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2015年09月28日

No.1651 大阪木村塾 BS経営相談所 9月度 開催

9月18日、大阪木村塾9月例会が大阪産業創造館で開かれた。
7月以来、2カ月ぶりの開催だ。先月は私の緊急入院でご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げたい。
ご心配をおかけしたが、お陰さまで元気になってキリマンジャロ登山にも挑戦できた。

今回は太成学院大学 経営学部教授の釣島平三郎先生や数名の新規の方をお迎えしたので、
DVD上映とからめて我が起業家人生をたどり、
「逆境に勝る師なし〜変化こそチャンス」をテーマにお話させていただいた。

私には2つの原点がある。
父の死で家族を養わねばならなかったこと。
終戦後の廃墟の中で復興に向かう日本というステージに生まれたこと。
学歴なし、経験なし、常識なし、既成概念なし。
ないない尽くしが、「カタチを変え、メシのタネをつくる」起業家の基盤をつくった。

学歴がなかったがゆえに、履歴書を書いてサラリーマンになるという発想がなかった。
常識や既成概念がなかったから、片っ端から新しい仕事にチャレンジした。
30代になって、子どものために定時制高校に通い、卒業したが、
そのお陰で「続ける」習慣を身に付けた。
また、50歳で迎えたバブルの崩壊。巨額の負債をつることになったが、
この失敗を機に経営を一から学び直したことで「BS経営」という王道の経営に辿り着いた。
その中で出会った、多くの方々との縁に支えられた人生でもあった。
逆境とはいっても、私自身は全く苦労や努力とは感じておらず運のいい人生だったと思っている。

変化こそ大チャンスだ。
チャンスはいつも、ピンチという衣を被ってやって来る。

今、日本は情報革命の最中にある。
先般、キリマンジャロ登山で訪れたタンザニアでも、前回23年前に訪れた際には
ガイドさんや荷物運びのポーターさんは裸足だったが、今は登山靴を履き、携帯電話を持っている。

「お金がない」「時間がない」「歳だから」「若いから」。そんなことは関係ない。
チャンスは世界中に転がっている。仕事は「ある」ものではなく「つくる」のもだ。
チャンスは星の数ほど無限にある。

どうか、自分にチャンスを与える人生を歩んでほしい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 今日のお話で感じた事は「聞く責任」です。木村会長が人生をかけて学び続けてきた事を言葉に魂を乗っけて伝えてくださっています。毎週、毎月、木村塾があり、その場で伝えてくださるという事は、木村会長がやってきた事を超える責任があると感じました。聞いた責任を果たせるよう、やり切ります!
・ 「ピンチはチャンス」。そう思うだけで毎日チャンスだらけです。もう機は熟したと思うので新しく始めていきます。
・ いつも熱くお話くださってありがとうございます。「チャンスはピンチの時に来る」。今の日本にピッタリの言葉だと思いました。人生の折り返しを50歳と考えると、まだまだ何でもできる!! 今は失うものも恥じるものもないのでガンガンやって自分の魅力を上げていきたいと思いました。
・ 仲間と別の会社を立ち上げました。どのようにして最初のお金ほ殖やすか考えています。木村会長の話を聞いて新しく道が開けたような気がします。
・ 目からウロコでした。固くなっていた頭が少し柔らかくなった。自分がやりたいビジネスを実行していこうと改めて思いました。
・ ビジョンは非常に大切だと思います。しかし、ビジョンだけではご飯は食べられないと感じます。数字が見えるよう、数字に強くなるにはどのようなことが必要でしようか?

2015年09月27日

No.1650 横浜木村塾 第12回セミナー開催

9月17日 横浜市開港記念会館にて横浜木村塾 第12回セミナーを開催。
セミナー前に松尾塾長、弊社UBIの竹内社長と合流、
横浜市内にある鉄筋工事会社のE社を訪問させていだいた。

K社長は41歳。設立・創業は2002年だが、お父さんが創業して一度は倒産した会社を
ゼロから立て直し、頑強な会社へとつくり変えられた。
現在、第13期。資本金1,000万円からにスタートし、決算書を見ると10倍以上の自己資本を築いておられる。
聞けば、日創研と木村塾で経営の勉強され、
売上志向の「PL経営」から、目標を自己資本に置く「BS経営」に転換された。
社員一人ひとりの個々の得意分野を最大限に活かし、
仲間のために最高のチームワークで最高の力を発揮するチームを目指すというK社長。
「新たなるステージ」に立つため、7年後の20期と、K社長が60歳のなる19年後をゴールとして
BSビジョンを策定するお手伝いをさせていただいた。

訪問後、K社長も一緒に会場入り。
いつもは美容関係の塾生さんが大半を占める当塾だが、今回は金融機関の方や税理士さんも多く、
「BS経営とBSビジョン」をテーマにお話させていただいた。

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経営において、ビジョン(目指すべきゴール)を決めることは不可欠だが、
これを抽象的な言葉ではなく、具体的な数字を入れた「BSビジョン(自己資本目標)」で
「公言する」、というのがBS経営の肝だ。

ちなみに、一般的にBS(バランスシート)は、1年毎のPL(損益計算書)の結果として
積み上げていくと考えられるが、そうではない。
「こんなBSを絶対につくる」という経営者の強い意志によってつくられるもの。
つまり「BSビジョンありき」なのだ。PLはそのための「手段」に過ぎない。
強いBSビジョンをつくるためには、手段である事業内容そのものも変える、
くらいの大胆な発想があっていい。

セミナーでは、K社長が決算書を開示して、決意と共に策定したばかりのBSビジョンを発表。
また、BSビジョンを持つとどのように会社が発展するかという事例を、
この20年で自己資本を10倍にした竹内社長が、UBIの歩み辿る中で解説した。

