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2015年08月17日

No.1635 木村塾やってみよう会 8月度例会@

8月11日、大阪市北区の手品家・梅田店にて第69回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「我が人生を語る」はUBI鰍フ竹内泰光社長。
会場には当会で過去最高の82名の方が詰めかけた。

講演前に2人一組になって「信頼残高の増やし方」をテーマにダイアードを実施。

冒頭、竹内社長は「出来すぎの人生だった。大した能力もないのに自己資本30億円の社長に
なったり、エベレスト登頂を目指したり。なぜそんなことになったのかと振り返ると
会長と出会ったことがきっかけだった。想像を超える目標設定を課せられる中で
潜在能力が開発されたのだ。私が思うのは、人の力の差は確かにあるが、
その差よりも何を目指して生きたか。習慣が結果をつくるということ。
今日は会長に出会って目標に向き合ってきたことをお話したい」と話した。

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竹内社長は昭和38年、大阪生まれ。お父さんは紳士服を仕立てるテーラーだ。
苦労人のご両親の元、子ども時代から自立心が強かった。高校時代にはバイク欲しさに
新聞配達や深夜レストランで寝る間も削ってバイト代を稼いだこともある。
成績は「中の下」。とくに目的もないまま高校卒業後「皆が行くから」と進学したが、
「学費も生活も親に一切心配はかけたくない」と大阪工業大学の二部に進んだ。

しかし、学業と仕事の両立は難しく1年で中退。
バイトで食いつなぐ生活を3、4年続ける中、転機が訪れた。日本はバブル期に突入。
不動産業界で働く話が持ち上がり、将来を見据えて宅建資格を目指すことを決意する。
「私が初めて持った目標でした。それこそ朝から晩まで猛勉強してテキストを丸暗記するくらい。こんなに勉強したのは初めてでした」。

その甲斐あって資格を取得。入社したのが滑ヨ西ホーム。私が1985年に始めた不動産仲介の会社だ。
当時、会社はバブルで大繁盛、21店舗に膨らんでいた。竹内社長が続ける。
「当時の会長はまだ50前の働き盛り。イケイケドンドンで勢いがありました」。
私はまさに典型的な昭和型のPL社長だった。

その後、竹内社長は頭角を発揮して北巽店を皮切りに本店の店長に。
北巽時代のエピソードがある。
「店長になったものの、この店は日中人もまばらで売上も上がらない。給料が半減する中、
付き合っていた女性とできちゃった結婚をすることになって(笑)。予算内で見つけた新居は
ボロボロのマンション。物件見るなり涙目になった彼女の姿に『5年後、絶対に新築の
マイホームを買う』と決意しました」。
その彼女が享子さん。マイホームが竹内社長の次なる目標になった。

飛躍のきっかけは谷町九丁目にあった本店。
場所柄やくざがらみのトラブルも多いこの店で社風の改善と固定費の削減に取り組んだ。
「先ず始めたのがトイレ掃除でした。店がきれいになれば人が代わり社風が代わります」。
さらに取り組んだのが、競売物件のリノベーション。
競売物件を購入してリノベーションし付加価値を高めて販売する。
社内ベンチャー的に始めたところこれが当たった。

最初は1000万円程度の物件だったが、次第に数億円の収益マンションを手掛けるように。
「もちろん失敗もあります。一度、落札したものの見込み違いで2番手と6,000万円もの
開きをつくってしまいました。えらいことになったと香港に出張していた会長に報告すると、
こっぴどく叱られると思ったら『いけるの?』と念を押されただけ。「大丈夫です」と返事をすると
「じゃあ、何の問題もない。電話切るで」と。任せた限りは全幅の信頼を置いてくださる。
絶対に失敗はできないと自分に誓いました」。

その後の経緯は割愛するが、関西ホームの管理部門を分社化して設立したのが
アーバンべネフット梶B後のUBIだ。
バブルの崩壊を経て、弊社は売上思考の「PL経営」から目標を自己資本に置く「BS経営」に転換。
その結果、業績は飛躍的に伸び2003年にはBSビジョン3億円を達成。
さらにBSビジョン10億円という「2010年ビジョン」を掲げる中で、
竹内社長は常に「できる方法」を考えた。

弊社のメイン事業が不動産から事業再生へ、そしてファンドやソーシャルレンディング事業へと
様変わりしていったのも、ビジョンが成せる技だ。
竹内社長は言う。
「BSはPLの結果ではありません。PLは最大目標であるBSビジョンを達成するための手段。
ならばBSを上げるためには、手段を変える。つまり、事業そのものを変えることが必要でした」。

竹内社長はこうも話した。
「目標のところでどうすれば達成できるかと聞かれるが、意志(決意)が8割。やり方は個々それぞれ。
私も紆余曲折の中でやったが決意だけは変えなかった。目標達成するには有言実行。人に言う。
そうすれば自分に対するプレッシャーが生まれるだけでなく、応援してくれる人も出る。
さらに私の場合は「期待に依存する」というのも効果的でした。その相手は家族であり、
会長でした。会長のために頑張るということが最大の原動力になりました。
後は絶対にあきらめない。突き詰めるまで続ける。効果がわからないうちにやめてしまうのが一番勿体ないと思います」。

最後に「何かを目指して生きていく。その途上で人生が終わってしまうような生き方がしたい」と締めた。

すばらしすぎるスピーチ。割れるような拍手の中、質問が押し寄せた。
たとえば「目標設定のコツは?」「社員とビジョンを共有したいが、温度差を無くすには?」
「社員をどのように誉めるか?」「あきらないことと、やめること。そのバランスは?」等々。
皆さんの熱い質問に対して、一つひとつ誠実に回答した竹内社長。感謝の言葉とともに
「あらためて有言実行。エベレスト登頂も含めて身の引き締まる思いです」と感想を話した。

冒頭、皆さんには「信頼残高」をテーマにダイアードをしていただいたが、
私にとっての信頼残高は竹内社長そのものだ。
経営者として私がしたことは、放牧経営で彼にステージを与えたこと。
「理念とビジョン」という柵だけ決めて後は任す。口は出さない。それは究極の人財育成である。
私の人生は「テイク・アンド・テイク」から60歳を過ぎて「ギブ・アンド・ギブ」になったが、
結果的に物凄いテイクが「後ろから」ガバーッとやって来た、というのが実感だ。

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また、この日は、皆さんからの思いもよらないサプライズが待ち受けていた。
ステージになんと私の顔が描かれた直系40cmほどある大きなケーキが登場したのだ。
竹内社長の発表を含めて、私の75歳のバースデー・プレゼントだという。

75年生きてきた中で、今日という日がまた最高の一日になった。
ありがたいことだ。
竹内社長、準備をしていただいた皆さん、祝っていただいた皆さん、
そして、ご縁をいただいたすべての方々に心から感謝したい。



 

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