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2015年03月28日

No.1576 木村塾 やってみよう会 3月例会A

3月24日、大阪市北区の「手品家・梅田店」にて第59回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回の「我が人生(経営)を語る」は、潟tジムラの代表取締役橋本秀一さん。住之江区で鉄工所を営む。

「生まれは大阪市浪速区・・・らしいです。出生については誰からも教わることなく
4歳まで祖母の手で育てられました」。
こんな告白から始まった橋本さんの人生は、小説よりもドラマチックだ。

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1951年生まれ。「父親はヤクザな商売をして家を出たようです。母親のことは分かりません。
その後、叔母(父の妹)夫婦の養子になりましたが、実親のことを尋ねるのはタブーでした」と話す。
養母は折々「おばあちゃんにあんたを押しつけられた」と愚痴をこぼし、辛く当たった。
「今思えば養母も、血のつながりのない私を引き取ってくれた養父に遠慮があったのでしょう」。
グレもせずに育ったのは養父が優しかったこと。「物を大切に。人とのつながりを大事に」と教わった。
毎月、祖母から届くおもちゃやお菓子の入った荷物が心を癒した。

大工だった養父の仕事の関係で全国各地を転々。成績はよかったが、中学を卒業すると
定時制高校に通った。昼間は働き夜から学校に行く。部活もした。
下駄箱の前で出会った女子生徒と恋に落ち、19歳の時に彼女と掛け落ちして大阪に出た。

鉄工所に勤め、新婚生活は3畳一間のアパートから始まった。
ボイラーを造る流れ作業。「飽き性」の橋本さんは欠勤したり自転車出勤の途中に映画館に立ち寄ったり。
そのためラインから外れ雑用の仕事に配置されたが、
「何でもこなせて潰しのきくこの経験が、その後の人生に役立った」と振り返る。

7年目に会社が倒産。計画倒産だった。
労働組合員だった橋本さんは、社員を代表して仲間3人と会社に泊まり込み真相究明した。
3カ月ぐらいで解決すると思った会社との交渉は結局3年かかった。
その間、工場内で細々と仕事をしながら闘い抜き、最後は解決金として200万円を獲得。
このお金を出資金にして4人で新しい鉄工所を創業。それが現在の「フジムラ」だ。

28歳で最年少だった橋本さんは請われて社長に。しばらくは円滑に回ったが次第に摩擦が生じ始めた。
事件が起こったのは、6カ月ほどしたある日。月商500万の同社に2,000万の不渡り手形が舞い込んだ。
「3年間寝食を共にして仲間だと思っていた人たちは去り、奈落の底に落ちました。
この時ほど苦しいことはなかった。首を括って死のうかとも思いましたが、どうにかなるやろうと。
会ったことはないけど大ざっぱな性格に産んでくれた両親に感謝しました」

倒産の危機にさらされる中、自らも手形発行。取引先にジャンプを頼み夜中も正月も稼働して
2年で返済した。
逆境をはねのけたことが逆に信用となり、事業は急転した。
「苦難福門」「よくなる前には必ず苦難が来る」と話す。

ギブアップしなかったのは「負けたくないという思い」と「根拠のない自信」。
「35年間、色んな人に助けられて撞きだけでやってこられた。営業はしたことがありません。
ご縁つながりです」。
オイルショックの時も、高齢で廃業するという同業者から顧客を含めて仕事を譲り受けた。

V字回復する中、ISOの国際基準を導入、工場を革新し働きやすい職場にする一方
社員教育にも力を入れ始めた。
社員が増えていった。あるとき「近所でも札付きの悪ガキ」が入社した。
「男の子は少し悪いぐらいがいい」。仕事を任すとどんどん伸びた。
「この会社は私限りと思っていたのですが、この子らのために残さねばと思うようになりました」。

新工場の建設を検討していた橋本さんに、2008年のリーマンショックが後押しをした。
「4〜5億円もするような物件が、手の届く所に降りてきたのです」。
物件を購入すると「夢工場プロジェクト」を立ち上げ、社員全員でカタチにした。
完成した「夢工場」はアスレチックルームや卓球場などの設備や託児所も備える。

社内ではインターンシップや障がい者雇用もはじめ、
「若者たちが行きたくなる製造業」としてマスコミでも注目されるようになった。

家庭生活では2女に恵まれた。
現在63歳の橋本さんは、新たな夢を抱いている。
「2年後、借入が終わって社長交代したら飲食店を開きたいのです。昼は安くて早くておいしい定食屋。
夜は少し高くも心地よいサービスを提供する癒しの空間に。ちっちゃな夢かもしれませんが、
私にとっては大きなビジョンです」と話す。

話を聞いて私は3つのことをお伝えした。
まず、「最善観」を持つこと。天から与えられた環境を受け入れた上で自分を肯定することだ。
0.1%も否定してはいけない。否定した0.1%が言い訳になって潜在能力を封印する。
二つ目は橋本さんの話に何度もでてきた「夢」という言葉。
橋本さんの話は常時追い続けてカタチにされた。ハングリーであることは夢を生む。
三つ目は「手形」だ。最近はご存じない方も多いが、まだ無くなってはいない。
「約束手形」は期限付きで現金化できる有価証券だが、支払われる保証はない。
ビジネスは信用が武器。手形は絶対に発行しないと心得たい。

逆境の大きさは、天が与えてその人の器だ。欲しくでも百貨店では売っていない。
天から与えられないときは大ボラを吹くことだ。自らが創る壁に挑むことだ。

逆境人生をパワーに変えてきた橋本さんに鳴りやまぬ拍手が贈られた。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「良くなる前には苦難がある」「営業するよりご縁でつながり」「その日を一生懸命生きる」。心に刻みました。
・ 「自分の周りの人たちは必ず幸せになる」この言葉に救われました。苦難を乗り越えてこられた方だからこその言葉だと思います。自分が幸せになって人に多く与える。勉強になりました。
・ 「毎日おばあちゃんから贈り物が届いた」という話を聞いて、橋本さんその笑顔から溢れる何とも言えない温かさは、そこから来たのではないかと感じました。
・ 潰しがきくことが大切。柔軟性がないと可能性を狭くすると感じました。「根拠のない自信」には必ず裏付けがあると思います。私もその裏付けが創れるよう毎日を大切にします。
・ 「よくなる前には必ず苦難が来る」というワードが印象的でした。皆が集まってくれる幸福。人のために会社を創る。人のために何かをすることがエネルギーの根源だと思いました。新たな飲食店、非常に楽しみです。
・ 逆境をチャンスに変える「逆張り感」を見習っていきたく思います。笑顔が印象的で輝いて見えました。
・ 様々な苦難、障害を乗り越えてこられた橋本さん。印象に残った言葉かあります。「営業するよりご縁でつながる」「思い付きでやったことは時代が後押しする」「次のステップに行く前には苦難がある」。
・ 63歳で今の仕事とガラッと違う夢を抱いておられる姿に感動しました。私も頑張らねばと!
・ 経営者として多くのヒントをいただきました。「営業するよりご縁つながり」「時代の後押し」。夢工場を見て見たい。
・ 企業価値を高める智恵を学ばせていただきました。
・ 最後の会長のお話「逆境は器。しかし逆境は百貨店に売っていない。大ボラを吹くことや」も、インパクト大! 新鮮でした。

2015年03月27日

No.1575 岐阜木村塾 第3回セミナー開催 

3月23日 岐阜県各務原市にあるデイサービス笑顔いちばん本店ビルにて
岐阜木村塾 第3回セミナー開催。
セミナーの前に峰本塾長のご案内で県内にある2社を訪問し、BSビジョン策定の
助言をさせていただいた。

C社は空調設備の施工、メンテナンス技術に特化した企業で創業45年。
事業継承する40代半ばのF社長は、第2創業を掲げ、地球環境にも貢献する快適空間創造業を目指す。
会社設立から36期。決算書を見ると実直な経営の結果として厚いBSを築いておられる。
課題は貯まったBSをいかに活用していくか。経営に「株主視点」が必要だ。
決算書からROE(自己資本利益率)やROA(総資産利益率)を読み取ることだ。

ROEは「自己資本をいかに効率的に利用して収益を上げているか」を測る指標。
ROAは「総資産(純資産+負債)をいかに効率的に利用して収益を上げているか」を測る指標である。

BSビジョンのゴールは50期、F社長が60歳になる14年後。
「いままでBSを意識することもなく、貯まった資金を運用するという発想がなかった。
強くてよい会社になるようBS経営を学んで、このBSビジョンに向かいます」と決意を表明された。