今、日本は「情報革命」という、明治維新や敗戦後に続く、世界を巻き込んだ大変革の時代にある。
変化はチャンスだ。
日本のものづくりはすばらしいが、その幻想にばかり捉われず
「サービス産業」の分野に果敢にチャレンジしてほしい。

起業家とは、1代目の創業者とは限らない。
2代目、3代目であっても「カタチを変え」「メシのタネをつくる」人は皆、起業家だ。
今こそ、起業家の登場が待たれる。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「資産の大きさに合せて、情報も仕事も付いてくる」という教示には全く共感しました。常にビジョンを持って経営したいと思いました。
・ 決算書を見る機会が多いのですが、今日学んだBS経営を参考にして考えていきたいと思います。
・ 実際の決算書を通してBS(バランスシート)の大切さや見方を学び、自分の仕事に対する数字の曖昧な姿勢を正すべきだと痛感しました。
・ ビジョンを持つことで自分の行動、考え方を変えていく、成長させていく源になるということ。非常に説得力のある言葉として受け止めました。
・ 「ビジョン」という言葉が頭から離れません。自分には1年後、5年後のビジョンがあるのか? 考えるきっかけになりました。
・ 経営のことをあまり分かっていませんが、会社を見る一つのモノサシを知ることができたと思います。K社長のお話も大変興味深く、ビジョンもステキだと思いました。
・ 4回目です。今回BSビジョンについてお話いただき非常に感銘を受けました。明日からBSを意識して経営に携わっていこうと思います。これからも学ばせていただきます。
・ 初めて参加しました。冒頭の挨拶、DVDを見て久しぶりに自分の人生について振り返り、考える事がありました。BS経営について勉強になりました。「売れる会社をつくる」。いい言葉だと思います。また参加します。
・ 具体的な事例、E社さんのBSや経験談を聴くことができ大変勉強になりました。
・ 非常に興味深い話を聞かせていただきました。BS経営、ROA、ROE、自己資本にスポットを当てた経営手法、我が社もぜひ取り入れていきたいと思いました。
・ BS経営の内容を細かく説明していただきました。自己資本を貯めることができる会社について勉強になりました。
・ 木村会長は30以上の仕事を起業されたそうですが、その中で止める時のタイミングはどのように判断されましたか? また、経営を任せる時の人選の基準は何でしょうか?

2015年09月26日

No.1649 木村塾やってみよう会 9月度例会

9月15日、大阪市北区の手品家・梅田店にて第71回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「我が人生(経営)を語る」は「日本一走るパティシェ」の異名を取る堀口明裕さん(35歳)。
京都で洋菓子店「ソルシエ」2店舗の経営と梶uクレーションドゥーレーヴ」代表取締役社長を務める。

ウルトラマラソンやスカイダイビングにも挑戦、いつも明るく活発な印象の堀口さんだが
冒頭「実は生きて行くことに困難な人生を送りました。でも、こんな自分でも変われた。全ての人にチャンスがあります。恥ずかしいけど聞いてもらいたい人生です」と語った。

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堀口さんは1979年京都市生まれ。日本人の父と在日韓国人の母の間に生まれたが
幼い頃に両親が離婚。弟と共に母の元で育った。
水商売で生計を立てる母との暮らしは貧しかった。幼心に刻まれたこんな思い出がある。
「毎年、年末だけは母が5円、10円と貯金した陶器の貯金箱を割って3人で年越しそばを食べるんです。それだけが楽しみでした」。
母自身も過酷な人生を送り、成功した兄弟姉妹の中で孤立しコンプレックスを抱いていた。
生活苦に仕事や子育てのストレスが原因だったのかもしれない。
かまってもらいたいがゆえに無理難題をしかける幼い息子に対して、しばしば手をあげた。

学童期。友達とのコミュニケーションの取り方も分からず
暴力でしか自己表現できない問題児だったという。
家で虐待され、友達からもいじめられ、学校では体罰が待っていた。
そんな生活や性格から抜け出したいと期待した高校でも誰とも交わることができず、
一人ぼっちで過ごした。
ただ、高校でアルバイトを始めるようになると、欲しいものが自分で買えるようになり、お金のないストレスから少しずつ解放された。せっせと貯金も始めた。

また、負けず嫌いでスポーツだけは負けなかった。小学校の時からリレーでは1位になり、中学校の部活で入ったサッカーでは能力を発揮して、京都府の育成メンバーに。
さらに高校ではサンガのユースチームにも選抜された。
「将来はサッカーでメシを食う」と決めていた堀口さんだったが、現実は厳しい。
身長も技術面でもプロとしては通用しない。
「ならば自分で飲食店を開くか、何か自営業を」。
幼い頃から飲食店経営などで財を成す親戚を見る中、無意識のうちに起業家への道を選択していた。
高校卒業後、パティシェの道に進んだのは「お菓子を創りたいというよりも、
女性と話せるようになりたかったから。不純な動機も結構大切です」と笑わせる。

製菓学校を卒業し、社会人になっても試行錯誤が続いた。25歳で独立するまで5店舗で働いた。
堀口さんは、その間を挫折絶望期、変革迷走期、挑戦行動期、覚悟確立期等に分けている。
起業を視野に入れ堀口さんは入社してすぐ、国庫金を借りる相談に行った。
オーディションを受けて芸能プロダクションに所属したりしたことも。
「芸能界で有名になれば、すぐに店が出せるかと。実際は月謝を払うばかりですぐに辞めましたが」。
最初の会社は年間休日が108日あり、休みの日は引越し会社や建設会社でバイトしてお金を貯めた。
職場でもバイト先でも友達が一人もいないので、誰ともしゃべらない。
4年間そんな生活を続けているうちに「心の崩壊」が始まった。

