ光景だった。
ご主人が誕生日に贈ってくれたリトグラフ。その光景が山頂で待っていた。
5,685m、キリマンジャロ山頂ギルマンズポイントには、仲間と亡き夫の愛が待っていた。
そこに一歩一歩自分の力でたどり着いた。

池永さんの10年後の素晴らしいビジョン。
10年後までに10冊の本を出すことだ。『自己資本1億を作った起業家の物語』
『益田ものがたり』『金持ち母さん、貧乏母さん』『介護や終末医療に関するルポ』
そしてキリマンジャロを舞台にした恋愛小説。
彼女の中に自信や使命感と一緒に、本のテーマが湧いてきている。
ライターに必要なのは「聴く力=十四の心で耳を傾けること」だという。
「これからも自分の心に、そして人の心に耳を傾け、いろんな価値観や生き方を伝えたい」と話した。

出版不況と言われるが、本はものすごい力をもっている。
私が池永さんと出会って会社は10倍に伸びた。その要因の一つに著書がある。
池永さんの協力で著書を上梓したことで何より信用力がついた。
それまでさまざまな広告媒体に多額の費用を投入したが、さしたる効果はなかった。
しかし、自伝を出すことで私自身に対する信用が高まり、会社に対する信頼となった。
池永さんは「自分は経営者ではないから」というが、人はみな経営者だ。
人生という道の。本10冊。このビジョンに向かって邁進してほしい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「やってみなわからん、やったことしか残らん」。まさに木村会長のこの言葉を具体化された池永さんの人生に大変感銘を受けました。
・ 好きこそ上手なれの形、そのままの人生のようです。芳村思風先生の仕事観を思い出しました。遺族年金をもらえないことも「生きる力を与えてくれた」という池永さん。何でそんなに強い人なのだろう!
・ 「想いがチャンスを呼び込む」「やってみたらできた」「考えなくていい。大丈夫、なんとかなる」心の支えになる言葉がたくさん散りばめられていて友達にも聞いて欲しかったなあと思うくらい素敵な話でした。
・ 思いが深く、本当に素敵すぎました! いつも強くて優しい池永さんの原点に触れて感動しました。
・ ペン1本で家族を支えて生きて来られた池永さんの強さを感じた。
・ 「インターネットを過信しない」という言葉に共感しました。芯の部分は実際に会ってみなければわからない部分です。そのことを気付かされました。
・ 人と人とのつながりは人生を大きく左右するもの。一つ一つの出会いに感謝したいと思いました。具体的なテーマをもって生きることが自己実現につながると理解しました。
・ 六甲登山もキリマンジャロも積み重ねて来られた強さに引き込まれました。値打ちのあるお話しでした。
・ 経営に行き詰まり勇気をもらいに来ましたが、池永さんの話で自分に足りないものが分かった気がします。
・ 池永さんがキリマンジャロに登頂できたのは、今までの人生の逆境を乗り越えてきた経験があったのだと感じました。
・ 心の窓を開けたらラクになれる、幸せになれる。私もやり続けます。
・ 誠実な人生に感動しました。諦めずに人生を真正面から立ち向かう姿に痺れました。
・ シングルマザーとして苦労されたのに、「苦労の垢」みたいなものが全くなく、心が洗われるような素晴らしいお話しでした。
・ 「逆境の中に宝物がある」は、心の宝にします。
・ アフリカの精神「ハクナマタタ」。何があっても大丈夫、何とかなるさ。「感謝の数だけ幸せになれる。流した涙の数だけ優しくなれる。汗の数だけ強くなれる」。感動しました。
・ キリマンジャロの頂上での月と星の空の話で涙が出そうになりました。すべての言葉が心地よかった。
・ ビジョンが人を創る。10年後の私からの手紙を聴いて、ビジョンが明確だなあと感動しました。私も手紙を書いてビジョンを明確にします。

投稿者 Katsuo : 00:16

2016年11月03日

No.1751 大阪木村塾BS経営セミナー11月度開催

11月1日 大阪市北区にある手品家梅田店で第54回大阪木村塾BS経営セミナーを開催。
広島に本社を置く潟潟Aルマックス代表取締役の青松勇介さんをゲストに迎えた。

17年前に売り場面積15坪の小さなゴルフショップからスタートし
日本のみならず世界60カ国にインターネットでゴルフクラブを販売する同社。
カンボジア法人を設立し、自社業務の外部依頼(BPO)を行うほか、
ネット販売で培ったノウハウをより多くの人に伝えるため、
ITソリューション事業を立ち上げてWEBマーケティングに力を注ぐ。

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青松さんは高校卒業後、サラリーマンを経て25歳でペイオフの会社を興したのを機に
起業家の道をたどった。
リアルマックス創業は30歳の時。
ゴルフ事業のきっかけは、お父さんから譲り受けた1本の中古のゴルフクラブ。
ネット販売すると思わぬ金額になり、これを機にクラブを仕入れてネットで転売を始めた。
コネも経験もお金もなかったが「ないからこそ知恵と行動力で勝負した」。
創業の精神でもある「トライ&エラー」を繰り返し、
見場からの実体験の中で新しい成功体験を積み重ねた。

ネット販売でも「あなたから買いたい」という顧客対応に力を入れる。
ゴルフ人口が減少する市場で飛躍のきっかけは、海外進出とIT事業の強化。
国内ではこの顧客対応やマーケティングなどの「コア業務」に集中、
2014年にはITのバックヤードをカンボジアに移し
自社業務のBPO(外部依頼)を行っている。
さらに現在は、ネット販売で培ったノウハウを活かし、
あらゆる業種業態に対するITソリューション事業に力を入れる。

また、私の著書をきっかけに9年ほど前からBS経営に着手。
自己資本で未来ビジョンを掲げる中、そのゴールに向かうプロセスで
マーケティング分析をして利益の出るところに資本を集中。
未来投資を始めた。
カンボジアの法人設立や人財育成もその一環だ。

「当社の強みを活かすだけでなく、どうイノベーションしていくか。
ハードだけでなくソフトで売っていく。未来投資することで3、4年後に返ってくる」。
現在、自己資本額は3億円となり、3年後10億円のBSビジョンに向かっている。

「BS経営にして一番良かったのは銀行からの信用。強いBSを持つと入ってくる情報が違う。
先日もメインバンク(信用金庫)から無担保、無保証で融資を受けることができました。
万が一、会社が潰れても家も取られない。ものすごい信用力」
と、そのメリットを明かす。

現在、社員は60名。日中韓、カンボジア、ウクライナなど多彩な国々から人が集まる。
「人財育成の秘訣は、一人ひとりの強みは何かを見極めること。
無理なことを無理な人に要求しても無理。それよりも強みと強みの結合」とも。

大事なのは売上ではない。バランスシートの自己資本だ。
バランスシートこそ経営者の通信簿。
BS経営は自己資本を積み上げて強いBSをつくる経営だ。
では、強いBSをつくるとどうなるか?
金融機関からの信用が得られて資金調達が容易になる。
調達した金を活かしてこそ経営だ。

さらにBS経営は、ビジョンを共有して経営のわかる社員 (経営社員)を育てる経営でもある。
自分よりも優れた人財が育てば、経営力は無限大に膨らむ。
人を活かし、資金を活かす。企業は経営者のものではない、社会のもの。
BS経営は、人・もの・金を活かし、それを何十倍にもふくらませる「公利公欲」の経営だ。

いまや日本を代表する起業家として各界から注目される青松さん。
ベースには「男は金を稼げ」という、昭和を駆け抜けたお父さんの言葉があったという。
若い頃はやんちゃをして警察のお世話にもなったこともある。
つっぱりヘアーでカメラをにらむ15歳の頃の写真を開示して会場を沸かせた。

失敗と挑戦、ビジョンを抱いて学び続けることの大事さ。
学歴がない。歳がいっている。地方だから。そんなことは全部言い訳。
やるか、やらないか。人生は、そのどちらかだ。
青松さんの人生が、そのことを教えてくれる。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ BS経営は資産を再投資すること。また、見えない資産である人を残すという目的があるということを学びました。資産をつくる源泉は人財。ありがとうございました。
・ 青松さんのライフストーリーに感銘を受けました。とくにご両親の起業家としての教え、マインドが青松さんのような起業家をつくったのだと得心しました。
・ BS経営強化の重要性。海外雇用の将来性。ITソリューション、多角経営の重要性。BSビジョンの共有により社員が育つ。本日の気付きです。
・ 青松さんのご両親の言葉「男は金を稼げ!」と「危機感を植え付けられて育った」が心に残った。自分の生き方にも子供の生き方にも活かしたい。
・ 前回発表したものです。私も青松さんのように公言したことを実現していきたいと思いました。
・ 顧客に価値を提供する。同じバックヤードでつくられる提供価値の違う2つのサイト。イノベーションを起こすヒントをいただきました。ネットでも接客がある。人材育成の大切さが分かった。
・ 「ないからやれない」のか「ないからこそやる」か、発想の違い。コア事業に集中する方針。コアとなるものを正しく見極め、集中する勇気が要る。それが分かった。
・ 青松さんの木村会長と同じ「やったみな分からん」精神。「ないから知恵と行動力がついた」という言葉が印象的。「根拠のない自信」も大切だと思った。
・ 青松さんの「強み×強み」「無理なものはやらせても無理」、木村会長の「ビジョンの共有で社員が育つ」。人財育成の秘訣を学びました。
・ 感動しました。世界を股にかける男、最高です!!

