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2015年03月28日

No.1576 木村塾 やってみよう会 3月例会A

3月24日、大阪市北区の「手品家・梅田店」にて第59回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回の「我が人生(経営)を語る」は、潟tジムラの代表取締役橋本秀一さん。住之江区で鉄工所を営む。

「生まれは大阪市浪速区・・・らしいです。出生については誰からも教わることなく
4歳まで祖母の手で育てられました」。
こんな告白から始まった橋本さんの人生は、小説よりもドラマチックだ。

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1951年生まれ。「父親はヤクザな商売をして家を出たようです。母親のことは分かりません。
その後、叔母(父の妹)夫婦の養子になりましたが、実親のことを尋ねるのはタブーでした」と話す。
養母は折々「おばあちゃんにあんたを押しつけられた」と愚痴をこぼし、辛く当たった。
「今思えば養母も、血のつながりのない私を引き取ってくれた養父に遠慮があったのでしょう」。
グレもせずに育ったのは養父が優しかったこと。「物を大切に。人とのつながりを大事に」と教わった。
毎月、祖母から届くおもちゃやお菓子の入った荷物が心を癒した。

大工だった養父の仕事の関係で全国各地を転々。成績はよかったが、中学を卒業すると
定時制高校に通った。昼間は働き夜から学校に行く。部活もした。
下駄箱の前で出会った女子生徒と恋に落ち、19歳の時に彼女と掛け落ちして大阪に出た。

鉄工所に勤め、新婚生活は3畳一間のアパートから始まった。
ボイラーを造る流れ作業。「飽き性」の橋本さんは欠勤したり自転車出勤の途中に映画館に立ち寄ったり。
そのためラインから外れ雑用の仕事に配置されたが、
「何でもこなせて潰しのきくこの経験が、その後の人生に役立った」と振り返る。

7年目に会社が倒産。計画倒産だった。
労働組合員だった橋本さんは、社員を代表して仲間3人と会社に泊まり込み真相究明した。
3カ月ぐらいで解決すると思った会社との交渉は結局3年かかった。
その間、工場内で細々と仕事をしながら闘い抜き、最後は解決金として200万円を獲得。
このお金を出資金にして4人で新しい鉄工所を創業。それが現在の「フジムラ」だ。

28歳で最年少だった橋本さんは請われて社長に。しばらくは円滑に回ったが次第に摩擦が生じ始めた。
事件が起こったのは、6カ月ほどしたある日。月商500万の同社に2,000万の不渡り手形が舞い込んだ。
「3年間寝食を共にして仲間だと思っていた人たちは去り、奈落の底に落ちました。
この時ほど苦しいことはなかった。首を括って死のうかとも思いましたが、どうにかなるやろうと。
会ったことはないけど大ざっぱな性格に産んでくれた両親に感謝しました」

倒産の危機にさらされる中、自らも手形発行。取引先にジャンプを頼み夜中も正月も稼働して
2年で返済した。
逆境をはねのけたことが逆に信用となり、事業は急転した。
「苦難福門」「よくなる前には必ず苦難が来る」と話す。

ギブアップしなかったのは「負けたくないという思い」と「根拠のない自信」。
「35年間、色んな人に助けられて撞きだけでやってこられた。営業はしたことがありません。
ご縁つながりです」。
オイルショックの時も、高齢で廃業するという同業者から顧客を含めて仕事を譲り受けた。

V字回復する中、ISOの国際基準を導入、工場を革新し働きやすい職場にする一方
社員教育にも力を入れ始めた。
社員が増えていった。あるとき「近所でも札付きの悪ガキ」が入社した。
「男の子は少し悪いぐらいがいい」。仕事を任すとどんどん伸びた。
「この会社は私限りと思っていたのですが、この子らのために残さねばと思うようになりました」。

新工場の建設を検討していた橋本さんに、2008年のリーマンショックが後押しをした。
「4〜5億円もするような物件が、手の届く所に降りてきたのです」。
物件を購入すると「夢工場プロジェクト」を立ち上げ、社員全員でカタチにした。
完成した「夢工場」はアスレチックルームや卓球場などの設備や託児所も備える。

社内ではインターンシップや障がい者雇用もはじめ、
「若者たちが行きたくなる製造業」としてマスコミでも注目されるようになった。

家庭生活では2女に恵まれた。
現在63歳の橋本さんは、新たな夢を抱いている。
「2年後、借入が終わって社長交代したら飲食店を開きたいのです。昼は安くて早くておいしい定食屋。
夜は少し高くも心地よいサービスを提供する癒しの空間に。ちっちゃな夢かもしれませんが、
私にとっては大きなビジョンです」と話す。

話を聞いて私は3つのことをお伝えした。
まず、「最善観」を持つこと。天から与えられた環境を受け入れた上で自分を肯定することだ。
0.1%も否定してはいけない。否定した0.1%が言い訳になって潜在能力を封印する。
二つ目は橋本さんの話に何度もでてきた「夢」という言葉。
橋本さんの話は常時追い続けてカタチにされた。ハングリーであることは夢を生む。
三つ目は「手形」だ。最近はご存じない方も多いが、まだ無くなってはいない。
「約束手形」は期限付きで現金化できる有価証券だが、支払われる保証はない。
ビジネスは信用が武器。手形は絶対に発行しないと心得たい。

逆境の大きさは、天が与えてその人の器だ。欲しくでも百貨店では売っていない。
天から与えられないときは大ボラを吹くことだ。自らが創る壁に挑むことだ。

逆境人生をパワーに変えてきた橋本さんに鳴りやまぬ拍手が贈られた。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「良くなる前には苦難がある」「営業するよりご縁でつながり」「その日を一生懸命生きる」。心に刻みました。
・ 「自分の周りの人たちは必ず幸せになる」この言葉に救われました。苦難を乗り越えてこられた方だからこその言葉だと思います。自分が幸せになって人に多く与える。勉強になりました。
・ 「毎日おばあちゃんから贈り物が届いた」という話を聞いて、橋本さんその笑顔から溢れる何とも言えない温かさは、そこから来たのではないかと感じました。
・ 潰しがきくことが大切。柔軟性がないと可能性を狭くすると感じました。「根拠のない自信」には必ず裏付けがあると思います。私もその裏付けが創れるよう毎日を大切にします。
・ 「よくなる前には必ず苦難が来る」というワードが印象的でした。皆が集まってくれる幸福。人のために会社を創る。人のために何かをすることがエネルギーの根源だと思いました。新たな飲食店、非常に楽しみです。
・ 逆境をチャンスに変える「逆張り感」を見習っていきたく思います。笑顔が印象的で輝いて見えました。
・ 様々な苦難、障害を乗り越えてこられた橋本さん。印象に残った言葉かあります。「営業するよりご縁でつながる」「思い付きでやったことは時代が後押しする」「次のステップに行く前には苦難がある」。
・ 63歳で今の仕事とガラッと違う夢を抱いておられる姿に感動しました。私も頑張らねばと!
・ 経営者として多くのヒントをいただきました。「営業するよりご縁つながり」「時代の後押し」。夢工場を見て見たい。
・ 企業価値を高める智恵を学ばせていただきました。
・ 最後の会長のお話「逆境は器。しかし逆境は百貨店に売っていない。大ボラを吹くことや」も、インパクト大! 新鮮でした。



 

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