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2015年03月03日

No.1563 木村塾 やってみよう会 2月例会A

2月24日、グランフロント北館7Fナレッジサロンにて第58回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回の「我が人生(経営)を語る」は和泉市にあるカーディーラー海OMEON-E(カモンイー)の代表取締役の志賀喜彦さん。

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大阪出身。1974年、在日韓国人3世として自動車解体業を営む家に生まれた。
女1人を含む4人兄弟の末っ子。
運動は苦手で本好きな少年だった。小学校では「チョケ」(口達者のお調子者)、
家では兄たちに「お前は機嫌取りや!」と言われた。

しかし、それは複雑な環境を生き抜く子どもなりの知恵だったのかもしれない。
3歳のときにご両親が離婚、物心着く頃にはお父さんは再婚していて継母に育てられた。
「育ての母は絶対の存在。逆らうことができなかった。従順で言いなりにならないと生きていけなかったんです」。
これまで封印していた苦しい胸の内を今回、勇気を奮って打ち明ける。

家の中では、しばしばそんな継母に暴力をふるう父親の姿も見た。
いつしか「自分が将来結婚するなら、絶対に手を上げない」と決めていた。
中学校時代にはいじめにも遭ったが「バット持って仕返ししてこい!と言うような親父のいる家庭」。
言い出せなかった。
そして、このいじめ体験で自分の痛みと人の痛みを知った。

高校生になると家業の解体業を手伝った。
そのままではゴミになる廃車も解体して非鉄金属やエンジンを売ると結構なカネになる。
「誰もやりたがらない、けど儲かる。汚れる仕事で韓国人の仕事」だった。

高校卒業後も家で働いた。しかし小遣い程度しかもらえず叔父さん営む板金塗装の工場で稼いだ。
一方、私立高校を出て板前修業になった長兄は、ギャンブルに溺れ借金の山を作った。
「その度に借金を肩代わりする父。なんで兄貴のケツ拭くんや」。 納得がいかなかった。

転機は24歳の時。スティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」という本に出会ったことだ。
ここに書かれていた「インサイドアウト」(自らが源)という考え方に感銘を受ける。
「 納得のいかないことも、受け入れているのは全部自分。自分が選択したことの結果だと気づいたのです」
そう考えると幸せになれた。
「いまが最高に幸せ」「幸せって気づくもの。今あるものに感謝し、感じるもの」
自分にいい含めるように語る。

24歳のときに恋愛して30歳で結婚。家も建てた。
長男の誕生の瞬間は感動した。難産の末、生まれた我が子を抱いたとき、
自分とお父さんの姿が重なった。
「長兄ばかりエコひいきする父。でも、もしこの子が借金したら僕もケツ拭くやろうな」
人の親になって初めて親の心がわかり、お父さんを許せた。
その後も二男、三男と続いて3児の父親に。「子育ては最高に楽しい」という。
「お父ちゃんが頑張ってくれるからご飯が食べられるんやで」。奥さんはいつもこう言うそうだ。

家業を継いだ次兄が辞め、お鉢が自分に回って来た。が、新規参入の増加で解体業は斜陽の一途。
経営者になった志賀さんが次に始めたのは中古車販売だった。
地域柄か、安いクルマがよく売れた。そこで借金して高級車を仕入れると今度はさっぱり。
「高い車を売るには、自分たちの会社に信用力がない」と気づいた。

「自分に嘘を付けない。だから在庫商品にお客さんを当てることができない」という。
ある時、来店した家族連れがあった。住宅環境を聞くと自家用車が必要とは思えない。
「車はお金がかかりますよ。レンタカーで十分ではないですか」。
商機を逃したが、後にそのお客さんは「車検のお客さん」を連れてきた。
それを機に中古車を注文販売にして、フランチャイズの「ニコニコレンタカー」も始めた。
キャッチフレーズは「愛を売るクルマ屋」だ。

しかし、商売は好転せず、銀行借入は2,000万円に膨らみ、資金繰りも厳しくなった。
私が志賀さんと出会ったのは昨年秋だ。塾生さんのお誘いで木村塾に来られた。
「会長の負債は230億円。たった2,000万円の借金で苦しんでいる自分と比べると、
笑うしかありませんでした」と振り返る。
木村塾では経営について学ぶだけでなく、さまざまな人たちと出会い、勇気をもらったという。