投稿者 Katsuo : 00:13

2016年11月01日

No.1750 2016年10月度 実践目標の進捗報告

人口減少に悩む日本。地域活性化事業に取り組む自治体は多いが
マジックで地域おこしをしようという市は、まず類を見ないだろう。

先月10月は、私のかねてからの夢であり
今年度の実践目標の大きな柱の一つである
「第1回益田マジックフェスティバル」が故郷、益田市で開かれた。

きっかけは、マジシャンでもあるマジックポット社長、前田真孝さんとの出会い。
「マジックは人を驚かせたり、楽しませたりするエンターテーメントであると同時に、
演ずる者の自己肯定感を養いプラス思考を育みます。究極の人育てになるんですよ」
前田さんのこの言葉は、故郷に何か恩返しをしたいと考えていた私に
一つのすばらしいアイデアを与えてくれた。

そうや ! 
益田にマジックを広めて新たな観光資源をつくり、地域おこしをしよう。
マジックを通じて子どもや若い人たちが自らの価値や存在意義に気付き、
挑戦する強い心を持てば、まちが元気になる。起業家を育てるきっかけにもなる。

「みんなの力でやりましょう」。
私の夢に賛同いただいた前田さんや、地域で少年サッカークラブを率いる大賀肇さん、
教育関係者のみなさんの呼び掛けで益田マジッククラブが発足した。
それが、ちょうど1年前の10月。

会場の「グラントア」は、美術館と劇場が一体となった島根県立の美しいホール。
有料公演にも関わらずチケットは早々と完売し、
子ども連れのファミリーら461名もの方々にお集まりいただいた。

ステージでは、1年間練習を積んだマジッククラブメンバーの中から
老若男女10人が臆することなく見事な手さばきで技を披露。
合わせて開催されたマジックポットに所属するパフォーマーたちの
世界レベルのマジックやイリュージョン、ジャグリングショーを前に
観客席は息をのむ静寂と鳴り響く歓声に包まれた。

人口減少だ、高齢化だと嘆くばかりで、手をこまねいていても何も始まらない。
やってみな分からん。
今回もそれを実感した。

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☆では、私の10月度実践報告を

・減量、減塩、断酒
・万歩計402/500万歩
・ヘルスケア、フロア階(3ⅿ換算)25,297/20,000階
・登山8/20回

・読書84/30冊
・英会話57/50回
・写経4,810/4,500枚(累計)

・大阪木村塾受講生 1,124/ 1,800名

・益田市活性化への
「第一回マジックフェスティバル」
「デザイン思考講座」

投稿者 Katsuo : 00:43

2016年10月29日

No.1749 木村塾やってみよう会10月度例会A

10月25日、大阪市北区の手品家梅田店で第96回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回の「我が人生を語る」は(株)東栄大和クリーンセンター代表取締役、馬場孝至さん。
産業廃棄物の収集処理を行うほか、生産工場に対して
廃棄物の最適な処理方法を提案する廃棄物コンサルティング事業をメインに行う。

冒頭、馬場さんは「本日10月25日は債務超過に陥った当社が6年前に民事再生手続きを
終結した再生の日。奇しくもこの日に我が人生を発表するご縁をいただいたことに
感謝します」とあいさつした。

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1971年大阪府柏原市生まれの45歳。
祖父母のいる大家族に育った。実家は自動車整備工場だった。
「楽しいだけが取り柄の家でした。お金の苦労はしなかったけど、両親や農業を営む
祖父母の姿から働くことの大事さについてはしっかりと教わりました」。
小さい頃から祖父母の畑仕事をよく手伝った。
現在のリサイクル事業につながる「ものを大切にする心」は、祖母さん譲りだ。
子ども心に「大人になったら日本一のクルマ屋になる」と宣言した。

大阪産業大学短期大学部自動車工学科に進み、
卒業後、整備士として大阪トヨタ自動車に就職。翌年、家業に戻った。
「自動車整備の仕事だけでは先がない」と目を付けたのが土木業。
25歳の時には「資格と許可を取れば2ケタ上の公共工事を確保できる」と気付き
1級土木管理施工技師の資格を取得した。
馬場さんは自動車や土木系のほか環境系の資格を18種類も取得している。

ちなみに、馬場さんが家業に戻った1993年は「環境基本法」が制定された年。
リサイクル機運が高まる中、27歳の時には新たに産業廃棄物処理事業の展開を決めた。
祖母さんから受け継ぐ「ものを大切にする」DNAに火がついた瞬間でもあった。
環境系の新たな法律や国の融資制度が次々と生まれる中
1998年、ISO14000 (環境マネジメントシステムの国際規格)を取得し
現在の「東大和クリーンセンター」を立ち上げた。

30歳の時には大阪の廃棄物団体の会長に就任。
ビジネスだけでなく法律にも精通する馬場さんは
大阪府の環境条例をつくるワーキングチームの一員にも選ばれた。
環境ブームの追い風を受けて低いハードルで環境系の施設建設が次々とでき、
馬場さんの会社は「大阪で一番案件」を建てた。

「勘違いしていたんです。お金の苦労をすることもなく何もかも思い通りになって
それを自分の力やと。自動車リサイクル法ができたときは、これぞ私の仕事。
日本一の自動車リサイクラーになると大きな夢を描いていました」。

折しも「あなたのその夢にお金出します」と、都市銀行大手から融資話が舞い込んだ。
融資額はなんと6億5,000万円。しかも無担保で!
「最新設備を備えたバカでかい夢の自動車リサイクル工場」が完成した。

「こんなにいいことをしているのは自分しかいない。回りの声に耳を貸さず好き放題でした。
国も銀行もどんどん支援してくれる。銀行は金融コンサルタントを連れてやってくる。
これなら10億でも引っ張れる、何の疑いもなく信じていました」。

雲行きが変わり始めたのは北京五輪の少し前ぐらいから。
鉄の相場がどんどん下がり始めた。
それでも強気でいた馬場さんを打ちのめしたのが、リーマンショック。
1トン7万円だった鉄が、一気に7,000円ぐらいになった。

無担保で借りた借金は返せる当てがない。民事再生手続きを開始した。
押し寄せる督促状の山に「もう、死ぬしかないと本気で思い悩みました」。
「最終的には破産するしかない」。
社内の最終ミーティングで出した結果を、仏壇の前で土下座してご先祖に報告した後、
両親と弁護士に告げた。
が、その翌日
「なんと銀行から債務免除の通知が来たんです。銀行にも責任があるからと」

それが6年前の10月25日。
以来、妹さん夫婦の協力もあって事業は順調に回復している。

私生活でも35歳の時を皮切りに3度の結婚と離婚を経験している。
「すべて自分勝手な私が撒いた結果。子どもの頃は親に甘え、大人になってからは
社会に甘え、本当に情けない私でした。
自分の人生を棚卸して改めて思います。
甘えが自分をつくってきた。今日を機に本当に生まれ変わります」。
会場に駆け付けたご両親を前にして馬場さんはあらためて襟を正した。

経営者には2つのタイプがある。PL(損益計算書)を重視するPL型と、
バランスシートを重視するBS型だ。
PL型は一年ごとの売上に注力し従業員数、店舗数など規模を追うが、
BS型は長期的展望でバランスシートの自己資本を積み重ねて強い会社を目指す。
言い換えれば、現在しか見ないPL経営は部分最適、
過去・現在・未来にまたがるBS経営は全体最適の経営である。

これまでの馬場さんはPL型だった。
規模ばかりを追いかけて基礎がなかった。
かくいう私も、50歳まではPL経営者だった。売上や規模ばかり追い求めた。
19歳で起業し50歳までの31年間に貯めた自己資本は1,000万円に過ぎない。
しかし、バブルの崩壊で巨額の負債をつくったことを機に
経営の根本的な間違いに気付き、BS経営を導入。
50歳で「自己資本1億円の未来ビジョン(BSビジョン)」を掲げて向かった結果、
7年後にその目標達成。
2020年には20億円を達成できる勢いだ。

自己資本木費用の数字を入れた未来ビジョンをつくり、社員と共有すると
全員が経営者になり、何十倍も経営力が増す。
BS経営は社員(経営社員=幹部)を育てる経営でもある。