自分は何者なのか。どう生きていけばいいか。どうすれば改善できるか。
人間関係に悩む中で、負のスパイラルから逃げ出せなくなった。
「アダルトチルドレン」という言葉を、本屋でみつけたのもその頃だ。
「子どもの頃に受けた虐待などがトラウマになって、大人になっても何かに依存し自立できない人を指します。まさに私でした」。
抜け出すために自助グループに入ってみたが、カウンセリングばかりで解決の糸口が見えない。
どんどん混乱し、うつ病になった。病院で受診すると薬漬けの生活になった。
しかし、仕事は休めない。
「ケガをしたら休めるかも」と、階段から飛び降りたら腰骨にヒビが入って2週間休めた。
別の病院では、多動や物忘れ、依存症の症状から「発達障害(ADHD)」と診断されたり、
若年性痴呆症を疑われたことも。そのうちに声が出なくなった。「失声症」だった。

最後に訪れたのは母親のところ。「ところが、母からは私は関係ないと言われて・・・」
追い込まれた堀さんは死を決意して自殺を試みた。
走って交差点に突っ込んだり、バイクで突っ込んだりしたが滑って転げた。
マンションのダイブしようと11階に上がったが、怖くて飛べない。2回目も3回目も。
「生きることが辛いから死にたいと思ったのに、死ぬことはもっと辛いことに気付いて・・・
死にたい、死にたいと言って泣いているうちに、生きたい、生きたいと言っていたんです」
当時を思い出して何度も言葉を詰まらせる。

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「生きたい」。心の底からそう叫んだ堀口さんは、本屋に行きまくり生への道を探った。
この時に目が止まったのが、幼い頃、母に読んでもらいたかった童話の本。
「桃太郎とか、サルかに合戦とか・・・。こんな本を読み直しました。読めば理解力が
付くかもしれないと。そして、聴く力を付けようと人と話をしました。
でも、私は全く話を聞いていないことに気付いたんです。それで人との会話を全部メモし、
帰って読みました。何度も何度も。生きるためには自分が変えていくしかない。
自分の持てる力を回復させようと取り組みました」。
大枚を払って右脳開発のために速聴の学習機材を買ったり、
出生前の記憶を蘇らせる退行催眠術の専門家を訪ねたり。体力づくりにマラソンも始めた。
そんな中で「行動すること、人に与えることが、自らの人生をよくする」ことに気付いたという。

転機は2006年、滋賀県野洲にある人気店「プティドール」でスーシェフとして働くチャンスを得たこと。
15坪から100坪の店にリニューアルした店で、堀口さんは
「徹底的に無駄を省いて、かつスタッフが働きたくなる店づくり」を目指した。
その結果、売上が倍増。人と関わり、人と高め合う中で自信を得た。

2008年6月「夢の創造」を理念に掲げて京都・梅津で念願の店をオープン。
自己資金400万円の他、熱意とビジョンをアピールして無担保無保証で800万円の
資金調達にも成功した。
翌年には一緒に店をやってきた女性と結婚。
2013年には西京極に2店舗目をオープン。
続いて今年6月には、理念を共有する仲間と共同で新たに会社を立ち上げ、
西京極にペット連れの人が集える「つむぐカフェ」をオープンした。
社名の「クレーションドゥーレーヴ」はフランス語で「夢の創造」。創りたいのはケーキでない。
「人にはさまざまな願望があります。お客さんもスタッフも私も含めて互いが応援し合える関係づくり。一人ひとりの夢の創造を応援する。そんな場にしたいのです」と語る。

順風満帆、ではない。開業以降、常にお金の問題、人の問題が付きまとう。
せっかく結ばれたパートナーとも別れてしまった。
しかし、「逆境こそ成長の力になる。逆境の大きさが自分の器だと木村塾でも学びました。常に勇気や元気を自分から伝えて、挑戦する仲間を増やしていきたい。人生はマラソンと同じ。一歩一歩前に進めばゴールできます。これからも逃げずに走り続けます」と。

最後に力強くこんなBSビジョンを話した。
「2023年には借入した資金を2023年までに返済して、2027年に総資本1,000万円、
2031年に総資本2,000万円を計画しています。ケーキ屋としては原点に帰ってスタッフが楽しいと思う店づくりを。人に任せることも課題です」