製紙会社のY社。こちらも創業から40年を越える老舗だ。Y社長も2代目で51歳。
需要減とコスト競争が激化する業界で今後のビジョンについて模索されている。
しかし、案ずることはない。BSビジョンが決まれば戦略が生まれる。
第1次ゴールはY社長が還暦を迎える9年後。
それまでに無借金経営をめざし、そこからスタートしてもまだ20年間経営に携われる。

両社とも業種を限定する社名を付けておられるが、
激動する時代の中で勝ち抜くためには柔軟性のある社名に変えて変化対応することも一案だ。
BSビジョンが固まるにつれてY社長の険しい表情がどんどん明るくなる。

セミナーでは、「BS経営」をテーマに、自己資本1,000万円から20億円に引き上げた
ここ20年間の弊社の進展を事例に挙げ、BSの威力となぜそのようなことができるのかを解き明かした。
また、企業訪問と連動して両社長より決算書を開示して策定したビジョンを発表していただいた。
力強く発表される両社長。
登る山=ビジョンが決まれば人のもつ力をあらためて見せつけられた。

セミナー終了後、ビルの2階フロアで開かれた懇親会。ここでも質問が相次ぎ学びの場に。
毎回、リピーターに加えて新規の方にご参加いただき、パワーアップしている。
関係者の皆様、参加者の皆様に感謝申し上げたい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ Y社長の発表を聞いてBSビジョンを持つ力強さを感じました。イキイキと語るY社長。いかにBSビジョンを持つ必要があるか。どうBSビジョンを創っていくのか。木村塾、企業訪問を通して学びたいです。
・ 「成功と失敗が同軸上にある」「成功の反対は何もしないこと」は非常によい言葉でした。どんどんチャレンジしていきます。
・ PL思考でした。BS経営を学び、活かして良い会社にします。ビジョン=大ボラが少ないので「大ボラ吹き大会」を開きます。
・ ストーンと入りました! ありがとうございました。
・ 公言したことで私の目標計画になりました。木村会長の生き方を感じ、健康にも気を付けて60歳から黄金期を迎えられるように夢を持って頑張ります。「やってみなわからん」「チャレンジ精神で自燃型の人間」に!!
・ 本業1本だけでなく柱を2本、3本にしたい。チャレンジするしかないかは自分次第。
・ 闘志に火がつきました。1回1回聞くごとに理解が深まります。非常によかったです。
・ 単利は複利に勝てない。他人資本と自己資本を合わせて稼ぐ。自己資本だけで稼ぐのは額が小さい。非常に勉強になりました。
・ 経営者ではありませんが、経営を知ることで自分が社内で何をすればいいのか、どのような立場にいるのか、よく分かりました。起業家になるつもりで仕事をしていきます。
・ 娘と参加しています。PLやBSの話はわからなくても「世の中、やる人が、からない人かしかい。やる人はやれる方法を考える。やらない人はできない言い訳を並べる」という話を一緒に聴けてよかったです。
・ 未来からの手紙を書く。目標を具体的に計画して行動していく。子どもに対して自信が持てる人間、父親になります!

2015年03月26日

No.1574 木村塾パワーアップセミナー「経営資源(人、モノ、カネ)をどう活かすか」

3月17日、北区にあるマジック・バー「手品家・梅田店」で第1058回パワーアップセミナーを開催。

テ―マは「経営資源(人、モノ、カネ)をどう活かすか」。
まさに世界中の「人、モノ、カネ」が集まる上海から帰国して2日目のセミナー。
興奮覚めやらぬ中でこのテーマをご提案させていただいた。

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・人の良いところを伸ばす、客に喜んでもらう、カネは潤滑油。
・理念の為に活かす、経営資源で経営資源を増やす。・すべて滞ってはいけない。
・人が大事、モノづくり企業から人づくり企業に、臨機応変に取り組む。
・カネは消費ではなく投資に使う。
・経営と会社経営、自分が人モノカネを動かす、まずは自分・・・等々

難しいテーマだと顔を曇らせていた方もあったが、皆さん前に出ると見事に着地された。
正解などないのだからアイコンタクトを取りながら堂々と話せばいい。

「人・モノ・カネ」これに「情報・市場(マーケット)」を加えた5つの資源を
足し算ではなく掛け算にして付加価値をつけ、50にも100にもするのが経営だ。

人とは自分を含めての人財。自分を活かしているだろか。自分に投資しているだろうか。
モノとはビジネス。製品だけではない、目に見えないサービスが含まれる。
カネは調達資金。手元になくても日本の銀行には眠っているカネが山盛りある。

いまや誰もが全世界どこにいても取れる情報。
ただし、ネットで得たデジタル情報だけを過信してはいけない。現地を訪れ人と会って
五感で体感する。そんなアナログな関係の中から生まれる情報とのバランスが大事だ。
そしてマーケット。これも、自分で選び創ることができる時代。
上海では、日本を飛び出して大志を抱いてビジネスする若者たちに大勢出会ったが、
人口3,000万人という街のスケールが、人の考えを創り、ビジネスのサイズを変える。

もちろん、大変化の渦中にいるこの日本も、大きなマーケットであることも忘れてはいけない。
明治維新に坂本龍馬や渋沢栄一のような起業家たちがどんどん輩出したのも、大変革の時代の要請だ。
変化する今こそチャンスなのだ。

すべては自分次第。自分を創り上げることだ。経営資源の活用はそこから始まる。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 自分を活かしているか? 自分を問うきっかけになりました。先ず自分を活かすよう考えます。
・ パワーがアップしました。この場に来ると元気になります。場がエネルギーの集合体になっています。やる場にいるとやる気になり、やり方が生まれます。
・ 経営資源を活かすには、自分をどう活かすか。自分にどう何を投資して、成長させるのか? やはり自分の成長が必要だと思いました。
・ 市場、マーケットを意識しているか? その大きさでビジネスのサイズも変わる。
・ 人、もの、カネを資源として活かすのは、まず自分を創り上げた上に成り立つ。人生理念をしっかりと決め、どうやって使うかを考えて適所、スキル、エネルギーを活かす。
・ 経営資源について考えるきっかけをいただき感謝です。Hさんの「自分を掘り下げる理念。高く横にして人の幅を広げる。器のでかい人間になる」というお話。すばらしいと感じました。
・ 人=自分を活かしているか? モノ=ビジネス。大きな市場が考え方を創る。今回の気付きです。
・ 人生理念を先ず決める。「自分を活かす」「デジタルとアナログのバランスが大切」という会長の言葉が心に残りました。
・ プレゼンの時には元気よく大きな声で話すこと。聞き耳を立ててもらえる事が分かりました。

2015年03月24日

No.1573 「木村塾&メシの種探しツァー in上海」番外編 

連日、街を歩きパワフルな起業家に会い、おいしい中国料理に舌鼓を打った3泊4日の上海。
ただ、残念だったこと一つがある。
それは空。滞在中、一度も青空を見ることがなかった。大気汚染は予想以上に深刻だ。
しかし、言いかえれば「環境や健康」分野は、この地ではまだまだこれからということだ。
日本の技術力や安全な製品に期待がかかる。

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そんな上海でいま快進撃を続ける「快楽檸檬(ハッピーレモン)」というドリンクスタンドがある。
搾り立てのレモンジュースを緑茶で割り、ゼリーやプリン、果物を加えたものなど30種類ほどあり
1杯150〜380円。
香港系企業「仙踪林」が2006年から中国で始め、上海ほか中国60都市に約500店舗を展開する。

人気の秘密は安全性だ。レモンはすべて台湾から仕入れ中国色を払拭している。
また、レモンをモチーフにした可愛いキャラクターが登場し、会員カードを発行してポイントを
貯めると、キャラクターグッズが貰えるという戦略が成功している。
実はこの戦略はハローキティーやミスタードーナツに習ったものだ。

中国でビジネスを展開する現地法人のプロジェクトマネジャーの林太一さんは台湾出身。
立命館大学に留学し会社勤めを含めて関西で8年間暮らした後、上海に渡った。
奥さんも大学時代の同級生で大の日本好き。
「日本で学んだことを活かして世界ビジネスに挑みます」と意気込む。
快楽檸檬は他にマニラ、ソウル、タイにあり、2014年のニューヨークに続いて今年はボストン、ロンドン、
夏には原宿にも登場するという。