私は馬場さんの何十倍もの負債があったが、
死のうと思ったことはただの一度もない。
うまくいけば金が儲かる。
うまくいかなかったら経験が儲かる。
どっちも儲かる。
本当の失敗は何もしないことだ。

チャレンジし続けてきた馬場さん。その先には必ず成功がある。
現在、19期で自己資本2400万円。
「これを11年後の30期、56歳で自己資本2億円にします」
最後に馬場さんはBSビジョンを力強く公言した。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ すばらしい話でした。感動しました。もっと自分を誉めて承認してあげてください。今までの経験を活かして成功してください。必ずできます。
・ 馬場さん、最高!失敗の数々をこれからの成功の糧にしてビジョンを達成してください。応援します。私も失敗を恐れずチャレンジします。
・ 「ものを大切にする」という小さい頃からの価値観が仕事になっている。すばらしいと感じた。私生活での浮き沈みが馬場さんの人生を色濃くしていると思う。
・ 東京三菱UFJから6億5,000万円の融資を無担保で受ける。普通の人にはできない体験です。強い信念、行動力のある馬場さんだからできたこと。30期、56歳で自己資本2億円にするビジョン。必ずできると信じています。
・ とにかくこけだけの資格を取るだけでも努力家です。30期のビジョン実現に向けて頑張ってください。
・ 馬場さんの体験が失敗だとは全く思いません。木村会長が言われた通り「やること」が全てだと思えた1日でした。
・ 大手銀行から6億5,000万円ものお金を無担保で引き出せる。馬場さんの器の大きさを見た気がしました。今後、どんなにビジョンが大きくなっても「ものを大切にする」という理念は持ち続けていただきたいと思いました。

投稿者 Katsuo : 00:24

2016年10月25日

No.1748 益田マジック・フェスティバル開催 !

故郷、島根県益田市への恩返し活動「益田をマジックで元気にするプロジェクト」の第一弾
「第1回マジック・フェスティバル」が10月23日、
島根県芸術文化センター、グラントワ小ホールで開催され、
家族連れなど461名が参加した。

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人口約5万人弱の益田市。ここでも過疎化高齢化が進み経済が減速している。
プロジェクトはマジックを通じて自己肯定感の持てる子どもたちを育てる傍ら、
益田に「マジック」という新たな観光資源をつくり、まちおこしをしようという構想。
また、マジックは起業家マインドをもった人財育成にもつながる。

昨年の「益田マジッククラブ」結成から丸1年。
今回のフェスティバルは、クラブ主催者ボアソルテスポーツクラブの
大賀肇さんらの呼びかけで集まったメンバーのうち、
小学校2年生から70代までの10名が、自ら手を挙げて1年間の練習成果を発表した。

劇場と美術館が一体となった県内切っての美しい会場、グラントア。
そのホールをぎっしり埋め尽くす観客席を前に、メンバーらは
リングやロープ、トラランプ、大きな本、花や旗が出てくるボックスなどを操り
鮮やかな手さばきで観客を魅了した。

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後半にはマジックの指導に当たっているマジックポットの人気マジシャンと、
シルク・ドゥ・ソレイユのメンバーでもあるジャグリングパフォーマー、桔梗ブラザーズなど
世界で活躍するトップクラスのパフォーマーたちが出演。
生まれて初めて目にする本格的イリュージョンやジャグリングショーに
会場は息をのむ緊張感とどよめく歓声に包まれた。

今回はホールの定員を超える申し込みがあり、キャンセル待ちがでるほどの大盛況。
しかし、これで満足していたのではいけない。
このフェスティバルが呼び水となって、さらにマジックの輪が広がり
マジックで自己肯定感を身に付けた人たちが動き出してまちが元気になる。
それが最終ゴールだ。

やってみなわからん。
目標を掲げてとにかく動いてみる。仕掛けてみる。行ってみる。やってみる。
結果は後からついてくる。

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投稿者 Katsuo : 01:25

2016年10月18日

No.1747 木村塾やってみよう会10月度例会@

10月11日、大阪市北区の手品家梅田店で第95回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回の「我が人生を語る」はマジシャンの忠本典大さん。
会場でもある手品家を運営する株式会社マジックポットで三宮店の店長を務める。
正統派マジックからコメディマジックまでこなし、テレビ出演や番組指導の依頼も受ける。

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1983年、大阪府生まれの33歳。
パチンコ事業を展開する経営者の家に生まれ、幼少期は何不自由のない生活を送った。
裕福だった暮らしが一転したのは小学校5年の頃。
阪神淡路大震災で家や会社の建物もろとも焼け崩れ、借金だけが残った。
「あったものがゼロどころかマイナスになると家の中もぎくしゃくして、
結局父は出て行きました。当時は私も思春期で母とも折り合いが悪く苦労をかけました。
大人になっていろんな研修を受ける中で母の大切さに気付きました。
今は母には感謝しかありません」。
華やかな舞台では伺い知ることのない「マジシャン、ノリ」の生い立ち。

マジックに嵌まったのも小学校の頃。
ミスターマリックのマジックに憧れ、見様見真似で覚えた。人に見せると受けた。
「マッチ4本の芸でほめられてめちゃうれしかった。この成功体験がいまの原点です」。

高校卒業後、建築士に憧れたが、「料理のできる男もかっこいい」と
調理師免許を取り飲食店で働いた。
調理師としての仕事も楽しかったが、傍ら店で余興にマジックを披露すると受けた。
「自分が本当にやりたい仕事はマジシャン」。次第にその思いが募り、飲食店を辞めた。
しかし、どこに行けば仕事があるのか。マジシャンとして自分を雇ってくれる当てもない。

ネットで検索して使ってくれそうな店に売り込み、しばらくは調理の仕事と掛け持った。
ある居酒屋では売上の1割を払ってもらう約束で引き受けたがお客さんが来ない。
ギャラ500円で受けた時もある。交通費を引くと時給300円ぐらいしか残らない。
お客さんから「怪しい」とトランプのカードを取り上げられ投げられたことも。
折れそうになる心と闘いながら、それでもめげずに営業活動を続けた。

流れが変わったのは「お客様目線で喜ばれることをするようになったこと」。
「以前の自分はオナニーしていているマジックだった」。
そのことに気が付くとあちこちから声がかかるように。
飲食店だけでなくホテルでのブライダルパーティ、レストラン、展示会、自動車ショールームのイベントなどに広がり、収入も1ステージ数万円になった。

人生の転機はマジックポットの社長、前田社長との出会い。
前田社長は「マジシャンでは食えない」という世間の常識を覆すべく、
「マジシャンを雇用して会社をつくり、マジシャンの地位向上と業界の発展に尽くす」
という使命を掲げ「2020年に上場、自己資本3億円」の壮大なビジョンに向かう。

そのビジョンや人柄に惹きつけられて2012年マジックポットに入社。
フリーランスの時と比べると、収入は減ったが、会社に入ると
働く目的を意識するようになりモチベーションが変わった。
「お客さんや仲間のために行動することで自分も成長できる。一人ですれば何時間も
かかることが、チームで考えたほうが、レスポンスも早くいいアイデアが生まれる。
困ったときには誰かが助けてくれる。幸せを実感しています」。

「付き合う人で自分が変わります。そして自分が変われば回りも変わる。
私のように根暗な自分を変えたかったら、明るい人のいる所に飛び込んでください。
コミュニケーションを取るのが苦手ならば、自分から飛び込んでください。
確実に変わります」とも。
入社後に職場結婚。パートナーは梅田店に勤務するマジシャンの「なっちゃん」。

三宮店の店長になってからはマジックだけでなく店舗運営や人材育成にも力を入れる。
それが、今は楽しいという。
「仕事ではマジックポットの役員になること。プライベートでは早く子どもも欲しい。
そして7年後、40歳には年収1,000万円を目指します。
そして同時に500万円を貯金します。月6万円貯金すれば手が届く。
一見遠い目標もきちんと計画すればぐっと身近になります」と締めくくった。

私は14歳で父を亡くし、家計を支えるために中学校も終えないうちに社会に出たが
父の死と、5人兄弟姉妹の長男であったこと、そして日本という国に生まれたこと。
この3つが私の原点だと思っている。
それが私を起業家への道へと導いてくれた。
3つのうちの一つでも欠けていたら、今の私はない。
逆境が人を育てる。立ちはだかる壁の高さはその人の器だ。
自分の置かれた環境に感謝することはあれ、1ミリとて恨んだり否定してはいけない。