今回は時間の関係もあり、皆を代表して浅田先生がフィードバックしてくださった。
壮絶な人生だ。堀口さんは凄い宝物を持っている。胎が座っているし、勇気がある。
起業家になるべく最高の人生をご両親から与えられた。
それに100km走り続けられるほどの身体能力を持つ上に、頭もいい。
これからは仕事を通じて、与えられたものを本当の財産に変えていくことだ。
成功したら銭が儲かる。失敗しても経験が儲かる。
しかし、宝物を本物の財産に変えていくには掲げた目標を達成して成功することだ。
そうすることが、ご両親に対する一番の恩返しになる。
見返してやろう! ではなく、成功したときに真の感謝が生まれる。
恩返しのできる人生を送ることが、真の幸せにつながるだろう。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ スポーツマンでアグレッシブな堀口さんからは想像もつかない壮絶な人生。社会人になってから克服しようとされる生き方が素晴らしい。浅田先生のフィードバックが分かり易かった。木村会長の「見返してやろう!ではなく、成功した時にご両親に対する感謝の心が生まれる」という言葉が印象的だった。
・ 堀口さんの人生の棚卸。本当に自分をそこまでさらけ出して。だからこそ、人が集まるのだと思いました、どん底や大変な時の話をたくさんされて、流石です。
・ これが本当の人生の棚卸。本気で感じました。私も人にこんなにも感動を与えられるくらい自分の人生、気持ち、魂を乗っけて話せるようになりたいと思いました。
・ 人の人生を聴ける。なんて素敵なんだろうと感じています。最初にキリマンジャロに挑戦されたメンバーの感想がありましたが、堀江さんの「忘れられない瞬間が多いほど人生は豊かになる」という言葉の通り、この会は人生を豊かにする場だと思います。
・ どの場面でもコミュニケーションの壁が人生の壁になるのだなと思いました。
・ 素直な心を持っておられると感じた素晴らしい話でした。若いチームを同じ方向に強化していくには大きなビジョンを語ることも大切ですが、小さなコミュニケーションを重ねることも大切です。
・ 来てよかった。感謝します。堀口さんは、木村会長が最後におっしゃった「宝」をたくさんお持ちだと思いました。ともて希望を感じます。
・ 「人に与えることが自分の人生をよくする」。その通りだと思いました。
・ 堀口さん。まさかここまで辛い幼少期を過ごされていたとは! よく生きていてくれましたね。前向きに生きるようになられてからのエネルギーは凄い! 行動力が物凄いです。谷が深ければ山は高い。これからも沢山の方に伝え、勇気をあげてください。
・ 自分で考え、自分で行動して前に進む。たくさんの経験が今の堀口さんを築いている。
私も昨年本当に辛い思いをしましたが、前進できるのは自分自身しかない。前に進んでいくと苦しいとは思わなくなる。そんな気がして力をもらいました。
・ 「死にたい」は「生きたい」気持ちの裏返し。涙ながらに吐露された堀口さんの言葉に電撃が走りました。体験した人の言葉に勝る真実はありません。
・ 素晴らしい内容だった。感動した、心から。これからかせスタート。私も本当に頑張ろうと思いました。素直な人間が一番強い。ありがとう。
・ 何より若くて元気で素晴らしい。いろいろなことを考える内容でした。ソルシエのケーキをいただきましたが、この美味しいケーキを創る人の話を聞きたいと思っていました。
これからの人生でさらに幸せになられることを祈ります。
・ 苦しい幼少時代だったかもしれませんが、逆境を乗り越えるチャンスを与えられていたのだと感じました。少しうらやましい。成長するのは楽しいですね。

2015年09月23日

No.1648「木村塾キリマンジャロ登頂ツアー G

皆さんの登頂の様子は、一足早くレスキュー車で下りてきた宍戸さんから聞いた。
何より、私と同じ70代の敬子と成子さんが登頂したと聞いた時は涙が出るほど嬉しかった。
アタック当日は私も眠れず、宿泊先のホテルからリアルタイムで祈り続けていた。

ゲートの向こうから皆が下りて来る。
すごい。皆、晴れ晴れとした顔で王者の風格をしている。よかった。大成功だ。
堀江隊長。よくここまで皆を一つにしてくれた。ありがとう。
かりんさんも準備の時から堀江さんを支えてくれてありがとう。
嶋田さんに声を掛けた。
「いやぁ、嶋田くん。えらいキリマンジャロに惚れられたもんやな。また、来なアカンで」。
「はい。その通りです」。
にっこり笑う嶋田さん。高山病も直ってすっかり元気そうだ。

私はといえば、この6日間、英語のガイドさんと一緒にケニアとタンザニアでサファリを楽しんだ。
海外に行ってもいつもは日本語のできる通訳者が付いたが、今回ばかりは日本人がおらず一人だ。
どうなることかと思ったが、2日目から少しずつ話せるようになり、
思いの他、私の英語が通用することが分かった。
やってみなわからん。75歳にして新しい発見だった。

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すでに16時になっていた。マラングゲートで遅目の昼食を取り、
待ちに待ったキリマンジャロビールで乾杯!
中には登山のために禁酒していて1年ぶりのビールという人もいる。
昼食後、チーフガイドのビンセントさんから登頂者への証明書の発行式が行われた。
皆、最高の笑顔だ。
高橋さんも、権藤さんも、池永さんも。熟年、熟女がここまで頑張ってくれるとは!

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届いて同行してくれた現地スタッフとお別れのセレモニーが始まった。
現地スタッフが歌う「ハクナマタタ」のリズムに乗って、私がまず輪の中に入って踊り出す。
続いて敬子や堀江さんも踊り出した。
堀江隊長が「モジャモジャ」(一歩一歩)の掛け声に合わせて、奇妙なオリジナルダンスを披露する。
その仕草に現地の人たちが大喜び。彼らと手を取り合って全員がダンスに興じる。
一体、いつまで続くのだろうというほどノリにノリまくった。

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その後、専用車の乗り込み、シモ地区にあるスーパーに寄って
みやげもののコーヒーなどを買ってホテルに戻ると22時に。
打ち上げを兼ねた夕食の席では、参加者一人ずつから今回のツアーの感想を述べた。

多くの人が「感謝」の言葉を口にする。
チームの皆に。スタッフや添乗員さんに。行かせてくれた家族に。社員さんや同僚、
仕事先の方に。丈夫な身体に産んでくれた両親に。応援してくれた友人に。天候に。

堀江隊長は「めちゃラッキーでした。簡単に登れたらいい気になって次はエベレストだと
言い出したと思いますが、まだまだ修行を積めということです」と話した。
「6,000mの山も、この一歩から。一歩一歩の大切さを学びました」と語る門浦さん。
高橋さんは「関西人の元気のお陰で登れた。関西人の頑張りがあれば日本の未来は明るい」と。
それぞれが大きな宝物を掴んできた。

私を含めて16人中、登頂者は12名だったが、全員勝者だ。
成功のポイントは、3つある。一つはチームの力だ。そして添乗員さんや現地スタッフの力。
あと一つは自分の力。究極の場面で1+1が3も4にもなった。
私も思わぬアクシデントで途中下山となったが、皆さんをここまで連れてくることが
できたということが一番の収穫だ。
そして、このキリマンジャロ登山のお陰で病気が見つかり命拾いした。本当に運に恵まれている。

どうか、この経験をこれからの人生に、仕事に活かしてほしい。
やってみなわからん。
やったことしか残らん。

翌日11日はタンザニアにあるアリューシャ国立公園のサファリを満喫。
タンザニア空港からカタ―ル航空機で中東ドーハを経て、それぞれ成田行き、関西空港行きの
飛行機に乗り換えて12日夕方、無事16人、凱旋帰国した。

すばらしい旅だった。
アサンテ、キリマンジャロ!!