最後に上海木村塾を開催していただいた井上光晴さん(32歳)の話をしたい。

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高校時代にはテニス選手として活躍した井上さん。「スポーツ栄養」の視点から
中国の薬膳を勉強したいと南京に留学した。
1年間の語学学校を経て、薬だけでなく医学も学べる難関の南京中医薬大学に入学。
ところが、在学中に在留日本人向けの情報紙を発行したのをきっかけにビジネスの面白さに開眼。
「医学よりもビジネスで世の中の役に立ちたい」と、方向転換して大学を辞め現地で起業した。

情報紙や雑誌づくりで身に付けた資金調達のスキルやネットワークを武器に
美容室を皮切りにレストランやバーを次々と開いたが、飲み過ぎが祟って入院。
起業はひとまずお預けにして、生活を立て直すため南京にある日系の商社に就職した。
営業職。初任給12.5万円からスタートし、2年目には交渉して給料が2倍に。
しかし、3年目になると「本社の規定にない」と頭打ちになった。

4年間勤め、ヘッドハンティングされて転職したのが、上海にある現在勤務する会社だ。
食品系では世界最大級の米国系商社で、井上さんは仕事ぶりが認められ
若くして部長のポストに就いている。
しかし、ここに安住することは考えていない。ゴールはあくまで起業だ。

その足掛かりとして、同じ志を持つ仲間と上海で2店舗の洋食屋を出店している。
運営は人に任せ、オーナーとしてセカンドマネー、サードマネーの道を創る。
井上さんは、夢と合わせて65歳までの人生プランを皆の前で発表してくれた。

2028年45歳で年収100億円を目指します。そのお金で財団をつくって
私たちのように世界でビジネスしようという若者を支援したいのです。成功した人が
後輩を支える仕組みをつくる。これが私の夢でありビジョンです」と力強く語る。

上海というビッグなステージが、井上さんをはじめ大きな志をもった若者たちを育てる。
どうか皆さんも大きな夢、大きなビジョンを抱いて紙に書き、公言してほしい。
公言すればできる方法が見えて来る。コラボする人が集まってくる。

10年単位でビジョンを創って向かっていけば、必ず成果を実現できる。
80歳まで仕事をするとして、20代なら6回。30代なら5回。50代でも3回。
皆さんはまだまだ何倍も大きくなれるはずだ。
大ボラを吹いてすばらしい未来にチャレンジしてほしい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 現地で活躍されている方々から「5W2H」の大切さを再認識しました。
三上様より 人の話を聞く力 What(情報)
中澤様より リアルビジネスで人は動く When(スピード)
片岡様より 魚の釣れる場所で商売 Where(場所)
筧様より 「自己人」のネットワーク Who(人)
倉富様より 社外の力(アウトソーシング) Why(小企業)
郭様より 新規営業はしない How much(取引)
楊様より 本当の中国 How(ビジネスモデル) 
また、「楽しい食事」の大切さも実感しました。毎晩ホテルに戻ると2025年までのビジョンを描き、内なる自分に言い聞かせていました。今回のツアーで出会った全ての方々に感謝いたします。
・ ビジネス視点では初めての旅行でしたが、人、もの、カネの3つで全て驚きでした。起業家として人が育つ土壌があり、なんと向上心が強くエキサイティングな人たちだと!
今まで日本と中国のビジネスの違いを聞く、読む、テレビで見るなどはしていましたが、肌で触れて感じるのとでは大違いでした。今年、新年に10年計画を立てて10年後の私からの手紙を書いたのですが、立てた目標を上方修正します。多くの人たちを見て心の壁がなくなり、俺にもできるはずだと確信が持てました。
・「人・もの・カネ・情報・マーケットが集まる」とはこのことか、と全身で体感しました。また、何度も何度も失敗しながらチャレンジし続ける起業家の皆さんから直にお話を伺って、一度切りの人生、私も自分の使命を果たさねばと心が震えました。同時に、メシの種は海外にあるのではない。実は「自分の中にある」ということに気付きました。

2015年03月21日

No.1572 「木村塾&メシの種探しツァー in上海」 そのC 

「世界の工場」から「世界のマーケット」へ移行する中国。
90年代から加熱した中国進出はピークを過ぎて撤退する企業がある一方、
新たなビジネスチャンスを求めて上海に向かう若者たちが後を絶たない。
今回は13日に実施した「上海木村塾」で講師として登壇された熱い起業家たちを紹介しよう。

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先頭バッターは、上海で中国進出日本企業に対する支援や、マーケティング支援、
交渉力支援事業などを行う会社を率いる筧(かけひ)裕介さん。
自社のビジネスモデルを紹介ながら現地ビジネスの核心に触れた。

演劇に魅せられ大学卒業後も役者を続けていた筧さん。上海生きを決めたのは
「泥水を吸って成功して帰ってこい、と起業のチャンスをくれた」オーナーとの出会い。
「今は一隅を照らす生き方をしています」といきいき語る。
「海外起業はサッカーと同じ。ルールブックを読んでもできない。蹴りながら覚えることが大切」。
「中国の人は『自己人』=家族同様に大切な人、『塾人』=単なる知り合い、
『外人』=どうでもいい人、という3つの区分で人に接すると思えば分かり易い。
交渉する際は自己人の枠に入らなければ成立しない」とアドバイスする。

倉富佑也さんは22歳。東京と上海にそれぞれ拠点を設け、主にゲーム系のグラフィックス制作を行っている。
日中のクリエーターが創る作品は、クライアントのゲーム会社から高い評価を受けている。
高校時代から起業家に憧れ、第二外国語で習った中国語を頼りに19歳で上海に渡った。
もとともゲームやITに強かったが「国民性を学ぶには飲食店が一番」と考え、
資金を貯めてパン屋を開店したが惨敗。3カ月で店をたたんだという経験も。

その後、特技を活かしたIT系で再出発。
2013年に20歳で東京渋谷に「パンダグラフィクス」を創業。続いて上海の現地法人を設立し、
現在スタッフは東京40人、中国は30人にのぼる。
2014年夏にはベンチャーキャピタルから億単位の投資を受けるなど財務面でも成長を続ける。
ビジネス誌でも注目を集める倉富さんは、未来の孫正義のようだ。

一方、日本から中国にUターンして起業した中国籍の若者にもお話いただいた。

上海で広告エージェントを経営する郭九誠(かくきゅうせい)さんはハルビン出身。
日本の大学に留学中に、ふと目にした広告専門誌の記事で閃くものがあり
「日本よりチャンスの多い上海に出よう」と決意した。
大学を中退し、訪れた上海でまだ洗練されていない広告を見て「行ける」と判断。
2005年に広告の企画、制作、イベント運営を手掛ける会社を起業した。

マスメディアを使わずイベントや店舗など「オフライン」での販促活動と、
「オンライン」のキャンペーンを活用してコストパフォーマンスの高い広告を実現。
クライアントには日系の大手企業が名を連ねる。
「日本よりもここは変化が激しい。変化しないと新しいものは生まれない」と話す。

楊怡霖(やんえりん)さんは、1979年上海生まれ東京育ち。
財務と会計を学ぶため米国留学を経て外資系企業に勤務したが25歳で退職。
仲間と英会話の家庭教師派遣やIT人財の紹介業など複数の会社を立ち上げる中、
今年から上海に戻って越境ECの会社を設立した。

展開するビジネスは、在庫を持たず、日本を訪れる中国人が日本の魅力を発信してくれることで
日本の商品やサービスを販売するという画期的な仕組みだ。
「日中の懸け橋になりたい」という楊さん。
「中国ビジネスは常に即断が求められる。日本人は車で走行中に衝突しそうになっても、
社長に電話して決裁を求める」とユーモア交じりに核心をつく。

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どんなに斬新で優れたビジネスモデルも、変化の著しいこの街ではたちどころに陳腐化する。
変化対応するにはスピードとアイデア、資金を引き出す力が必要だ。経験は関係ない。
ここにいる皆さんは、チャレンジ精神、スピード感ではピカイチだ。

中国と日本、どちらが勝つかと張り合うのではなく、ともにいい所を取り入れて
「Win- Win」の考え方でみんなを幸せにしてほしいと思う。


2015年03月20日

No.1571 「木村塾&メシの種探しツァー in上海」 そのB 

林立する高層ビルの足元を縫うようにベンツやBMWなど大型高級車が連なって走る。
人口13億の中国で上海の人口は約3,000万人。その中で在留日本人は約20万人といわれる。
ビジネスチャンスはどんなところに潜んでいるのだろうか?
今回は現地でユニークなビジネスを興して成功している元祖起業家をご紹介しよう。