また、忠本さんは現在勤め人なので、目標額は「年収」ではなく「貯金」で決めたい。
「年収」は会社ならば「売上」だ。
いくら売上げが高くても、経費が多く利益を確保できなければ会社経営はできないように
個人の家庭ならば、年収が高くても支出(浪費)が多ければ家計は成り立たない。
これに対して「貯金」額は会社でいえば、バランスシートの「自己資本」に当たる。
ビルで例えるなら、「売上(年収)」は建物で「自己資本(貯金)」は鉄骨や基礎部分。
いくら高層のかっこいいビルでも、鉄骨や基礎のないビルはすぐに倒れてしまう。
要(かなめ)は、自己資本であり貯金だ。

こんな私のアドバイスを受けて忠本さんは新たに
「50歳で貯金5,000万円をつくります」と宣言した。

お金はステージをつくる。この高い壁が忠本さんを飛躍的に成長させるだろう。
ちなみに私の人生は60歳からが一番成長したが、忠本さんはまだ33歳!
店長として経営者の階段を昇り始めた忠本さんのこれからに期待したい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 同じ会社の上司や仲間の人生を聞く貴重な体験ができました。忠本さんがどんな考え方をし、何を目標にして生きているかが分かってよかった。知らないと応援、援助もできません。目標達成に向けてぜひ一緒に頑張りましょう。
・ 忠本さん、企業の社会的ビジョンを強くイメージしてください。まずは個人、チームからですが、大きなビジョンを持ってみるとよいと思います。
・ 久しぶりの「木村会長節」に触れて頑張ろうと改めて気が引き締まりました。たまに里帰りしないとあかんなと反省しました。大きな夢、ビジョンに向けて今もがいているので、なおさら木村会長節!!
・ 人生は誰に出会うかで大きく変わると今日の忠本さんの発表を聞いて感じました。そして自分自身の今までの人生を振り返り、多くの人との出会いに感謝します。
・ フリーランスで生きて来た中で、チームでやっていくことで気付いた忠本さんの言葉が心に残りました。
・ ビジョンの数字に基づいたプロセス=どうやって役員になるのか?どうやって店長になったのか?戦略、戦術が見えてこなかった。貴重な時間とお金を使って聞きに来ているのだから、その辺りをしっかり掘り下げてほしかった。シビアなコメントですが、幹部という立場で役員を目指す志の高い方なのであえて伝えさせてもらいました。

投稿者 Katsuo : 00:10

2016年10月08日

No.1746 大阪木村塾BS経営セミナー10月度開催

10月4日 大阪市北区にある手品家梅田店で第53回大阪木村塾BS経営セミナーを開催。
ゲストスピーカーとして有限会社サードパーティー代表取締役の濱田恵司さんに
お話しいただいた。
「トラックを持たない物流会社」を掲げ、物流コンサルティング事業を展開する。
2013年10月の「やってみよう会」に続いて3年ぶりの登場だ。
今回、BS経営を取り入れて以降の歩みを、決算書をオープンにして発表された。

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濱田さんは1969生まれ。
高校卒業後、大手酒造メーカーを経て大手運送会社のS社に勤務した。
巷では「地獄」と呼ばれ、軍歌が流れるようなハードな職場。
破天荒な個性派が活躍する中で月収900万円を稼ぎ出したこともある。
その後、阪神大震災に遭遇。家が倒壊し友人宅などを転々としながら救援物資を運んだ。
「商売人の意気込みを肌で感じた」体験でもあった。
S社には10年勤務。起業を決意した濱田さんは資本金3万円でいまの会社を起業した。

起業後の3年間は波乱含みだった。
畑違いの果物の販売に手を出して失敗したり、大口取引先の売掛金が回収不能になったり。
そんな中で縁あって木村塾に来られるようになった。
「それまでは社員の給料が払えたらいいというぐらいで理念もなく、何の展望もなかった。
PL経営で、税金を払いたくないのでどうやってお金を使うかばかり考えていた」。

第9期の決算書は自己資本180万円、増資した資本金550万円を加えても730万円。
前回発表ではBSビジョンとして「10年後に自己資本1億円を目指す」と宣言した。

それから3年。予想外の出来事で損失も出した年もあるが
全体としては目標のBSビジョンに向かって順調に推移し、
今期13期は自己資本2,000万円を超える勢いだ。
濱田さんは言う。
「理念とBSビジョンを持ってからは世界が変わった。計画を立てて社員に伝えるようになった。
数字を達成することで、従業員や家族を幸せにするという約束(理念)が果たせる。
私の強みは末来思考だと思うが、BS経営で本来の強みが出まくっている」と。

現在、同社の社員数は正社員8名を含め、パートを加えると従業員数46名。
「社員さんに給料だけでなく、ちゃんと退職金を払える会社でありたい」という。
ちなみに「社員一人当たり1000万円の自己資本があれば
不測の出来事で会社に利益が出せなくなっても2年間給料が払える。
退職金なら50万円×勤続年数」。その夢をBSビジョンに乗せる。

「わが社の強みはロボットから老人まで働ける、真のダイバーシティーを実現できている
点だと思う。シルバー、女性、ハンディをお持ちの方、多国籍スタッフ、すべての人が
自分の強みを発揮できる環境で活躍している。2030年自己資本10億円を目指していこう」。
最後に濱田さんは2026年10月4日付の こんな「10年後の自分からの手紙」を読み上げた。

経営は言葉と数字。言葉だけではだめだ。
数字が理念を引っ張ってくる。

BS経営は人をつくる経営でもある。
経営者を育てると同時に社員さんも育てる。
私自身、50歳の時にBSの威力に気付いて「BS経営」を展開したが
それから25年、この間に私とは桁違いのすごい社員がたくさん出て当社は急成長した。

そして、もう一つ。
強い会社になろうと思えば税金を払うことだ。
BS経営で自己資本を厚くするには税金川を渡らねばならない。
しかし、納税は経営者を「私利私欲」から「公利公欲」に変える。
経営者が「公」に変わったとき、銀行が、社会全体が味方についてステージが変わる。

起業家は自ら変化を起こす人。
変化は知恵を授ける。
濱田さんは変化を起こす人だ。
必ずこの大きな志を成し遂げるに違いない。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「経営には答えがない」と分かった。会社に変化を起こしたいと思っている自分にとって新しい世界を見たいと思う経営勉強会だった。モチベーションが上がった。
・ BSビジョンをつくるに当たっての目安として「1人当たり自己資本1,000万円×社員数」「退職金=50万円×勤続年数」。勉強になりました。
・ ステージをひとつ上げようと決心したところで「BS経営」を知りとてもよかった。会社にお金を残せる社長になります。
・ 会社の経営計画を立てるだけでなく、目標をエクセルに落とし込んで進捗状況をチェックするなど濱田さんの綿密さに感動した。見習いたい。人として尊敬できる経営者の元に優秀な社員さんが育つのだと感じた。
・ PLを追うのではなくBS社員を育てる。BS経営は人を育てる。未来志向の考え方。数字で表す。
・ 社長の考えていることが今までのどのミーティングや経営方針発表会、会議、朝礼よりも一番よく理解できた。社長の過去やビジョンもよく分かった。社員だけでなくパートのスタッフも参加したらよかったのにと思う。
・ 今まで社長が話していたことがBS経営であることが分かりました。先を考えることでやりがいを感じました。いろいろ考えていける会社にしたい。
・ BSビジョン、純資産(自己資本)にこだわることが大事だと分かった。木村会長のBS経営への熱い思いが伝わりました。濱田さんの会社がなぜ加速したか?「経営理念達成のため」
という言葉にも感動した。とても勇気がもらえた。
・ BS経営のほうが業績が上がることが分かった。社内の勉強会もBS経営に連なっていたのだと知った。起業家とは2代目でも3代目でも起業家になれる。変化をチャンスにしてビジネスすること。新たな気付きです。

投稿者 Katsuo : 01:12

2016年10月07日

No.1745 横浜木村塾 第15回セミナー開催

9月26日 横浜市開港記念会館で横浜木村塾 第15回セミナーを開催。
セミナー前に海老名市で薬局を多店舗展開するÅ社を訪問。
BSビジョン策定のお手伝いをさせていただいた。

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18時半からのセミナー。
会場では開催前に申し込みのあった3社より経営相談を受けた。
スタートから丸5年を迎えた横浜木村塾。定期開催としては今回が最終回だ。
ゲストスピーカーに福井県あわら市のファーストトレード(株)代表取締役 
三上良平さんを招いて体験を話していただいた。
強いBS(バランスシート)をつくる「BS経営」を忠実に実践する三上さん。
インターネットを使ったグローバルビジネスに挑み、
資本金100万円の会社をわずか6年で1億5,000万円の自己資本を持つ優良企業にした。

三上さんは福井県生まれの39歳。
トラック運転手をしていた31歳の時に「運転手をしながらできるビジネスを」と
中国から品物を輸入してネットオークションで販売するビジネスを始めた。
それなりに儲かり、1年後にドライバーを辞めて起業したが
間に頼んだ輸入代行業者がズサンでトラブルが続出した。
そこに目を付けた三上さん。「自分が代行業者になればビジネスになる」と閃いた。