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2015年09月22日

No.1647「木村塾キリマンジャロ登頂ツアーF

9月9日。登頂の感動に浸る間もなく下山に向かう。
ギルマンズ・ポイントから敬子さんと成子さん、池永は、ポーターさんに手を引かれ
一気に岩場を通って砂礫の坂道を転げるように下りる。
下りるというより、お尻でズズズーと滑るという感じだ。
下るほど気圧も下がり酸素が多くなるので登りに比べるとラクだが、そのスピードに息が続かない。
真下にキボハットの山小屋がミニチュア玩具のように見えた。
夜中は全く分からなかったが、あらためて「一歩一歩」の力を実感する。

命からがらキボハットの山小屋に戻ったのが9時頃。
広場では、現地スタッフや訪米系の登山者が口ぐちに「コングラチュレーション」
と言って、
拍手で迎えてくれる。
「アサンテ(ありがとう)! 」「アサンテ! 」「アサンテ! 」。なんとステキな言葉だろう。

部屋に戻ると堀江隊長とかりんさん、嶋田さんが心配そうに待っていた。
みんな元気を回復している。
「登れた」と報告すると、「わー!! おめでとう」と満面の笑顔で祝福してくれる。
とにかく眠い。スタッフが用意してくれたお茶を飲んで倒れ込むようにベッドに横たわった。

最高峰のキボハットに登頂した先発隊も、一番乗りした竹内社長を先頭に次々と戻ってきた。
皆、極度の疲労と興奮の中、それぞれの武勇伝を伝える。
しばらく休憩した後、かりんさん、嶋田さん、敬子さん、成子さんの第1陣が、
ホロンボハットに向けて出発。
昼食をはさんで、13時過ぎに第2陣と添乗員の島田さんも出発した。
金さんの姿が見えない。
堀江隊長は、遅れて到着した権藤夫妻と一緒に金さんが到着したら下るという。

キボハットからコロンボハットまで標高差約1000m。予定では2時間くらいというが
日暮れまでに着くだろうか。
不安を抱えながらレポーター池永は、健脚ママ・宍戸さんとポレポレと歩いた。

途中、現地スタッフ数人が押す一輪車に乗せられて下りてきた登山者があった。
寝袋に包まれたその登山者を見ると、なんと金さん!
キボハットに下る途中で歩けなくなったという。
「大丈夫ですよ。貴重な体験ができました」
心配して覗きこむ私たちに、金さんのほうからマスクを下げて声をかけてくれた。

目的地のホロンボハットまであと少しという地点で、なんと健脚ママの宍戸さんが
小石につまずいて転倒。膝をケガした。
男性陣と同じペースで歩き続けて、やはり全身が疲弊していたのだろう。
同行していた添乗員の島田さんの応急処置で、なんとか17時頃にキボハットに到着。
その後、権藤夫妻と堀江隊長も到着。
いろいろなアクシデントがあったが、夕食事には全員が揃った。

明日はいよいよスタート地点のマンダラゲートへと向かう。
今日はぐっすり眠れそうだ。
3度の夜を過ごしてすっかりなじんだホロンボハットのベッドで深い眠りについた。

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翌9月10日。6時起床。
下山なので今まで続いた血中酸素飽和度や脈拍数のチェックからも解放される。
昨日の疲れもかなり回復している。
金さんも元気になり、自力で下山できるという。
下山は膝への負担が大きい。膝をケガした宍戸さんは、大事をとってレスキュー車で
会長の待つ標高1,820mのマラングゲートへと向かう事になった。
このホロンボハットから下には車が通っている。

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来た道と同じルートで5日前に宿泊したマンダラハットを通ってマラングゲートまで
約7時間の道程だ。
数日しか経っていないのにこの風景が懐かしい。
赤土舞うサバンナも、ジャイアントセネシオも湿地帯も。
行く時はあまり気付かなかった脇の小さな植物にも目がいく。
この日もシロクロコロブスには出会えなかったが、ブルーモンキーに遭遇する。
いよいよ、この登山もゴールが見えてきた。

ここからは再び、池永さんからバトンを戻してもらって私、木村がレポートしよう。

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2015年09月21日

No.1646 「木村塾キリマンジャロ登頂ツアーE

9月8日。うとうとして目覚めると22時だった。真冬用の服装をすると食堂に集合。
嶋田さんの姿が見えない。やはり高山病で起きられないという。
「行ってきます。嶋田さんの分まで頑張るから」。心の中でそうつぶやく。
レポーターの池永も食欲が湧かず、カップ麺を宍戸さんと半分ずつ分けて食べる。
気温は氷点下2度。「今日は温かいですよ。前回は−10度だったから。ついています」。
竹内社長の言葉に勇気をもらう。

23時に出発。全員にプライベート・ポーターを付けることになった。
ここにきて現地スタッフが25人も付いてきた意味が分かった。
ヘッドランプの明かりを頼りに1列になって砂礫の斜面を登る。
今までの道よりも急坂だ。
「はい、深呼吸を5回しましょう」。
添乗員の楠さんが何遍も列を行ったり来たりして体力的に心配な人のフォローをする。
登山者にとって真夜中といえども水分補給と排泄は大事な仕事だ。
30分置きに5分間の休憩があり、水を飲んで青空トイレならぬ星空トイレをする。
動作は素早く。もたもたしていたら凍傷になる。