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まず、上海で広告会社と流通システム会社を経営する中澤淳仁さん。
外国人で唯一、中国銀行のロゴ入り機関誌の制作やクレジットカードの管理を請け負うなど、
国営銀行の心臓部と直結するビジネスを展開している。
富裕層の販売チャンネルを持つ強みを活かして、VIPパーティを開いたり旅行を企画したり。
黒子に徹し、銀行に代わってサービスを代行することから自らを「銀行のドラえもん」と比喩する。

理系の大学を卒業後、起業したがうまくいかず、自ら開発した切り花の延命剤の技術を持って
上海を訪れたのが1996年。
折しも流通大手の「八百半」が上海に出店してオープニングイベントが開催された時だった。
「周辺は畑ばかり。こんな所に出店して人が来るのかと思いました。なのに1年経つと
砂利道は舗装され、ビルが林立して」。
翌年、八百半の川向のビルの一室を借りて起業。上海の経済発展を目の当たりにする中
人脈が広がり、最初の頃に知り合った人たちが組織の幹部になり、金融機関の深層部に
関わる仕事を受注していった。

「中国の富裕層はまだまだ元気です。ただし、その層も下から上まである。私たちは20段階にセグメント
しています。高級品、ブランド品なら売れる時代は過ぎて個々のニーズをいかに捉えるか。
それが鍵です」と話す。
また、「調和を重んじる日本人の強みを活かし、たとえば進出熱が高まる欧州の企業との間を取り持つなど
コーディネーター的な役割を果たすことも新分野の仕事として期待できるのでは」と提案する。

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同じく出版事業に携わる片岡寛さん。上海の他、北京や大連など中国全土8カ所に拠点を設け
日本人向けのフリーペーパーやビジネス誌を編集、出版する会社を経営している。
現在発行する13媒体のうち、12年前に創刊した週刊新聞「ジャピオン」は70〜80ページのボリュームで、
毎回300件前後の広告を掲載する。

片岡さんは学生時代に仲間とIT系の会社を起した。その後、2002年29歳の時に会社を売却。
この資金で世界旅行に出て、2番目のビジネス拠点を上海に決めた。

出版経験はなかったが、情報誌なら自分でもでき広告収入に期できると乗り出した。
しかし、勇んで発行した新聞は創刊号でいきなり休刊。
「手続きを踏まなかったのが敗因。ジネスはそんなに甘いものではなかった」と振り返る。

いくつもの苦い経験を通して、サクセスにたどりついた片岡さん。
「ビジネスはやはり人。チーム力です。数ではなく機能別の人財を揃えることと相性。
それと目標設定の仕方」と話す。
現在、150名いる社員のうち日本人は60名。中国全土にいる25名のビジネスパートナーの半数は中国人だ。
また「日本人はよく『普通は?』と標準化したがりますが、中国に普通はありません」。
こんなところにも中国で勝ち抜くヒントがありそうだ。

2人に共通するのは、リスクを抱えて変化の渦に飛び込んでいくチャレンジ精神。めげない根性。
そして人の縁を大切にしていることだ。

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2015年03月19日

No.1570 「木村塾&メシの種探しツァー in上海」 そのA 

3月13日、「第1回上海木村塾」が上海市のビジネス街、淮海中路にあるインテリジェントビル
「環貿広場」の研修室で開催された。
この日は私のほか、現地で活躍される日中4人の経営者を講師に迎えて計5講座も!
ラストバッターの私は、DVD上映を交えて起業家の使命と素晴らしさをお伝えする一方、
「BS経営」にからめて弊社ビジネスを例にお金を活かす「金活」の話をさせていただいた。

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経営はお金を「集める(調達)→使う→儲ける→殖やす(運用)」というサイクルで回っている。
ところが、「使う→儲ける」ことに注力しても資金調達や運用については関心の薄い経営者が少なくない。
しかし、このお金を引っぱって来る力や運用する力の差が、経営結果を大きく変えるのだ。

では、資金調達力や運用能力を付けるにはどうすればいいか。
一つは、大きなビジョンを掲げて「どうすればできるか」と問い続けることだ。
また、会社を「自分のもの」と考えないで、「株主視点」で経営することだ。
売上や社員数で競うのではなく、厚い自己資本を築くこと。
それも「一人当たり」というモノサシで自己資本を測る必要がある。
強い自己資本を持つBS(バランスシート)は、企業の信用力となり、より多くの資金を引き寄せる。

PL(損益計算書)を拠り所とするPL経営は「部分最適」だが、
BS(バランスシート)を拠り所とするBS経営は「全体最適」。
一年単位のPL経営が「単利経営」なら、
長期的視点で経営するBS経営は、お金がお金を生む「複利経営」である。
こ;のことを理解することが、金活のスタートラインになる。

お金は大きいところに寄って行くが、お金を怯える人のところには集まらない。
また、お金は猜疑心の強い。お金と関わる時には「信頼」や「誠実」が欠かせない。
そんなお金の性格を知っておきたい。

「このビジネスをするのに幾らかかるか」ではなく、「幾らあれば何ができるか」という発想を持つといい。
「億」の桁を実感として掴めるようになるとステージが変わってくる。

国や言葉が違っても数字は万国共通。そして決算書は国境を超えて皆同じ様式だ。
中でも企業の基礎体力や健全性を示すBSは、国境を超えて最強の武器になる。
もちろん、国や時代によっていろんな事情もあるので臨機応変に対応していくことも必要だが、
強いBSを持つことが、世界ビジネスに勝つ切り札となる。

最後は「80歳の私からの手紙」で締めた。

9時間通しの勉強会。終了後は会場近くの湖南料理店で参加者や講師の皆さんたちと紹興酒&ビールで乾杯! 
国籍も年齢も性別も関係ない。共に学び共に成長する仲間とおいしい料理に舌鼓を打つ
この時間が「縁」をつなぎ「運」を連れてくる。

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2015年03月18日

No.1569 「木村塾&メシの種探しツァー in上海」 その@

社会も経済も消費者も超スピードで変化する中国市場。
そんな中国の起業事情を探ろうと3月12日から3泊4日で「木村塾&メシの種探しツァー in上海」を実施した。

関空から上海の入口である浦東空港までフライト時間は、わずか2時間半ほど。
今回のツアーはセブ木村塾やカンボジア木村塾に参加された上海在住の商社マン、
井上光晴さんのご尽力で実現した。
現地では、井上さんを先頭に上海で働きながらビッグビジネスを夢見る次世代の起業家たちと合流し、
日本を飛び出して成功を手に入れた起業家や会社を精力的に訪問してリアル情報を集めた。

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到着早々、まず訪れたのは上海から車で2時間ほど走った南通市にある「ファーストトレード」の現地法人。
福井県に本社を置く同社は、「楽天」の中国バージョン「タオバオ」の輸入手続代行サービスで
業界トップクラスの実績とスピードを誇る。私もエンジェルとして投資している企業だ。

社長の三上良平さんは38歳。今回も仕事を兼ねて福井からツアーに参加された。
トラック運転手をしていた5年前、副業で中国から品物を仕入れて売るネットビジネスを始めたが、
発注しても品物が届かないなどトラブルが絶えない。
「それなら自分が輸入代行業者に」と、ドライバーを辞めて本格的に代行ビジネスに着手した。

2011年4月に資本金100万円で起業。木村塾で学んだBS経営をとにかく実践した。
その結果、2年目に自己資本950万円を達成。4年目の今期は自己資本1億円になる見込みという。
信じられない勢いで急伸している。

代行を初めてすぐ南通市に設置した6畳一間の提携事務所は物流量の増加に伴い手狭になり、
現地法人を設立して市内2カ所に物流倉庫兼配送センターを設けている。
合計2,000平方メートルの広さをもつセンターでは26名の現地スタッフが働く。

急伸の要因はずばりBS経営と人財だ。
「幹部とBSで目標を立ててビジョンを共有するとどんどん戦略が浮かんでくる。その結果、
業績が上がり、BSが厚くなると銀行から借り入れがしやすくなる。また、こちらでのビジネスを
成功させる鍵は、いかに信頼できるパートナーを見つけるかにかかっている」と断言する。

創業以来のビジネスパートナー、朱小紅さんとのコミュニケーションは日本語。
普段はスカイプで綿密に連絡を取る。
また、昨年から三上さんは、BSでつくった資本の一部を元手にしてオリジナルメンズバッグの
製造販売事業も始めた。