昨年末には、56kmの六甲縦走にも初挑戦。
仲間の懸命なサポートで練習を積み、12時間の制限時間をクリアしてゴールを果たした。
途中の一軒茶屋では、皆が膝を痛めて苦しんでいる光景を目にした。自分は大丈夫だ。
その時、突然、家では話題にするのがタブーだった生みの母の存在を感じた。
「こんな元気な身体に産んでくれてありがとう」。
志賀さんは、いま生みのお母さんに会いに行く決意を固めている。

人には「自燃型」(自ら燃える人)と「他燃型」(他人に火を点けてもらって燃える人)
「不燃型」(火を点けても燃えない人)がいるが、自らを「他燃型」と分析する。

いま必死に経営について勉強している志賀さん。最後に仕事のビジョンを語った。
「今の従業員3人から5人体制にして純利益100万円。そして10年後、50歳の時に
銀行借入を完済し、自己資本を2,700万円にします」。

親子、とくに父親と息子の間には「確執」が必ずある。私もそうだった。
私の親父は私が14歳の時に死んだが、以来、一家5人を食わせるために働いた。
ここから逆境が始まった。だから親父が大嫌いだった。
しかし、その後、自分が父の死んだ歳と同じ37歳になった時、
そしてバブル崩壊で奈落の底に叩きつけられた50歳の時に、親父に感謝できた。
親父は死んで私に大きなステージを与えてくれたのだ、と。

ハングリー精神とチャレンジ精神は表裏一体だ。ハングリーでないと人は挑戦しない。
逆境は人を育てるが、順境は人をつぶす。
志賀さんは起業家になるのにいい環境を与えられている。

自分が与えられた環境はすべて最高で最善と捉える。そんな「最善観」を持ってほしい。
志賀さんは、まだどこかで無理をしているように思う。
その上で「こうなりたい」というビジョンをしっかり持つことだ。
経営者として、資産運用力を付けて決算書のBSを良くすること。
人間、優しいだけではだめだ。強さを備えた優しさでなければならない。
数字のビジョンをクリアしたとき、志賀さんの真の優しさが発揮されるだろう。

我が人生に真摯に向き合って、包み隠すことなく語りつくした志賀さん。
会場は感動とエールの言葉に続いて割れんばかりの拍手に包まれた。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 志賀さんの「幸せは気付くもの」すごく腑に落ちました。幼少期に大変な苦労をされながら、受け入れて許されている懐の深さや器の大きさは、ただただ見習うべきと思いました。
・ 不幸せを人のせいにしていたが自分がいけないと分かった時、自分が最高に幸せと気付いた。話がリアルで真に迫って涙あり、笑いありで感動しました。
・ 志賀さんの人生。胸にぐっと突き刺さり感動が止まりませんでした。とにかく誠実で素直。自分に嘘をつかない。さらにスキになりました。
・ 逆境を乗り越えながらどんどん成長していてカッコいいパパだなと思いました。会長の「天はその人が乗り越えられない問題を与えない。逃げたら方法を教えない」。座右の銘にします。
・ キーワードは「今の幸せに気付く」「出会い、縁」「山は自然のセミナーだ!」
・ 「誰がどう思うか」ではなく「自分がどうしていきたいか」。それが大切だと思いました。
・ 志賀さんの優しさが伝わってきました。自分に与えられた状況は全て最高で最善。お金を貯める力がつけば資産運用力も付く。お金を貯めるのが「金活」という会長の言葉も残りました。
・ 志賀さんの「素直さ」「優しさ」「肯定的解釈力」は天性のすばらしさだと思った。自分もそうありたいと強く思う。
・ 素晴らしい話でした。感動して泣いてしまいました。自己開放された話で志賀さんが大きく見えました。お父さんも許してお母さんも許して自分も許す。幸せですね。
・ 人の話を聞く素直さ。物事を見る素直さ。一つ一つの事柄に感謝して人生を歩む姿に、目指すべき所が見えた。



 

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