2時間ほど歩いただろうか。5,000m付近のハンス・メイヤーケイブの休憩地点で、
女性では一番若い堀江かりんさんが心臓の苦しさを訴える。

「僕も一緒に下りる」「そんな・・・この日のために1年間あんなに頑張ってきたのに」
「そんなことは何でもない」。
ご主人でもある堀江隊長との会話が聞こえてくる。
添乗員の楠さんとも相談して堀江隊長とかりんさんは一緒に下山することを決意した。
「堀江さん、後は僕に任せてください」。
副隊長の久保さんが力強く言った。

楠さんの指示で体力に合せて2班に分かれることになった。
第1グループが竹内社長、浜田さん、久保さん、門浦さん、金さん、宍戸さんと添乗員の島田さん。
第2グループが高橋さん、権藤夫妻、敬子さん、成子さんと私・池永と添乗員の楠さん。
第2グループの先頭を行くことになった池永が先発隊の後ろを追うが、たちまち姿がみえなくなった。

それからどのくらいしただろう。息が切れてポーターのエマヌエルさんのスピードに着いていけない。
眠気と吐き気を訴えていた高橋さんは、何度も地面に倒れ、吐いている。
池永もついに力尽き、添乗員の楠さんからも下山をすすめられて同意する。
万事休す。
石に腰かけて座っていると、エマヌエルさんが手を取って行こうというアクションをする。
また立ちあがり、歩いては休み、休んでは立ちあがり・・・この辺りからはよく覚えていない。
後ろから「池永さん、頑張って」という敬子さんの声が聞こえた。

5,500mを過ぎた辺りで突如、目の前に今までなかったような岩壁が立ちはだかった。
「お前は本当にこの山に登りたいのか?」
女神様のように優しかったキリマンジャロが一転、大魔王と化して問いかけてくるように。

「無理、絶対に無理」と後ずさりする私をポーターさんが引き上げてくれる。
無我夢中で登り続けた。
「ほら、もうギルマンズ・ポイントが見えますよ」。
地面ばかり見て歩いていたが、楠さんの声で上を見るとすぐ向こうに頂上が見えた。
振り返って天を仰ぐと、いつの間にか夜が明けて青白く変わり始めた空に小さな月と星が輝いている。

元気が盛り返してきた。
あと一歩、あと一歩。
ついに5,68 2mのギルマンズ・ポイントに到着した。
9月9日午前6時半。キボハットをスタートして7時間半が経過していた。

涙が止まらない。うれしいというより「ありがとう」という言葉しか浮かばない。
すぐ後ろにいた敬子さん、成子さんも到着。二人とも抱き合って泣いている。
その輪に池永も加わって熟女3人で感動を分かちあった。
見れば権藤さんと加代子さんもすでに到着している。

権藤さん夫妻はこれからまだ200m先のウフル・ピークに向かうと言う。
「いってらっしゃい。私たちの分まで頑張って登ってください」。
そう言って、敬子さん、成子さん、池永は10分ほど休憩した後、ポーターさんと下山に向かった。

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その後、高橋さんも同じくギルマンズ・ポイントのまで登頂した。
途中何度も倒れ、4回吐いて。それでも「絶対に登るから連れて行ってくれ」という
高橋さんの気迫にポーターたちが「ミスター・タカハシを何としても登らせよう」と
フォローしてくれたという。

先発隊はどうしたのだろう。
竹内社長を先頭に一足先にギルマンズ・ポイントを通過した一行は、
7時15分、ほぼ同時にキリマンジャロの最高峰、5,895mのウフル・ピークに登頂した。
門浦さんは持ってきた木村塾の旗を掲げ、必死でビデオカメラを回した。
そして、会長から聞いていたように山頂で石を拾った。
カメラ機材抱えている上に重い石を持ってフラフラで歩くその姿に
濱田さんは「石を捨てたら」と忠告したという。
すると「これは堀江さんのための石だから絶対に持ち帰ります」と答えた門浦さん。

副隊長の久保さんも高山病でヘトヘトになる中、堀江さんのために石を拾った
意識も朦朧としていた。
久保さんは毎夜、奥さんへ当てた手紙(日記)を書き綴っていたが、後で読み返すと
登頂の2日前辺りから意味不明の文面になっていたという。
宍戸さんも極度の疲労にあったが、最高峰から見える氷河の美しさに感動して
写真をたくさん撮りまくった。

一足遅れてウフルに到着した金さんは、目標達成の安堵感と疲でうずくまった。
権藤さんも、外反母趾で足が傷んで歩けなくなる妻、加代子さんを励まして何とか最高峰に到達。
加代子さんが習っている絵手紙の先生からもらった旗を掲げて、金さんと共に撮影した。

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マイペースで登れたのはキリマンジャロ2度目の竹内社長と元・佐川ボーイの濱田さんだけだった。
濱田さんは平常心を保つため心の中で、ゆずの「栄光の架け橋」の歌を歌い続けた。
しかし、その濱田さんも途中、あるはずのない手すりの幻想に惑わされたそうだ。

しかし、喜んでばかりはいられない。
ここから、2,000m下のコロンボハットまで下山しなければならない。

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2015年09月19日

No.1645「木村塾キリマンジャロ登頂ツアーD

9月8日。朝5時起床。外に出て朝日に輝く雲海を見ながら歯磨きをする。
今日は標高3,720mのホロンボハットから、キリマンジャロ登頂の最後のスタート地点となる
キボハットに向かう。