経営は変化対応業だ。三上さんの武器はスピード。まず行動し、やりながら考える。
やれる人は、やる方法を考える。万一、失敗しても経験が儲かる。
海外ビジネスではこのスピードが不可欠だ。

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2015年03月16日

No.1568 木村塾 やってみよう会 3月例会@

3月10日、今月からナレッジサロンから「手品家・梅田店」に会場を移して第59回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回の「我が人生(経営)を語る」は広島で進学塾を経営する傍ら、セブ専門留学エージェントと
現地にある英語学校を経営する本多正治さん。
フィリピン・セブ島に開く「ファーストイングリッシュ」は、木村塾が主催する
「メシの種探しツアー in CEBU」の滞在拠点になっている学校だ。

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冒頭「コツコツコツコツ、が私の信条。今『セブ島で働く社長』というブログを毎日書いています。
まだまだ発展途上ですが、こんな私でも、いろんなことができるということをお話することで
勇気を持っていただけたら」と話す。

本多さんは1971年、神戸市生まれ。小中学時代は「いじめられっ子」だったという。
「辛すぎて自殺を考えたこともありました。それでも耐えた。乗り越えられたのは英語のお陰。
唯一、得意分野ができたことで自信が持てた。この経験が後々、大きな力になりました」と振り返る。

大学を卒業し住宅設備メーカーのノーリツに営業職で入社した。
しかし、厳しいノルマや難しい上司の元で仕事ができず、5年間に2回も辞表を書いたという。
ちなみに最初、本多さんを思い留まらせたのは、ショールームにいた可愛い女性の存在。今の奥さんだ。
2回目には子どもができ、辞表を握った手をひっこめた。
「壁は360度ある。乗り越えるしかない」。
胎を括った本多さん。必死で働き、そこから5年間で1,000万円を貯めた。
そして、入社10年目。これを開業資金にして広島で学習塾大手「明光義塾」のFC校として塾経営を始めた。

時は進学バブル。マンツーマンで教える塾は大ヒットし塾を開けば生徒が集まった。
しかし、一方で人財が育たない。講師でもあるスタッフが次々と辞めていく。
「人の話を聞かずに正論ばかり吐いていたんです」。
気付いた本多さんはその後、日創研で学び、経営を立て直した。

塾は9校に増えたが、競合校が増加する上に少子高齢化の時代。このままでは未来がない。
「私から見ると日本は沈みゆく船にしか見えない。いま日本の平均年齢は44歳ぐらいですが、
2050年には65歳を過ぎるでしょう。ちなにフィリピンは22歳です。このまま何もしないでいると
日本は沈没します。それなのに危機感を抱いていない人が多すぎる」と、本多さんは半鐘を鳴らす。

塾を開いて8年目。「学習塾に続く第二の事業」を探していた本多さんにチャンスが訪れた。
友人たちと旅行で訪れたバンクーバーで、日本人留学生たちの姿を見た時だった。
せっかく留学しても日本人同士で固まってバイトに明け暮れ、全く英語が身に付かない。
「これだ! と思いました。留学したい人は多いのに現地では高いお金を払って1日2、3時間の
英語レッスンを受けるだけ。しかも通学に3時間ぐらいかかる。こんな条件では話せるはずがなく、
すぐに諦めて日本人同士で固まるのです」。

閃いた本多さんは、物価や人件費の安いアジアで英語学校を開くことを思い立ち、
帰国するやいなや候補地を探し始めた。
「決断はスピード」「考えるとネガティブになる」「大きな決断ほど早くする」と言い切る。
白羽の矢を当てたのが、フィリピン・セブ島。
セブ島なら日本から近く、フィリピンのビジネス英語は世界でもトップクラスの実力だ。

開校の前に「まずはお客様を送りだす出口を」と、留学エージェントを設立。
2013年1月にはセブ島に移住し、7月に塾経営で貯めた自己資本を資源として、
現地に日本人のための滞在型英語学校「ファーストイングリッシュ」を開校した。

もちろん、開校後も決して順風満帆というわけにはいかない。
インフラはあっても、一度設備が故障すると何日間も直らない。
生活習慣の違う現地の人たちとのコミュニケーションは簡単ではない。
そんな問題と一つ一つ向き合って解決していく中で、学習塾で鍛えたノウハウを生かし
今までどこにもなかった英語学校を創り上げた。
評判は口コミやインターネット情報で広がり、3回目の夏を迎える今期、ようやく黒字化する。

「地球の歴史は45億年。それと比べると人生はあまりに短い。そんな地球に遊びに来て
よかったと思えるような人生、そして人の役に立てる人生を送りたい」と語る本多さん。
最後は次のような壮大なビジョンで締めた。
「現在、自己資本は4000万円ほどですが、2030年に100億円にします。そして、これを資本として、
日本人が一番弱い英語と金融、IT。この3つを統合した大学を創りたいんです」。

本多さんがすばらしいのは、できない言い訳をしないで、まず行動することだ。
そして、5年間で1,000万円を貯めた。これができる人は、どんな資金調達もできるだろう。
カタチを変え、新しいメシの種をつくる本多さんは、ずばり起業家だ。
人生は一度切り。HHKのホームドラマではない、大河ドラマのような人生を送ってほしい。

なお、今年5月3日〜9日に「メシの種探しツアー in CEBU第4弾!」を実施する。
現地では「セブ木村塾」を開催、日本を飛び出してここでビジネスする起業家たちを訪ねて話を聞くほか
連日「ファーストイングリッシュ」で1日8時間のマンツーマン英語レッスンを受けるなど
超盛りだくさんのプランになっている。

やってみな分からん。やったことしか残らん。
奮ってご参加ください。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ ぜんぜんダメだった自分。いじめられっ子。辞表を2回も出した男。すごい! とにかくすごい!! 「一つの事に自信を持てたことで乗り越えられた」という言葉に感動しました。子どもを留学させたいです。
・ まずは行動する。決意する。年表を作り毎日眺めて具体的にやることを明確にする。目の前が真っ暗になるほどの出来事の先には、必ず「光」がある。自分を信じる。感性を磨き、直感を信じる。耐えること。耐えた自分を認めてあげる。たくさんの気付きがありました!
・ 最後のビジョン。英語・ファイナンス・ITの大学を設立すると聞いて本多さんの日本に対する想いを感じました。その想い、僕も引き継ぎます!
・ コツコツやり続ける事と、目の付けどころ、閃き。スピーディな決断。この組み合わせでビジネスが回っていることがよく理解できました。
・ 素早い行動。早い決断。広い視野。すごいお話でした。タイミングや考え、決める早さが整えば自分も本多さんのように出来ると感じました。
・ 子どもの頃、いじめにあっていたという経験が私とシンクロしました。まだまだ発展途上で毎日が不安だとおっしゃっていた事が心に残りました。
・ いくつもの閃きがありました。今後の人生を左右するくらいのインスピレーションが湧きました。
・ 「壁は360度。乗り越えなければならない」という言葉がすごく響きました。本多さんのスピードとチャレンジ精神を吸収して行動していきます。
・ コツコツやって「行動が真実」と語る姿に感動しました。いじめられた経験がとても貴重な経験。マイナスをプラスにする力、素晴らしいです。
・ 「日本は沈んで行く船」。少子高齢化。皆気付いているようで気付いていない、というワードが印象的でした。狭い視野、物差しで見るのではなく、ワールドワイドに見ていくこと。今の私の課題でと思いました。
・ 会長の「脳味噌は頭と足の裏にある」という言葉が印象的です。「行動が真実」という本多さんの言葉にも共通すると感じます。結論は「やってみな分からん。やったことしか残らん」。一回切りの人生、ドラマのような人生にします。

2015年03月11日

No.1567 「日創研 大阪経営研究会」20周年記念例会&式典で講演

3月6日、「日創研 大阪経営研究会」20周年記念例会と式典が江坂東急インで開催され、
特別講演させていただいた。

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日創研 大阪経営研究会は1995年に会員36人でスタート。20年で会員数は400人近くにのぼり、
「大阪南」と「北大阪」に続いて「奈良」の各経営研究会が分封された。
私は大阪研究会の発起人の一人として初代会長を務めさせていただいたが、
これほどまでに会が発展し、個々の経営者がリーダーとして力を発揮されていることになって感無量だ。

18時からスタートした第一部。明石雅由会長のご挨拶の後、私の起業家人生のDVDを上映、
「逆境にまさる師なし〜経営研究会で学んだこと」をテーマに講演させていただいた。