しかし、中国語も英語も苦手。そこで、中国人のビジネスパートナーを探そうと
同業者の集まるネットの掲示板に「日本語で」求人募集。
なまじ言葉ができないことが幸いし、
日本語や日本に精通する有能な現地パートナーが見つかった。

現在、中国では上海の近くの郊外都市に現地法人を設立、スタッフ50〜60を抱える。
2013年から新たに以前から興味のあったオリジナル・メンズバッグの企画製造に着手。
バングラディシュでの製造に続き、イタリア・フィレンツェで買い付けた商品も販売する。
さらにバングラディシュのマングローブでソフトシェルクラブ(蟹)の養殖事業も始めた。

経営で大事なのは売上ではなく、自己資本。
自己資本は簡単にいえば会社の貯金だ。
資本金100万円でスタートした同社は、わずか3期目で自己資本900万円を達成した。
私もこれまで何千社もの決算書を見たが、こんなに勢いのある会社は初めてだ。
なぜ、そんなことができたのか?  
驚く私に三上さんはこう答えた。
「自分は高卒で勉強していない。木村会長に貯めろと言われたから頑張って貯めただけ。
お金をBSの下(自己資本)に貯めろと言われて、それだけをやってきた」と。

結果に感動した私は3期目の時に1000万円出資し、株の30%をもらった。
これを弾みに同社の自己資本は4期目に1億円、現在6期目は1億6,000万円になっている。
いま、株主である私の持ち分は4,800万円になる。

株主は売上高ではなく、経常利益でもない、税引き後、いくら残したか。
自己資本に対して どれだけリターン(当期純利益)を生み出したか(=ROE)や、
自己資本に対していくら稼いだか (=ROA)を見る。
私という株主を持つことで三上さんの経営は「株主目線」になった。

三上さんはBS経営のメリットを次のように話す。
「年1回の経営方針発表会に銀行を呼ぶと最初は1行だけだったけれど、今年は銀行5行。結果を出すと銀行が食いついてくる。最初は貸してくれないモード。
ある日突然借りてくれモードに変わってくる」。
BSは経営者の通知簿。
自己資本を厚くしていいBSを持てば、資金調達が容易になり、事業が好循環する。
さらに「BS経営をするといい人財が集まる」とも。
現在、財務を担当する幹部社員は、最初に融資を断わられた取引先銀行からの転職者だ。
財務に強い社員を置き、銀行を味方に付けると経営者のステージは桁が変わる。

経営とは「人・カネ・もの」という社会資源を活かして、10倍にも100倍にもすること。
日本はお金が余っているのに起業家になりたい人が極端に少ない。
銀行ではこのお金を使って儲けてくれる借り手を探している。チャンスがいっぱいだ。

仕事のステージが上がり世界に広がっても、同社の本社は あわら市のまま。
三上さんはいま、趣味のサーフィンができる神奈川県の湘南に住み、
あわら市と上海とダッカやフィレンツェを往来しながら仕事をする。

観客席からの質問も続出し、5年間の締め括りにふさわしい活気あるセミナーになった。
これからもリクエストいただければ、いつでもお話しさせていただくが
長期に渡ってご尽力いただいた松尾塾長をはじめスタッフの皆さん、
参加してくださった皆さんに心からお礼を申し上げたい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 変化をチャンスにして捉えるにはとにかくやってみる」。スピード感がとても大切だということが、いつもにも増して響きました。
・ 「BSビジョン」。初めて聞き、新たな経営始点があると学びました。やらないと分からない。公言する。安全を変化に変える。気付きの多い研修でした。
・ BS経営の実務者である三上さんのお話しは説得力がありました。行動力、すなわち機会を生む。実感します。
・ 背中を押されたような、一歩を踏み出すきっかけになりました。
・ 「適正自己資本比率20%」。他人の金を引っ張ること。ステージを上げること。自分はまだまだ安定指向であると反省しました。
・ 今まで言い訳ばかり言っていた気がします。すべてをチャンスととらえて日々を過ごしていきたい。自ら公言し、行動することでチャンスをつかみます。
・ 変化をチャンスに変えるのが起業家。ROE・ROE。出来ない理由を並べ立てない。変化こそ成長のきっかけになる。やっていこうと思いました。
・ BSビジョンへの思いが復活しました! 意識して社員を巻き込み、よい会社を築いていきます。
・ 一社員ですが、わが社はPL経営かと思います。人を育てる。資源・資本を殖やす。ビジョンを公言することの重要性を学びました。
・ 変化はチャンス。安定は逃げているだけ。経営方針発表会を開く。みんながやれば価格競争が起こる。株主視点での経営。新しい考え方をたくさん得ました。
・ 「BS経営が人財育成となる」。「行動がすべて」。大変心に残る言葉でした。
・ 経営は頭ではなく「情熱」。心の中が燃えてきました。「やってみないと分からない」この言葉を刻みます。
・ 銀行から資金調達して会社を成長させる。一般に言われている「自己資本比率を上げろ」。その考え方は無いということがよく分かりました。

投稿者 Katsuo : 00:19

2016年10月01日

No.1744 2016年9月度 実践目標の進捗報告

ようやく秋の気配を感じるようになったが、もう10月。
今年も4分の3が過ぎた。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

私はおかげ様で体調もよく、どの実践目標も着実にゴールに向かっている。
9月末には5年間続いた横浜木村塾の定期開催が最終回を迎えたが、
時間的に余裕が出てきたので、暇さえあれば写経とフロア昇りに勤しんでいる。

写経は年間目標の500枚を軽く超えた。
この調子なら年内に累計5,000枚にも届きそうな勢いだ。
また、始めた当初には結構きつかったフロア昇りだったが
最近では足取りが軽く、1日平均110階を昇っている。
このままいけば80歳でキリマンジャロ再登頂も可能ではないかと思えるほどだ。

食生活も肉中心の外食から野菜中心の家メシになり、
アルコールに代わって温野菜や果物が食卓をにぎわしている。
そのおかげだろう、快食、快眠、快便。
ベスト体重、ベストバイタルをキープし、何より体が軽い。

まさか、自分がこれほど健康管理に気を配る人間だとは思わなかった。
日々の運動は、歳をとると継続することが難しいといわれるが
数値目標を持つことで、暮らしを輝かせる愉しみに変わるのだ。

日々是好日。
ええ人生、ほんま幸せな人生を送らせてもらっているなぁ、と つくづく思う。

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☆では、私の9月度実践報告を

・減量、減塩、断酒
・万歩計365/500万歩
・ヘルスケア、フロア階(3ⅿ換算)21,577/20,000階
・登山8/20回

・読書78/30冊
・英会話51/50回
・写経4,720/4,500枚(累計)

・大阪木村塾受講生 1,022/1,800名

・益田市活性化への
「第一回マジックフェスティバル」
「デザイン思考講座」

投稿者 Katsuo : 01:47

2016年09月30日

No.1743 木村塾やってみよう会9月度例会A

9月27日、大阪市北区の手品家梅田店で第94回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回、我が人生を語ったのは井上武俊さん。大阪を拠点に民泊の代行事業を運営する。

早稲田大学在学中からイベント開催など学生起業家として活動していたという井上さん。
卒業後、大阪での会社勤めを経て会社を立ち上げたことがある。
しかし、資金繰りがうまくいかず廃業。
再び勤め人を経て、昨年10月に現在の民泊事業を興した。
この10月には法人化し、新たにメンズエステの店舗も開業するという。
そんなプロフィールを聞くだけで、アグレッシブな人生がうかがえる。

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1967年、京都生まれ。3人兄弟の末っ子。 教育熱心な家庭で育った。お兄さんは京大卒だ。
自身も中学受験のために好きな野球をやめて小学5年から塾通いをした。
しかし、志望校合格は叶わず、第二志望の私立高槻中学に入学。
男子校で部活では硬式テニス部。 部活動とゲームセンター通いに明け暮れた。

現役で早稲田の商学部に入学。大学では全く勉強せず留年も経験した。
イベントサークルのスタッフとして活動したことを機に広告代理店とつながりができ、
自らイベントの開催や人材派遣業務を行った。
土日のイベント開催や、都内各所でのサンプリングでは月150〜200万円を稼だという。
「お金を稼ぐってちょろいもん。稼いでは使い、稼いでは使い」
「あの時しっかりお金を貯めておけばよかった」と、お金の苦労を重ねた今は後悔の念。

