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2012年11月20日

No.1162 我が人生を語る 第30回「木村塾やってみよう会」11月例会

11月16日、大阪駅前第2ビル4階 大学コンソーシアム大阪にて、第30回「木村塾やってみよう会」が開催された。
恒例の「我が人生を語る」は、KKFCの「ゆるキャラ」こと、シージェーソフト代表の中澤良二さん。

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「Good evening every-one. Tonight, I told you a story of my life・・・」
冒頭から流暢な英語で始まったスピーチは、つかみからしてうなる滑り出しであった。

風光明媚な小豆島出身の中澤さん。
周りに見えるのは海と山だけ。大自然に抱かれて「何も考えずボ〜っと」育ちましたと笑う。

小学校6年生の時にロック音楽との運命的な出会いがあり、
ギターに熱中し、ミュージシャンを夢見る少年だったとのこと。
中学校ではバレー部に所属。
その時に身に付けた「何くそ根性」こそが中澤さんの武器になっていく。

大学では美人の先輩に声をかけられ、なぜか和楽部に入部。三味線で民謡を奏でていたという。
そして学問では、人物にフォーカスすることで歴史が面白くなり、特に西洋史が好きになったそうである。
もうひとつは情報科学が初めて開講され、のちのち飯の種になるコンピューターにのめりこんだ。

卒業後はゴルフ用品メーカーの企業に就職。
英語を勉強して外国の人とコミュニケーションしたいという思いは募るなか、貯金が2百数十万円になったのを確認して退職。これを軍資金に26歳でオーストラリアへ渡航する。

オーストラリアでは英語学校に通う傍ら、安い中古車を購入して遠くまでドライブし目いっぱい楽しまれたそうだ。
伴侶となる奥様とも出会い、カナダからヨーロッパ9カ国を回って日本に帰国する。

帰国後はシステムエンジニアとして再就職。
その後、バブルの崩壊により会社が分裂。
中澤さんは迷わず起業し、フリーのエンジニアとして開業する。

頑張りがそのまま稼ぎになる。
そんな自営業者のやり甲斐や面白さを実感したものの、しばらくすると企業の目的やお金儲けに対して疑問を感じるようになり、セミナーに通い出す。

そして2011年4月1日。「逆境にまさる師なし」の講演で、私にたどり着いたそうだ。
PLの数字を追求しても分からなかった企業経営の極意がBS経営にあったと。

最後に中澤さんは、60歳の私からの手紙を発表された。
「自らの会社経営でBS経営を実現する。そしてBS経営を支援する会計販売管理・給与管理ソフトウエアを開発し、日本の企業を元気にする」という内容の2023年ビジョンであった。

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中澤さんの素晴らしさは、我が身に起こること全てを肯定的にとらえるところである。
60歳の私からの手紙は、数字がたくさん盛り込まれていて特に良かったと思う。
私がずっと欲しかったBS経営のソフトをつくってくれるとは、誠に嬉しく期待が膨らむ。

人生は思ったとおりになる。
夢や目標を公言すると、そのとおりに人生が展開していく。

今回も素晴らしい発表に感動。
これからも共により以上を目指して、お互いを高めていきたい。



 

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