私が日創研のご縁をいただいたのは、バブル経済の崩壊で奈落の底に突き落とされた1990年。
私が50歳の時だ。
本会で経営を根本から学び直した私は、失敗の原因がバブルの崩壊にあるのではなく、
私自身が経営のことを何も分かっていなかった、ということに気付かされた。
以来、本会で学んだ私は、さらに経営研究会本部役員として1000社以上の企業を訪れ
決算書を見せていただく機会を得る中で、
「BS経営」という、「強くてよい会社」を創る究極の経営メソッドに行きついた。

強い会社とは、売上や社員数、店舗数の多い会社ではない。
「株主視点」や「一人当たりのモノサシ」を持ち、強い財務基盤を有する会社だ。
よい会社とは、「やる気のある人にやる場を与える」、ずばり人財が育つ会社である。

講演では、本会での学びを通じて、経営にとって「最強の武器」となるBS経営の考え方から
資金調達、資産運用などの方法を、弊社を実例に挙げ、全精力を注いでお話させていただいた。

引き続いて行われた第二部。
田舞徳太郎 本部会長から経営研究会への激励の祝辞をいただいて懇親会が盛大に執り行われた。
あらためて学ぶことの大切さを想うと同時に、学びを求める人たちが集まるところは、
活気に溢れ大きなエネルギーが生まれることを実感した。

出会いは必然。田舞門下生の一人として、今ここにある幸運に感謝の念を捧げたい。

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2015年03月09日

No.1566 福岡木村塾 第10回セミナー開催

3月5日 アクロス福岡にて福岡木村塾 第10回セミナーを開催。
企業訪問&ビジョン発表と連動したセミナースタイルがすっかり定着した福岡木村塾。
この日も朝7時過ぎに新幹線で大阪を発ち、博多を経由して10時過ぎに久留米に到着。
山田塾長とご一緒に2社を訪問させていただいた。

1社目は造園業を営むT社。2代目社長のKさんは働き盛りの40代だ。
最近では本業の他、太陽光発電の事業にも乗り出された。
拡大志向のK社長に対して、やや不安な表情をのぞかせる奥さん。
しかし、今後、求めたいのは「大きさ」よりも「強さ」である。
そのためには社員「1人当たりのモノサシ」を持って厚いBSを築くことだ。
どんな会社にしたいのか、どんな未来を創りたいのか。そんな問いかけをする中で
奥さんの不安も払拭され、ワクワクするような10年後のBSビジョンが出来上がった。

久留米から福岡市内に戻り、次に訪れたのは創業54年の測量用材メーカー、K社。
立派な自社ビルの1階に測量歴史館を併設している。
S社長は60代。「無借金経営にしてバトンを渡したい」という希望を持っておられる。
専務であるお母さん、財務担当の娘さんも同席される中、「登る山」が決まった。

セミナーでは、我が起業家人生のDVD上映の後、BS経営について解説。
訪問した2社の社長が、それぞれ決算書を開示してでき上がったばかりのBSビジョンを
言葉と数字で力強く公言された。

「BS経営」は「強くて良い会社」をつくるメソッドだ。
「強い」とはどんな変化にも対応して決してつぶれない会社。
「良い」会社とは人財が育つ会社。
そんな会社は、将来の夢やビジョンをワクワクするような言葉とBSの数字で描いた
「BSビジョン」を創ることから始まる。
そして、公言する。社員さんの前で、人生のパートナーの前で。何度も何度も公言する。
口に出すことで自分や社員さんの脳に刷り込まれ、潜在能力が引き出されて「できる方法」が見えて来る。

また、私はビジョン策定の際に
「経営者もリタイア時にまとまった退職金を取ることを考えて」とご助言申し上げている。
それは、決して経営者の「私欲」ではない。
なぜなら、経営者がハッピー・リタイアする姿は、バトンを渡された者にとっても
大きな励みや希望になるからだ。
大企業でなくても成功できる、と身を持って後続者に知らしめることも経営者の大切な仕事である。
そのためにも会社の屋台骨となる厚いBSを創りたい。

「中小企業のスター」を一人でも多く輩出させることが私の夢だ。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 今まで漠然と仕事をしていましたが、これからはもっとBSをしっかり見て行こうと思いました。「会社=商品」に創り上げて意向という目標ができました。
・ 現在は飲食店の1スタッフですが、いずれは自分で店を構えます。売上を一番に考えていましたが、変化対応できるようBSを強くして基盤固めをすること。目の前ではなく長期スパンでのビジョンを創ることを意識していきます。
・ BSの本質を根底から教わりました。銀行で資金調達する際に大いに参考になりそうです。
・ 飲食業において社員さんの将来のため独立支援金へ会社にプールして、独立開業の際に渡す。これもBS経営になるのでしょうか?
・ BSビジョンを考えることで新たな視点や見方ができました。学んだことを実践して自己資本2億にします!
・ もともと目標は持っていましたが「ビジョンを社員と共有する」。いただきました!
今月の中間決算説明会で、大きくクローズアップします。
・ 「成功したらラッキー、失敗しても経験が身に付く」。まずは実践することの大切さが分かりました。私はまだ25歳ですが、これから「若いから無理」など言い訳はしません。会社でもBSビジョンを創り、登る山を決めたら全力で頂上に登っていきます。
・ 「BS経営」をすることの大切さと必要性を学びました。今までの考えを改め、変化に対応できる人財、会社となるようBS経営を実践します。
・ 「時代変化に対応できる者が生き残る」。「大ボラ(大きな目標)を立てることが大事」。会長のこの言葉が心に残りました。

2015年03月07日

No.1566 木村塾パワーアップセミナー 「人生経営のために心掛けていることは?」

3月3日、第1057回パワーアップセミナーを開催。
会場をナレッジ・サロンから北区にあるマジック・バー「手品家・梅田店」に移しての初開催だ。
社長の前田真孝さんは木村塾の塾生さん。開店前の店内をご提供いただいた。

テ―マは「人生経営のために心掛けていることは?」。
2人1組のダイアードの後、本番発表になるとトップバッターを競って一斉に手が挙がった。

「何より健康であること」「人への感謝の気持ちを忘れない」「冒険をする」
「立ち向かう、逃げない」「人生は一回切り、後悔しない」「人生理念を確立する」
「振り返る機会を持つ」、「人生目標を設定する」「かっこいい父親でいる」
「自分のオンリーワンを見つける」「何でも一番になる」…すばらしいプレゼンが続く中で
私と同じ「生涯、発展途上の人間でありたい」というご意見も。

経営とは、ビジネスをする人だけが関わる世界と思われるかもしれない。
しかし、人は皆、己の人生を経営しているのだ。経営とは生きること、そのもの。
実りある人生経営を行うためには「どんな会社にしたいか。どんな人生を送りたいか」
未来に理想を描いて、ビジョンを持つことだ。
ビジョンがあれば1年先、5年先の目標が生まれ、今やるべきことが見えて来る。

ところで、パワーアップセミナーで毎回出されるテーマは「即題」だ。
課題をあらかじめ告知しないので練習するわけにはいかない。
ポイントは、観客席にいる皆さんとアイコンタクトを取って話すこと。
口を大きく開けてしっかりと話すこと。究極はこの2点。
PUセミナーの狙いは「上手に話す」ことではない。
「自分の思いや意見を相手にきちんと伝える」こと。

これができると、本人も気付いていない潜在能力が引き出され、人間力が上がっていく。
だからパワーアップセミナーなのだ。

広い会場では、どんなに大きな声を張り上げてもよく、
ショー・ステージのある独自の雰囲気も手伝って、皆さんのテンションもぐっと上がる。
手品家のスタッフも含め、新メンバーも何人か加わったので
あらためて木村塾パワーアップセミナーの理念をお伝えした。