朝食は、いつもと同じトースト、パンケーキ、オムレツ、ソーセージ、ポタージュスープ、
トマトときゅうり、マンゴーやスイカなどのフルーツ。それに白米のお粥だ。
お粥は日本人登山客に合せて同行のコックさんがつくってくれる特別メニューだが、
高度が上がるほどに有難味を増す。
これに添乗員さんが持ち込んだ梅干しや塩昆布、ふりかけをたっぷりかけていただく。

キボハットは標高4,703m。ホロンボハットとの標高差は約1,000m。
つづら折りの道約12kmを約6時間かけて登る。
これまでは春夏の服装でもよかったが、フリースを1枚余計に着てザックにも厚手の
ジャケットを入れる。

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8時過ぎに出発。昨日のゼブラロックからの帰り道を通って今度はキボハットへと向かう。
草原地帯を抜けると、サドル地帯と呼ばれる、砂と小石のなだらで広大な丘陵が広がる。
途中「ラストウォーター・ポイント」という道標が。ここからは水がないという。

「あれは、ヘリポートですよ」
添乗員の指さす方向を見ると、ミステリーサークルのような円が。
といっても、丸い石を丸くに並べただけのものだ。
万が一、登山者が山頂で重篤な状態に至った場合、ヘリコプターが緊急出動するという。
眼下にキリマンジャロの主峰、キボが全容を現した。
その麓まで蛇行する登山道が続いている。

何度かの休憩をはさみながら3時間ほど歩いて大きな岩のある場所でランチタイム。
立ち止まるとかなり寒い。今までのように食欲が湧かない。
食べきれない分をポーターさんらに分けて食べてもらう。

キボから下山して来る若い日本人カップルに出会った。
聞けば「彼女はギルマンズ・ポイントまで行ったけど、僕は高山病に罹って登れなかった。
山小屋に着いた時は何ともなかったのに、仮眠して起きたら地獄でした」と力なく言う。
「山小屋ではくれぐれも熟睡しないように」と貴重なアドバイスを残して去って行った

サドル地帯を進むほどに神秘的な風景に変わっていく。
金さんが「地球じゃなくて、まるで宇宙みたいですね」という。
「砂漠なら360度遮るものがありませんが、ここには山や雲海に囲まれた中の砂漠です。
世界でも珍しい風景です」。
添乗員の嶋田さんが話す。

ポレポレとゆっくり歩いているのに酸素が薄くなるためか次第に息が苦しくなってくる。
みんなの話し声や笑い声も聞かれない。
道が急坂になり心細くなりかけた頃、ようやくキボハットに到着した。

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標高4,703mのキボハットの山小屋は「キャンプ基地」のような感じだ。
こけまでとは違って石造りの建物が2棟。建物を取り囲むようにテントが張られている。
建物の中には大部屋があり鶏小屋のように2段ベッドが並んでいる。

着いて間もなく夕食が始まった。まだ17時前だ。メニューはスパゲティ。
この後の予定は、登頂の準備をして仮眠に入り、22時に起床。
カップ麺で軽く食事を取って23時に出発。いよいよアタック開始。
その後、明け方にかけて登頂し、今朝出発したホロンボハットまで下山しなければならない。
約12〜15時間に及ぶハードなスケジュールが待っている。

ほとんどの人が「ダイアモックス」という高山病予防効果があるといわれる薬を服用しているが
さすがに5,000mに近い高地では、全員が何らかの高度障害が出ているようだ。
頭痛、息切れ、食欲不振、吐き気、下痢など・・・私(レポーター・池永)も吐き気で食欲が全くない。
普段は豪快な高橋さんも2日間ほど食欲がなく、今はスープも飲めない状態という。
嶋田さんの頭痛も増している。
「食事はよく咀嚼して食べてください。体を横たえるぐらいで決して熟睡しないように」。

添乗員の楠さんから種々の助言を受けた後、いろんなドキドキを抱えて寝袋に入った。

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2015年09月18日

No.1644「木村塾キリマンジャロ登頂ツアー」C

9月7日。標高3,720mのホロンボハットで2日目となるこの日は
高山病対策として高度順応のために設けられた停滞日だ。
2時間半ほどかけて、キボ峰とは反対のマウェンジ峰方面にあるゼブラロックへハイキングを楽しむ。

ちなみに高山病は高地において低気圧、低酸素に順応できないことで起こる一連の症状の総称。
軽い頭痛、吐き気、食欲不振、不眠、だるさ、息切れ、むくみ等の初期症状から始まって、重篤になれば肺水腫や脳浮腫を起して死に至ることもあるという。
そのリスクを避けるために高地に滞在して少しでも身体を慣らそうというわけだ。

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山小屋の部屋に荷物を置いたまま、水筒などを入れたザックを持って9時頃に出発。
軽い高山病の症状が出ていた嶋田さんも、昨夜のサプライズで甦ったのか元気そうだ。

少し歩くと「サドル地帯」と呼ばれる広大な砂礫地帯に。ここはゆるやかな傾斜で歩きやすい。
途中、日本の最高峰、富士山を超える標高4,000mに到達すると歓声が巻き起こる。
1時間半ほど歩くと縞模様の大きな岩石に辿り着いた。
ここがゼブラロック。標高4,150m。名前の通りシマウマのようだ。
ここで一度休憩し、さらにその脇の岩場から200mほど先にある高台を目指すと
キボ峰やマウェンジ峰が見渡せる素晴らしいビューポイントに到着した。

ゼブラロックの先にそびえ立つマウェンジ峰(5149m)もキリマンジャロの山の一部だ。
キリマンジャロは、私たちが目指すキボ峰(5895m)とマウェンジ峰、シーラ峰(3962m)の
3つの峰から成り、東西約50km、南北約30kmに広がっている。
3日後には私たちも本当にあのキボ峰の頂に立っているのだろうか。
頭によぎる一抹の不安を払拭して、頂点に立つ姿をイメージする。
 