卒業後は京都に戻り就職。「営業には就きたくない」と簿記2級を取り経理業務に従事した。
さらに税理士試験を受験し2科目のみ合格。
そんな折、笑顔の素敵な女性と出会って交際開始。
「彼女にかまけて税理士試験の勉強はおろそかに(笑)」
その女性こそ現在の奥さん。交際から1年後にめでたく結婚。
1996年に長男、翌年に次男が生まれた。
家が手狭になり長男が幼稚園に入るタイミングでマンションの購入を計画した。
「生活を切り詰めて切り詰めて」頭金600万円を4年で貯め、
2000年に東大阪市のマンションを購入した。

勤めて10年ぐらいすると井上さんの起業家魂が頭をもたげてきた。
東京の会社から広告の仕事をもらうことになったのがきっかけで起業を計画。
知人から資金提供を受け、2年後の2005年、資本金1000万円で広告代理業務を主とする
株式会社アジレックを創業。
ところが淀屋橋に事務所を借りたが、3ヶ月で1000万円が溶けることに。
同時に始めていたヤフオクでの日用品販売が軌道に乗り、何とか生活はできた。
売上平均600万円、粗利は40万円程度。
しかし、仕入れ先の倒産で商品が入らず2年後にあえなく廃業。

2007年、大阪の樹脂製品加工メーカーに財務マネージャーとして再就職した。
「定期的に入ってくる給料がどんなにありがたいことか」と振り返る。
2011年にはタイの現地法人に単身赴任。英語と片言のタイ語で生活する中、
生活費を切り詰めるためにバスや乗り合い自動車を利用した。
一方、タイは銀行の金利も高く、不動産も年々上昇している。
ビジネス新天地としての魅力を感じた。
赴任中は現地で起業している人たちと知り合い、大きな刺激を受けたという。

帰国後、会社の都合で退職。知人が行っている不用品回収の仕事を手伝った。
回収業務では手数料と回収した商品をネットで販売することで意外と売上があった。
そんな中、回収したベッドや家電を頻繁に購入する若者がいる。
不思議に思って聞いてみると、 「ゲストハウスをやっている」という。
調べてみたら「Airbnb」というサイトで意外と稼いでいる人が多いことが分かった。
そこで、井上さんも恵美須町で物件を借りて民泊事業を始めると初月から利益が出た。

昨年10月の事業開始から1年。現在は大阪市内で10軒の民泊の代行事業を展開するほか、
京都でもゲストハウスを準備中だ。
10月には資本金100万円で会社を設立、新規事業としてメンズエステの店舗も開業する。
「5期後、自己資本2000万円を達成します」。
発表を機に、井上さんは未来ビジョンをBS(バランスシート)の数字目標を掲げ
力強く宣言した。

学歴や知識があり行動力もある井上さん。
すばらしい素質があるのに、それが経営に活かせていないのは勿体ない。
最初の起業の時に欠けていたものがあるとすれば、数字を入れたビジョンだ。
売上や月収ではない、BSの「自己資本額」を目標値とするBSビジョン。
しかし、今回の発表でBSビジョンを決めて皆の前で公言された。
このことは大きな成果だ。

決算書のBSは経営者の通知簿。
100万円の資本金を2000万円にすれば金融機関の信用がつき、
経営のステージが急上昇するはずだ。

私も50歳からBSビジョンを持って人生が劇的に進展した。
いま井上さんは49歳。まさに人生の折り返し地点にある。
これからは豊富な知識を「知恵」に変えて、このBSビジョンに向かって欲しい。
期待している。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 井上さんはもっと潜在能力があると思います。もっとエネルギーを出してさらなる活躍を願っています。
・ 淡々と話されやや物足りないと感じました。いろんなお話しが出ていてかなり大きな事業になるようですので、5年後が楽しみです。
・ いろいろやってこられたようですが、なかなか思うようにはならないのが人生。一緒にビジョンを考えませんか。
・ ビジネスの内容についてもっと聞いてみたいと思いました。今後が楽しみです。
・ 会長の「BS経営は正しい社長を生み、優秀な社員を育てる」という話が印象的でした。
・ 井上さん、強みを活かせ!!  最強の「強み」をダイレクトに活かして事業を発展させてください。
・ 熱意と情熱がお伝えできなかったのは残念でしたが、表明することは本当に大切であると感じました。(ご本人より)

投稿者 Katsuo : 00:20

2016年09月27日

No.1742 木村塾パワーアップセミナー「知識と知恵の違いは?」

9月20日 大阪市北区にある手品家梅田店で第1085回パワーアップセミナーを開催。
今回のお題は「知識と知恵の違いは?」
いつものように即答でプレゼンテーションしていただいた。

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まずは、みなさんなの見解から。
「知識は学ぶもの、知恵は生み出すもの」
「知識は歴史やセオリー、知恵は新しく生み出すもの」
「知識は積み重ねるもの、知恵はなくしていくもの」
「知識は答えのあるもの、知恵は答えのないもの」
違いは?と尋ねたせいか比較する方が多い中で
「知識だけでは成功しない、知識から正しい引き出しを出せる知恵が必要」と
両者を関連づけた方もあった。

ちなみに広辞苑では、こんな定義がのっている。
知識=ある事項について知っていること。また、その内容。
知恵= 物事の理を悟り、適切に処理する能力。

私自身を振り返ると、知恵だけで生きてきたように思う。
14歳で父親を亡くし、生活費を稼ぐために中学校に行くのを止めた。
だから、みんなが知っているような知識がなかった。

しかし、ビジネス社会の中ではそれが幸いした。
知識がないから、手当たり次第にチャレンジした。
どんどんチャレンジしていっぱい失敗したが、壁にぶつかるごとに知恵が生まれた。
この知恵が問題解決へと導いた。
たくさんチャレンジしたからこそ成功した。

こうして木村塾を開催していく中で分かったことがある。
知識のある人は、理屈をこねる人が多いということ。
やってもみないで、あれやこれや言い訳を並べ立てて結局やらない。
なぜか。
それはリスクを怖がるからだ。
なまじ身に付けた知識が邪魔をして、失敗したらどうしようと怖がるのだ。

やって成功したら銭が儲かる、失敗しても経験が儲かる。
何もしないことが一番損をする。

「何とかせなあかん」を「チャンス」と捉え知恵を絞る起業家になってほしい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ ふだんはできないプレゼン体験。初参加で楽しかった。会長や皆さんの話を聞いて新しい気付きがありました。
・ 「頭の中できちんと整理して話す」「全体を見渡して話す」。前回の浅田先生のアドバイスを意識して話しました。そして今回。「ただ話すだけでなく自分の体験談も交えて話せばいい」新たな気付きでした。
・ 「逆境はチャンスだ! 恐れるものではない」「知恵は変化を好む」という会長の話が心に刺さった。「10年で人生は変わる!」変化を恐れずチャレンジしようと思いました。
・ 3分間のプレゼンが1分45分で終わってしまい、すごく悔しかった。「知識あっての知恵。知恵がまた知識になる」というKさんの考えはすばらしい。知識、知恵。それぞれ深めて努力します。

投稿者 Katsuo : 08:31

2016年09月21日

No.1741 木村塾やってみよう会9月度例会@

9月13日、大阪市北区の手品家梅田店にて第93回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「我が人生を語る」は名古屋に本社があるidG株式会社 代表取締役の奥村昇平さん。
グラフィックデザイン制作を核として大学生の就職支援を行う。

座右の銘は高杉晋作の名言「おもしろき こともなき世を おもしろく」。
「人生をもっともっと楽しく」がモットーだ。
これまで37年間の人生を「大学卒業まで」「苦難のサラリーマン時代」「新米経営者として」
の3つに区切り棚卸した。

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1979年、滋賀県生まれ。長男の一人っ子。
調理師の父親は交友関係が広く、家の中はいつも客人であふれかえっていたという。
自身も学童期から率先して学級委員や生徒会長、キャプテンなどを引き受けた。
「そんな生徒会活動が内申点を底上げして」進学校の高校に入学。

部活では中学時代に続いて野球部に所属した。
しかし、ここでも「4番を期待されながらも万年補欠」。
自ら名乗り出て応援団長になった。
高校野球大会は1回戦で敗退したが、応援ぶりが目立って取材を受けテレビに出た。
部活引退後に挑んだ学園祭では、校長先生に「浪人しても学祭を盛り上げます」と宣言。
その言葉通り、大学祭は大成功だったが、大学受験に失敗。予備校に通った。

予備校時代も他府県から来た友達がたくさんでき、みんなでカラオケ店に通った。
夏期講習会で出会った女子高校生に告白して撃沈。
「勉強することから逃げていた」と振り返る。

1浪で龍谷大学に入学。大学時代は「サークルとコンパの両立を果たした」。
仲間と野球クラブチームをつくろうということになり資金集めに奔走した。
そのクラブは地域の子供たちを巻き込み、現在100名規模のクラブチームになっている。
実家ではご両親が石山(滋賀県)で飲食店を開業。
そこでアルバイトをしながら商売のイロハを学んだ。