大きな手応えを感じたパワーアップセミナー。
ステージを変えたことで、文字通りセミナーのステージも1ランクアップした。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 経営に「人生」という言葉が付くだけで、とてもバラエティに富んだ内容のお話になる事にびっくりしました。皆様の幅広い人生の話に触れとても為になりました。
・ 「上手に話す」のではなく「想いが伝わるように話す」。はて自分はどっちだろう?と考えてしまいました。アイコンタクトが合うと勇気付けられますね。
・ 人生は一度、常に挑戦し続けること。そのためには素直さが必要だと思った。最近は自分も素直=成長していると実感することが多くなった。これも、より以上を目指すからこそ! 素直とチャレンジ、心がけます。
・ 浅田先生から「上位に話そうと思わず、どうしたら伝わるかを考える」という話がありました。自分も想いを伝えるともりでプレゼンしたいと思います。
・ 感謝の気持ちが大事だと思っている人、向上心の強い人が多いと思いました。
・ 今回のテーマのおかげで人生の目標を設定し、そのステップを考えるきっかけをいただきました。「感謝、挑戦、理念」を改めて考えます。
・ これまで話すことが苦手で不安な気持ちで話していましが、今回は「カッコつける事はない」と聞き、安心しました。自分の人生を俯瞰、逆算で考え、使命やビジョンを再度、胎に落したいと思いました。

2015年03月06日

No.1565 大阪木村塾 BS経営相談所 2月度 開催

2月27日、大阪木村塾2月例会が大阪産業創造館で開かれた。
セミナーの直前、日経新聞夕刊1面に報道されたソーシャルレンディング関連のニュースに目が止まり
記事にからめて「メシの種を創るとは?」をテーマにお話させていただいた。

「ソーシャルレンディング」はインターネットで資金の貸し手と借り手を結びつける小口金融。
資金が必要な企業や個人が金額や使い途を申告し、投資家の希望する利回りやリスクに合えば貸し出す。
弊社UBIグループの「マネオ」が展開する事業だ。

2005年ごろからイギリスやアメリカで広がり始めたが、
日本ではまだまだ少なく、国内で本格的に手掛けている企業は5社ほどしかない。
マネオはその中でも断トツ1位の実績を持つ。

記事によると伊藤忠商事が、業界の1社であるクラウドクレジットの株の一部を取得し、
日本の大手商社で初めてソーシャルレンディングに参入すると伝えていた。
同社は2018年に融資総額1,000億円を目指すという。

数千兆円といわれる金融市場。それからすればソーシャルレイディングはまだまだ小さな市場だか
今回の大手商社の参入で一気に社会的に認知され、大きな広がりが期待される。
マネオにとってはよきライバルの出現で商機到来だ。

2007年に一人の起業家によって日本初のソーシャルレンディングを開始したマネオ。
日本の銀行がどこもやっていないこの事業に目を付けたマネオは、まさに「黒船」であった。
現在わずか社員数名のマネオが、大商社を差し置いて業界を牽引している。
BS経営で鍛えた資金運用能力があれば企業規模は関係ない。
「強小」は「弱大」に勝る。

キーワードは、「BS経営」「複利経営」「資金運用能力」。
経営者は「どんな物差しをもつか」が要となる。

起業家とは「カタチを変え、メシの種を創る」。
皆さんも、どんどんカタチを変えて新たなメシの種を創ってほしい。

今回も新しい方に大勢ご参加いただいた。
白熱問答も次々と手が挙がり文字通り熱い時間となった。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 非常に分かり易く、勇気が湧きます。頭の整理と心が熱くなりました。ダブルインカム、トリプルインカム、フォースインカムの必要性を痛感しました。
・ 本やDVDもいいのですが、生の話は迫力があって心に響き身につきます。今回も感動を覚えました。
・ サラリーマンですが「お金をどう使うか」「言葉と数字のバランス」という部分に感じるものがありました。数字を支えているのは「誠実」だということも!
・ 「起業家支援財団」。将来、私はそういうことをしたいと思っています。地元を活性化させるために!
・ 19歳から15年間いろんな業種のマネジメントを経験。ほぼ独学と感覚で学び、血肉になりました。今日のお話で、自分のやってきたことは間違いではなかったと気付いてよかったです。
・ 「人を喜ばす=お金を産む」と考えていましたが、それは違うのかと悩んでいます。
「本当に人に優しい経営とは?」また、伺いたいと思います。
・ 資料としていただいた「単利と複利」の表が分かり易くてよかった。
・ 現在、中小企業共済で退職金を積み立てていますが、マネオに切り替える事についての意見をお聞かせ下さい。

2015年03月05日

No.1564 「埼玉県倫理法人会」青年委員会のセミナーで講演

2月25日、埼玉県倫理法人会 青年委員会が主催するセミナーが18時00分から
さいたま市の浦和コミュニティセンターで開催され、講演させていただいた。
青年委員会の主催だが、会場には幅広い年代の会員さんがお集まりくださった。

いつものように自己紹介代わりの我が人生のDVDでスタート。
講演テーマは「BS経営のススメ」。
明治時代の偉大な実業家、渋沢栄一は経営の極意を「右手に論語、左手にソロバン」と
言ったが、
経営道を真っ直ぐ進むにはこの両輪が必要だ。
論語とは倫理。
ここにお集まりの皆さんが学ばれている「倫理17カ条」が究極の「論語」なら、
私が提唱する「BS経営」は究極の「ソロバン」だ。
今回は徹底して「ソロバン=BS経営」を掘り下げた。

BS経営とは、短期的な利益を求める経営ではなく、長期ビジョンに基づく財務主体の経営だ。
決算書の損益決算書(PL)ではなく、バランスシート(BS)を重視し
貯めた自己資本を「株主目線」で運用(活用)していくことが必要だ。

5年後、10年後、20年後、どのような会社になっていたいか。
そのビジョンを言葉だけでなく数字(BSビジョン)でしっかり語り、
社員さん全員と共有して、一人ひとりがビジョンに基づいた経営スタイルを身に付ける。

BS経営を実践するには「税金川を渡る」という覚悟が要るが、
その先には予想をはるかに超える高いステージが待ち受けている。

皆さんの食い入るような視線を受けて、一期一会の心意気で語り尽くした90分。
最後は「80歳の私からの手紙」で締めた。
懇親会にも25名の会員さんが参加くださり、一人ひとりから熱い感想や鋭い質問をいただいた。
この時間こそ最高の「学び」。一番勉強させていたただいているのはこの私だ。

ご縁をつないでいただいた日創埼玉研経営研究会の菅原 前会長に感謝申し上げます。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 人生65歳まで生きて来て倫理と出会って、本物の人に出会い、とても感謝しています。
・ BS経営で一人当たりの自己資本の話はびっくり。力強いお話で力と夢をいただきました。60歳で起業しました。お金も知識もありませんが、とにかく突き進むだけです。
・ 今までPL重視型の経営をしていましたがBSにも注視してみます。
・ 成功の反対は・・・「やらないこと」。目を覚まされました! 明日から実行に移します。
・ 心に魂に体中に響き渡りました。沢山のエネルギーをいただきました。
・ 「変化に対応する経営」「決算書が武器になる」。勉強になりました。
・ 今までいろいろ悩んでいたが、「できない理由を並べていた」からだと気付くことができた。どんどんチャレンジしようと思う。
・ 変化を恐れないこと。私の会社も変革を迫られています。勉強になりました。
・ 「売上目標がない」というお話を聞いてビックリしました。当社もBSビジョンを立てます。
・ 変化に対応できる起業家。BS経営。目が覚めました!私も「10年後の私から手紙」を書いてみます。
・ 起業家として必要なマインド、新年をきちんと持てばどんな道を通ろうとも必ず成功できるという確信が持てました。変化はチャンス。常に考えていきます。

2015年03月03日

No.1563 木村塾 やってみよう会 2月例会A

2月24日、グランフロント北館7Fナレッジサロンにて第58回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回の「我が人生(経営)を語る」は和泉市にあるカーディーラー海OMEON-E(カモンイー)の代表取締役の志賀喜彦さん。

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大阪出身。1974年、在日韓国人3世として自動車解体業を営む家に生まれた。
女1人を含む4人兄弟の末っ子。
運動は苦手で本好きな少年だった。小学校では「チョケ」(口達者のお調子者)、
家では兄たちに「お前は機嫌取りや!」と言われた。

しかし、それは複雑な環境を生き抜く子どもなりの知恵だったのかもしれない。
3歳のときにご両親が離婚、物心着く頃にはお父さんは再婚していて継母に育てられた。
「育ての母は絶対の存在。逆らうことができなかった。従順で言いなりにならないと生きていけなかったんです」。
これまで封印していた苦しい胸の内を今回、勇気を奮って打ち明ける。

家の中では、しばしばそんな継母に暴力をふるう父親の姿も見た。
いつしか「自分が将来結婚するなら、絶対に手を上げない」と決めていた。
中学校時代にはいじめにも遭ったが「バット持って仕返ししてこい!と言うような親父のいる家庭」。
言い出せなかった。
そして、このいじめ体験で自分の痛みと人の痛みを知った。