将来の夢もビジョンも見えないまま就活に突入した。
就職できたのは、奥村さん自身が悩んでいたからかもしれない。
きっかけはパソコンに送られてきた「就活生のお手伝いをしませんか」という1通のEメール。
発信したジェイ・ブロードは新卒大学生と企業を結んで就職を支援する企業だ。
説明会に参加すると「この人たちと仕事がしたい」と熱くなった。
内定もこの1社のみ。「拾ってくれたジェイ・ブロードには感謝しかない」と話す。

社会人元年の2003年。「山あり谷あり仲間あり。苦難の10年」が始まった。
5時起床、滋賀の家から大阪の会社に出社し、帰宅すると2時。3時間睡眠で鼻血が続いた。
2年目には新規開拓のため名古屋支社が開設。
「新しいチャンス! 行きたい」。自ら手を挙げた。

行ってみると6畳1間の職場。「テンションだだ下がり」だったが
敏腕上司の元、売上目標5000万円に向かって粛々と仕事をした。
クライアント企業の課題を聞きオリジナル提案を続けると売上は順調に伸びた。
愛知万博とトヨタバブル、中部国際空港の開港が追い風となった。

売上は1億円から2億円に、2007年には3億円を達成。
名古屋支社は会社の中で一番元気な支社になった。
社員は11人になり、奥村さんは支社長になっていた。
しかし、2009年リーマンショックが会社を襲う。同業者も増えて業績は悪化の一途。
事業縮小で職場仲間の相次ぐ退職。
しかも、私生活では交際していた彼女と結婚を前にしての突如の破談…。
絶不調から救ってくれたのは「この世は男以外、皆女や」という人生の先輩の言葉。

再起を図り挑んだ東海地区の国立大学と企業を結ぶ大型のイベントコンペ案件で勝利し
それを機にV字回復を果たした。
奥村さんは34歳になっていた。
独立したい気持ちがふつふつと沸いてきた。
しかし、大阪営業部への異動の辞令が。大阪は8期連続赤字だった。
迷ったが「大阪を立て直すのはあんたしかいないのでは?」という母親の言葉に
背中を押され、「1年で黒字化して独立する」と決意した。

奥村さんが木村塾のセミナーに来られたのも、この頃だ。
実は「大阪木村塾やってみよう会」の主催者、門浦さんと奥村さんは
ジェイ・ブロード時代の同僚。
「より以上の成長を目指す人たちに出会って自分も起業家になろうと強く思った」
と話す。

大阪営業部に戻った奥村さんは決意の通り1年で黒字化を果たし、退職。
2016年4月、資本金450万円の会社を引き継いで今のidGを立ち上げた。
役員4人の役員を含めて社員6名。現在、自己資本は250万円。
普段は栗東市(滋賀)で在宅勤務し、名古屋の会社と関西を往来する。

「10年間のサラリーマン生活で毎年決算書と睨めっこして、
次の期になるたびにゼロになる売上やPL(損益計算書)に耐えられなかった。
これからはBS(バランスシート)に注視して、自己資本を殖やします」。
そう語る奥村さんは、10年後のビジョンとして「社員10名、自己資本1億円」を掲げる。

「人が仕事をつくり、仕事が人を育てる」
「数多くの出会いと別れを経験した中で今、私があるのは出会えた人のおかげ。
一時一時、本気になれたからこそ楽しかった。これからも未来に馳せて
仲間を大切にして人生、頑張っていこうと思います」
社会人14年目の新米起業家は、こう言い切った。

ちなみに、自己資本は会社の貯金だ。
個人の貯金と違って企業の自己資本を貯めるには「税金川」を渡らなれればならない。
10年間で250万円をいきなり1億円にするのはあまりにも非現実的だ。
役員さんが4人いるなら、1人1000万円で4000万円。これを目標としてはどうだろう。
自己資本4000万円を実現すれば、銀行から4億円の資金を引き出せる。
そのためにもBSビジョンを公言し、幹部社員共有することが大切だ。

起業家とは変化をチャンスにする人だ。
一番いい変化は向こうからやってくる逆境だが、自ら変化を起こす人にもチャンスが訪れる。
大きなビジョンを持つことは、大きな逆境を自ら課することになる。
自ら変化を起こす奥村さんの未来には、大きなチャンスが待ち構えている。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「人が仕事を創り、仕事が人を成長させる」私もそういう想いで毎日働いています。すごく共感できます。10年後のビジョンもぜひ叶えてください。
・ 経営していくまでに何か必要か。ぜんぜん知らなかったのでやっと理解できた。
・ 「経営者は極端な見方をする」。高い目標でやってみるともっと奥村さんの可能性が出ると思いました。お互いやっていきましょう。
・ 大勢の人をまとめ、人の上に立てる素晴らしいものをお持ちの奥村さん。まじめで素直な方なので多くの人に信頼され、力を貸して頂けるのでしょう。
・ 私も自分自身の棚卸をしよう! 結婚も頑張ろうと元気をいただきました。
・ 自分の人生も3つに分けてみたらどうなるんだろう? 考えてみたいと思いました。
・ 真剣に自分の人生と向き合った人生の棚卸。包み隠さずさらけ出しての発表に引き込まれました。

投稿者 Katsuo : 00:38

2016年09月12日

No.1740 大阪木村塾BS経営セミナー 9月度開催

9月6日 大阪市北区にある手品家梅田店で大阪木村塾BS経営セミナーを開催。
ゲストスピーカーとして広告代理店(株) YU-MEプランニング代表取締役の本村優子さんに
お話しいただいた。
今年4月には、体験ツアー・オプショナルツアーの企画・運営や動画で観光PRを
する一般社団法人スマイルトラピック協会も立ち上げ、理事長も務める。

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本村さんは1974生まれ。
毎日放送ラジオテレヴィセンターに10年間勤務した後に同社を設立。
サラリーマン時代はテレビやラジオCMのスポンサー探しで
大企業や広告代理店を回り予算交渉業務をした。そんな経験を活かしての起業だった。

資本金は1000万円。創業当時に苦い経験がある。
旅行会社と組みバンコクツアーを企画したところ、コンサート前日に現地でデモが発生し
あえなくコンサートは中止。
俳優のギャラの支払、会場の支払などで400万円の損失を出した。
「イベントはギャンブル性が高いことを痛感した」と話す。

以後、芸能人やコンサート、地方観光などの残り600万円で回せる小さなPRを手掛けた。
活動がマスコミに取り上げられたのを機に、
青年会議所、ロータリークラブなど大手経営者クラブに人脈ができ、自らも入会。
交際費が嵩んだため「それなら自分で店を」と、北新地にバーをオープンした。
年間約1億を売上げ、7000万円の利益を出したこともある。

しかし、勢い付いてオープンした2件目で大ゴケ。2店とも閉店した。
「仕入れにお金をかけ過ぎたのと従業員を増やし過ぎたこと。広告代理店との掛け持ちで
心労が重なって体調を崩した」と話す。

HISの澤田社長のアドバイスも受けて今年4月に立ち上げたスマイルトラピック協会は
普通では体験できないようなことをコンテンツに入れ、ツアーを企画・運営する。
設立に際し出資者を募った。
「両親から『借金だけはするな! と言われていたので無借金で事業をしてきましたが、
ある方に『無借金経営は自分のお金を回しているだけのおままごと。もっと社会に
貢献できる大きな事業をしなさい』と言われ、銀行にも融資を受けました」。
本村さんを含め映像会社の経営者など4名の役員は、出資者でもある。

最後に「子どもの頃からの夢だった『世界中を回って笑顔を増やしていく』。
それが現実になっていっていると実感しています。
価格競争に巻き込まれない、差別化コンテンツを今後も増やし
一緒に働く皆と共に成長していきたい」と結んだ。

本村さんが旅行代理店で最初に行っていた経営は、まさに「PL経営」だった。
売上を追いかけ、経費をザクザク使い、店舗を増やす。
しかし、それでは経営は持続しない。

強い会社、持続する筋肉質の会社にしなければならない。
そのためにはPL(損益計算書)ではなくBS(バランスシート)に注力し
毎年毎年、儲けた利益の中からきちんと税金を払って自己資本(純資産)を殖やす
「BS経営」に切り替えることだ。
ビジョンをBSで語り、社員と共有するBS経営は、社員を育てる経営でもある。

本村さんはスマイルトラピック協会で「自己資本1億円」を目指したいと宣言されたが、
一般社団法人は「営利を目的としない団体」。それは自らの会社の中で実現するものだ。

会社経営に必要な資金を集めることは「借金」ではなく「資金調達」。
本村さんが「無借金経営の呪縛」から脱出できたのはよかったが、
今後は自身の会社にもお金を回して自己資本を高めていくことが課題となる。

経営者とは「人・もの・お金」という社会資源を使って、
それを10倍にも100倍にも殖やして社会に還元していく人。
非常に明るくエネルギッシュな本村さんは、人を集める力がある。

明治時代の起業家、渋沢栄一は「経営は右手に論語、左手にソロバン」といったが
起業家は言葉と数字の両方が必要だ。
ビジョンを数字で掲げ、決算書で証明したい。決算書は経営者の成績表。
BS経営を深めて数字に強くなれば、本村さんは名実ともに起業家になるだろう。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「無借金経営は会社のお金を回しているおままごと」。すごく感銘を受けた。お金の使い方をしっかり勉強して、他人のお金もうまく使って会社を大きくしていかないと自分だけが幸せになり、社員さんを満足させることができない。
・ すごい行動力の持ち主! まさに失敗を経験に置き換えて歩んでいる本村さんの生き方に感動しました。すばらしい起業家に育っていかれると期待しています。
・ 会社が育っていく段階や経営方法が分かった。やってみないと何も始まらない! 私もまずやってみます。
・ すばらしいビジョンを聞いてワクワクしました。私もツアーに参加したいと思った。
・ 木村会長のお話しはいつも自分の背中を押してくれます。本村さんの話も色んなチャレンジをされていてすばらしいと思った。
・ 明るく元気にほんわか語っておられましたが、信頼をとても大切にする本村さんは、必ずビジョンを実現される方だと感じました。
・ お客様のニーズに対してどんな戦略を立て、戦術を取ったのか。もう少し聞いてみたかった。

投稿者 Katsuo : 01:27

2016年09月06日

No.1739 木村塾やってみよう会8月度例会A

8月30日、大阪市北区の手品家梅田店にて第92回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「我が人生を語る」は、高級ブランド腕時計のネット販売で業界トップに立つ
潟uルーク代表取締役の青松敬介さん。2年ぶりの再登板だ。
今年、「ランドマークをつくりたい」と心斎橋にあるビル1棟を購入しリアル店舗を出した。

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1971年生まれ。出身は山口県下関市だが、わが郷里と同じ島根県益田市育ち。
4人兄弟姉妹の次男坊で兄は、ゴルフ用品のネット販売で業界首位の実績をもつ
潟潟Aルマックスの青松勇介さん。ご両親を含めて一家揃っての起業家だ。

「勉強もスポーツも苦手。まるで『のび太』だった」という。
農業高校卒業後、大阪の銀行(信用金庫)に就職した。平成元年、バブル全盛期。
貸付係を経て19歳で外回りを担当。「将来、自分も社長に」と夢見た。
「成功する社長は仕事好きで従業員を大切にする。
消える会社の社長は40歳前後で引退してハワイに住みたがる。決算書が読めない。
キャッシュフローでお金があれば潰れないが、自己資本を貯めないであるものを
全部使ってしまう傾向がある」など、シビアに分析した。

しかし、銀行では業績ビリのダメ社員。営業職は向いておらず、わずか3年半で退職。
次に勤めた人材派遣会社の営業職もすぐにギブアップ。
ただ、バブル全盛時代に金融機関にいたことはものすごく勉強になった。
「思えば21歳までは成功体験なしの人生。そんな中、妻と職場結婚できたことが唯一の成功体験でした。
この人を不幸にしてはいけない。初めてスイッチが入りました」という。

青松さんの潜在能力に火が付いたのは、3回目に勤めた創業間もない通販のベンチャー企業。
アイデアマンの社長が次々に打ち出す無理難題の要求に挑戦した。
誰よりも早く出社して誰よりも遅くまで働いた。
50人の部下の中で最年少。「有能な社員が大勢いましたが、超ハードな職場で
私だけが楽しみながら仕事をしていたと思う」。

1、2年目は失敗続きだったが3年目に成長した。
「失敗が経験になる。3年続けると自信になる。これが一番根っこの経験」。
「やったことないことしか、やらない」。それが青松さんの信条なった。

1999年、国庫金を借り布施駅前で奥さんと漫画喫茶を開業した。
当初、月商は60万円ほど。経費を差し引くと20万円しか残らない。
そこで考え付いたのが不要本のネット販売。
1冊100円の中古本が、セットしてシリーズ本として売れば300〜500円になる。
足りない本をブックオフで買い集め、ネットで売ると売上も荒利も店舗を上回った。
もっと効率よくできるビジネスはないかとスタートしたのが
「やったことない」新品時計のネット販売。
7000円で仕入れた腕時計セイコー・ファイブ4本をヤフー・オークションで販売。
その売上でパソコンソフトを買って本格的にネット販売を開始。潟uルークを設立した。

それから16年。「PLではなくBSを核にした数字経営と、数字の見える化」に取り組み、
新品時計のネット販売では日本一の実績を誇る。
2008年に掲げた
「2025年に自己資本30億円。Eコマースを中心としてブラント販売し、
世界一の会社をつくっていく」というビジョンに向かって着実に邁進中だ。

一方「失敗は誰にも負けないくらい多い」という。「失敗の塊になってここに立っている」とも。
一昨年には立ち上げた事業の大半が全滅した。
幹部の大半が辞めてしまったこともある。
「後ろをみたら誰もついて来ていなかった。理念が浸透していなかったのです」。
その理念のキーワードは、「感動」と「成長」。
お客様に利益と感動を届けするためには、社員の自己成長が欠かせない。
「経営者は社員に自己成長のチャンスと環境を用意すること。いい社長になってはいけない、
社員が困難を乗り越えるようになってもらうほうがいい」。
その理念に共感する社員しか採用しない。

まさに「やってみた」人、「カタチを変え」「新しいメシのタネを創ってきた」起業家だ。
私とも共通点が多いが、その最たるものは学校の勉強をしていないということ。
それでも、青松さんはスケールの大きなすばらしい起業家になった。
なぜか。それは「やったことのないこと」を「やってみた」からだ。

「ビジネスは川の流れに乗る」
「ハートがバクバクするほど没頭している時に成功する。半新半疑では成功しない」
「自分をワクワクさせる、自分に電流を与えるような刺激が好き」
語録ができそうなくらい、その言葉にはエネルギーに満ち溢れている。
質問タイムでは、青松さんの成功の秘訣やパワーの源を探ろうと質問が相次いだ。
会場全体にプラス思考の空気が満ち溢れた。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「やったことないことしか、やったことかない」という言葉が印象に残った。「やったことない人のほうが成長する」「やったことある人は先入観に縛られてしまう」。新鮮な考え方だったが納得できた。
・ 消える社長の共通点として「決算書が読めない」「40歳前半で仕事を辞めてハワイで暮らしたいと考えている」。質問時の「妻は自分の鏡」も勉強になりました。
・ 「もし自分が時計やの息子だったら先入観の塊でうまくいかなかったと思う」「人の成長にはBSが必要」。とても勉強になった。
・ 「ビジネスは川の流れに乗る」「没頭している時に成功する」「自分をワクワクさせる、自分に電流を与えるような刺激が好き」。素敵な言葉に出会えました。
・ どかんなに大変でも辛くて苦しくてもやり切った先には必ず成果が残る。ビジョンが明確でないとできないと気付きました。
・ やる気とエネルギーのある方は数字にコミットしていると感じた。売上ばかり見ていましたが利益を見るようにします。
・ あっという間の時間。青松さんの話の内容は手の届かないことばかり。でも、自分でもできるように感じた。
・ 自分の回りにプラスの刺激を与えてくれる仲間に身を奥ことが大切だと学んだ。
・ 考えているようで実は先入観の塊ではなかったか? 自らに問いかけました。とても面白かった。
・ やったことないことをすることで成功できる。理念を共感する人のみ採用する。川の流れに乗る。青松さんの堂々と語る姿、自信に満ちてかっこよかった。
・ 常にアンテナを張り刺激を受けているつもりでしたが、もっと繊細にやること、数字につなげていかなければと思いました。
・ 現状に満足しない。自分に刺激を与え続ける。これがとても大切だと気付いた。
・ 「1年目、2年目は失敗しても3年目は成功する」「いい社長ではなってはいけない、社員が困難を乗り越えるようになってもらうほうがいい」「良き友人をつくる」「家族を幸せにしないといけない」「数字を出す」「川の流れに乗る」等々、いい言葉をいただきました。
・ 木村会長の「うまくいけばお金が儲かる。失敗しても経験が儲かる。何もしないのが一番損」。頭に刻みました。
・ 固定観念をリセットし、経営者としてもっともっと学び大きな志を持ちたいと思った。
・ 「やったことないことにチャレンジする人が成功する」「できる範囲を考えない」。自分に欠けている2点。気付きを与えていただきました。失敗を恐れずチャレンジします。
・ 「成長の角度が幸せのバロメーター」「自分より大きな会社の経営者と付き合って悔しいという刺激を受ける」という青松さんのモチベーションに感銘を受けた。

投稿者 Katsuo : 06:47

 

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