高校生になると家業の解体業を手伝った。
そのままではゴミになる廃車も解体して非鉄金属やエンジンを売ると結構なカネになる。
「誰もやりたがらない、けど儲かる。汚れる仕事で韓国人の仕事」だった。

高校卒業後も家で働いた。しかし小遣い程度しかもらえず叔父さん営む板金塗装の工場で稼いだ。
一方、私立高校を出て板前修業になった長兄は、ギャンブルに溺れ借金の山を作った。
「その度に借金を肩代わりする父。なんで兄貴のケツ拭くんや」。 納得がいかなかった。

転機は24歳の時。スティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」という本に出会ったことだ。
ここに書かれていた「インサイドアウト」(自らが源)という考え方に感銘を受ける。
「 納得のいかないことも、受け入れているのは全部自分。自分が選択したことの結果だと気づいたのです」
そう考えると幸せになれた。
「いまが最高に幸せ」「幸せって気づくもの。今あるものに感謝し、感じるもの」
自分にいい含めるように語る。

24歳のときに恋愛して30歳で結婚。家も建てた。
長男の誕生の瞬間は感動した。難産の末、生まれた我が子を抱いたとき、
自分とお父さんの姿が重なった。
「長兄ばかりエコひいきする父。でも、もしこの子が借金したら僕もケツ拭くやろうな」
人の親になって初めて親の心がわかり、お父さんを許せた。
その後も二男、三男と続いて3児の父親に。「子育ては最高に楽しい」という。
「お父ちゃんが頑張ってくれるからご飯が食べられるんやで」。奥さんはいつもこう言うそうだ。

家業を継いだ次兄が辞め、お鉢が自分に回って来た。が、新規参入の増加で解体業は斜陽の一途。
経営者になった志賀さんが次に始めたのは中古車販売だった。
地域柄か、安いクルマがよく売れた。そこで借金して高級車を仕入れると今度はさっぱり。
「高い車を売るには、自分たちの会社に信用力がない」と気づいた。

「自分に嘘を付けない。だから在庫商品にお客さんを当てることができない」という。
ある時、来店した家族連れがあった。住宅環境を聞くと自家用車が必要とは思えない。
「車はお金がかかりますよ。レンタカーで十分ではないですか」。
商機を逃したが、後にそのお客さんは「車検のお客さん」を連れてきた。
それを機に中古車を注文販売にして、フランチャイズの「ニコニコレンタカー」も始めた。
キャッチフレーズは「愛を売るクルマ屋」だ。

しかし、商売は好転せず、銀行借入は2,000万円に膨らみ、資金繰りも厳しくなった。
私が志賀さんと出会ったのは昨年秋だ。塾生さんのお誘いで木村塾に来られた。
「会長の負債は230億円。たった2,000万円の借金で苦しんでいる自分と比べると、
笑うしかありませんでした」と振り返る。
木村塾では経営について学ぶだけでなく、さまざまな人たちと出会い、勇気をもらったという。

昨年末には、56kmの六甲縦走にも初挑戦。
仲間の懸命なサポートで練習を積み、12時間の制限時間をクリアしてゴールを果たした。
途中の一軒茶屋では、皆が膝を痛めて苦しんでいる光景を目にした。自分は大丈夫だ。
その時、突然、家では話題にするのがタブーだった生みの母の存在を感じた。
「こんな元気な身体に産んでくれてありがとう」。
志賀さんは、いま生みのお母さんに会いに行く決意を固めている。

人には「自燃型」(自ら燃える人)と「他燃型」(他人に火を点けてもらって燃える人)
「不燃型」(火を点けても燃えない人)がいるが、自らを「他燃型」と分析する。

いま必死に経営について勉強している志賀さん。最後に仕事のビジョンを語った。
「今の従業員3人から5人体制にして純利益100万円。そして10年後、50歳の時に
銀行借入を完済し、自己資本を2,700万円にします」。

親子、とくに父親と息子の間には「確執」が必ずある。私もそうだった。
私の親父は私が14歳の時に死んだが、以来、一家5人を食わせるために働いた。
ここから逆境が始まった。だから親父が大嫌いだった。
しかし、その後、自分が父の死んだ歳と同じ37歳になった時、
そしてバブル崩壊で奈落の底に叩きつけられた50歳の時に、親父に感謝できた。
親父は死んで私に大きなステージを与えてくれたのだ、と。

ハングリー精神とチャレンジ精神は表裏一体だ。ハングリーでないと人は挑戦しない。
逆境は人を育てるが、順境は人をつぶす。
志賀さんは起業家になるのにいい環境を与えられている。

自分が与えられた環境はすべて最高で最善と捉える。そんな「最善観」を持ってほしい。
志賀さんは、まだどこかで無理をしているように思う。
その上で「こうなりたい」というビジョンをしっかり持つことだ。
経営者として、資産運用力を付けて決算書のBSを良くすること。
人間、優しいだけではだめだ。強さを備えた優しさでなければならない。
数字のビジョンをクリアしたとき、志賀さんの真の優しさが発揮されるだろう。

我が人生に真摯に向き合って、包み隠すことなく語りつくした志賀さん。
会場は感動とエールの言葉に続いて割れんばかりの拍手に包まれた。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 志賀さんの「幸せは気付くもの」すごく腑に落ちました。幼少期に大変な苦労をされながら、受け入れて許されている懐の深さや器の大きさは、ただただ見習うべきと思いました。
・ 不幸せを人のせいにしていたが自分がいけないと分かった時、自分が最高に幸せと気付いた。話がリアルで真に迫って涙あり、笑いありで感動しました。
・ 志賀さんの人生。胸にぐっと突き刺さり感動が止まりませんでした。とにかく誠実で素直。自分に嘘をつかない。さらにスキになりました。
・ 逆境を乗り越えながらどんどん成長していてカッコいいパパだなと思いました。会長の「天はその人が乗り越えられない問題を与えない。逃げたら方法を教えない」。座右の銘にします。
・ キーワードは「今の幸せに気付く」「出会い、縁」「山は自然のセミナーだ!」
・ 「誰がどう思うか」ではなく「自分がどうしていきたいか」。それが大切だと思いました。
・ 志賀さんの優しさが伝わってきました。自分に与えられた状況は全て最高で最善。お金を貯める力がつけば資産運用力も付く。お金を貯めるのが「金活」という会長の言葉も残りました。
・ 志賀さんの「素直さ」「優しさ」「肯定的解釈力」は天性のすばらしさだと思った。自分もそうありたいと強く思う。
・ 素晴らしい話でした。感動して泣いてしまいました。自己開放された話で志賀さんが大きく見えました。お父さんも許してお母さんも許して自分も許す。幸せですね。
・ 人の話を聞く素直さ。物事を見る素直さ。一つ一つの事柄に感謝して人生を歩む姿に、目指すべき所が見えた。

2015年03月02日

No.1562 2015年2月度 実践目標の進捗報告

今年に入って60日が過ぎた。もう3月という人もいれば、まだ3月という人もいる。
皆さんはどちらだろう?

年初に立てた実践目標。お陰様で私はすこぶる快調、予想を上回るペースで進んでいる。
とくに、今年から目標に加えた「25階昇り」は絶好調だ。
マンションの25階にある拙宅まで、毎日この足で階段を昇っているが、
足取りも軽くすっかり習慣化している。
我が信念である「生涯チャレンジャー」を具体化した「キリマンジャロ登頂」という
ビジョンが、74歳の身体から潜在能力を引き出しているのだ。

そのツアー説明会を兼ねた決起集会が昨日、梅田で開かれた。
堀江悟隊長以下、16名。30代から70代まで年代も登山のキャリアもさまざまだが
「キリマンジャロに挑む」という覚悟は同じだ。
「今日から皆さんは仲間ではない、家族です。互いにサポートして目標にチャレンジしましょう」
堀江隊長が感動的な言葉で決めた。

人生も経営も同じ。
「登る山を決める! 」
全てはここから始まる。

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では、私の3月度 実践報告を。

・心(学び)
読書 19/100冊
英会話 23/100回
写経 3670/4000枚

・技(ビジネス)
メシの種探しツアー 0/3回(カンボジア、セブ、上海)
企業訪問 10/100社
海外 0/7回、シリコンバレー視察

・身体
禁酒 50/200日
トレーニング 28/150回
万歩計 94/500万歩
登山 4/10回、
25階昇り 68/200回

 

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