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帰り道、小さなせせらぎに遭遇した。
こんな砂漠地帯でも水辺には緑が広がり、小さな生き物たちが逞しく暮らしている。

ホロンボハットの山小屋に戻るとすでに14時頃になっていた。
山小屋の食堂で昼食を取った後はフリータイム。しかし、昼寝は厳禁。
添乗員の楠さんは「高山病予防のためにお茶を飲みながらしゃべるのが一番です」という。
堀江隊長の提案で「悟道(ごどう)」を開催することになった。

悟道は、「笑うことは生きること」をモットーとする堀江隊長が開催しているお笑い道場。
簡単な自己紹介の後「入ります」と言って、体験に基づくお笑いネタを2分間で披露する。
いわば、木村塾のパワーアップセミナーに吉本のエッセンスをくっつけたような内容だ。
終わると参加者の判定が待ち受けている。
過半数のお墨付きをもらえれば合格。
今回は特別企画で、初心者でも合格すれば一気に「初段」に昇格するという。

話したくない人は「入りません」と断ることもできるが、全員がお笑いネタに挑戦した。
人を笑わせることなど大苦手な私(レポーター・池永)も、初チャレンジ。
「場のもつ雰囲気が全体の能力を引き上げる」とは木村会長が常々いわれる言葉だが、
みんなのノリに助けられて大受けした。
東京出身のジャニーズ系添乗員、島田さんも多少とまどいながら吉本系に変身して合格。
なんと1回目にすべった堀江隊長ほか数名も、2回目に挑戦して全員が有段者になった。

心の底から笑って酸素をいっぱい吸った。
小噺に垣間見える人となり。優しさ、強さ、誠実さ・・・みんなの距離がいっそう縮まった。
後はチームワークの力と自分を信じて進むだけだ。

この夜も満天の星に抱かれて眠りについた。

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2015年09月17日

No.1643 「木村塾キリマンジャロ登頂ツアー」B

9月6日。標高2,730mのマンダラハットの山小屋で朝を迎えた。さすがに空気が冷たい。
6時。添乗員の楠さんと島田さんがモーニングコールを兼ねて各部屋を回り健康チェックを行う。
「パルオキシメーター」という、指先に付ける小さな機械で血中の酸素濃度を測る。
頭痛やむくみはないか?夢は見たか?食欲は?などの問診も。高山病チェックだ。
続いて同行の現地ウェイターが、ベッドサイドならぬ寝袋のところまで温かい紅茶を運んでくれる。
何という贅沢!

洗面器1杯のぬるま湯で顔を洗い、歯磨きをして排泄。
ポーターに持ってもらう荷物とリュックの荷物を整理し素早く身支度を整える。
食事中に2リットルの煮沸したお湯を水筒に詰めてもらう。
高山病の予防は腹式呼吸とこまめな水分補給、そして排泄が何よりの対策になる。
そのためにも1日で2リットルのお湯を全部飲み干さなければならない。

食堂で朝食を済ませて8時に集合。かりんさんの先導でストレッチ体操を行う。
皆はこの後、次の宿泊地点となるホロンボハットに向けて出発するが、
下山を決めた私は昨日スタートしたマラングゲートまで戻ることになる。

どうか、私の分まで頑張って臆することなく頂点に挑んでほしい。
そして無事に帰還してほしい。
祈りを込めて一人ひとりと握手を交わし、スタートする皆を見送った。

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この後は私に代わってフリーライターの池永さんにレポートしてもらう。

ホロンボハットの標高は3,720m。今いるマンダラハットとは1,000mの高低差がある。
歩く距離も昨日より3,7km多く11.7km。ここを6時間ほどかけてポレポレと歩く。
舞い上がる砂埃と照りつける太陽に対して対策が欠かせない。
30〜40分ごとに10分間休憩する。
その間に給水と排泄、日焼け対策、衣類調整などをして、さらに写真も撮るとなると結構忙しい。
トイレ設備などないから排泄はもちろん青空トイレだ。

道中はさながら「青空木村塾」。基本1列に並んで歩くが、前後の人たちと交わす話は
「わが人生」あり「わが経営」あり。
雑談といえども先輩経営者から伺う貴重な体験談は、経営の生きた教科書になる。
カタコトの英語で交わす現地ガイドさんとの会話も楽しい。
そんな中、頭に大きな荷物を乗せたポーターさんが後ろから通ると
「左に寄って道を空けて。左とん平」と堀江隊長の熱いダジャレが飛ぶ。

ランチ休憩をはさんでいつの間にか雲よりも上に登ってきたようだ。見渡す限りの雲海が広がる。
私たちの登るキボ峰と、右手にそそり立つマウェンジ峰が一段と美しい雄姿を見せてくれる。
途中、巨大パイナップルを逆さにしたようなジャイアントセネシオがたくさん生えている。
シロクロコロブスという白と黒の猿もいるというが、見かけたのは頭の白いカラスだけだった。
山の天気は変わり易い。青かった空に暗雲が立ち込めて小雨が降って来た。
添乗員さんの指示でカッパを着用。この辺りから「ポレポレ」が心もち速足になる。

息が苦しい。見れば嶋田さんの顔色が悪い。軽い高山病に罹っているようだ。
嶋田さんと私、池永の足取りが重くなり遅れかけたところでホロンボハットの山小屋が見えた。
やれやれだ。

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17時ごろホロンボハットに到着。小雨は止んだが一面に霧が立ち込めている。

夕食後、うれしいサプライズが待っていた。
31歳を迎えた嶋田昌弘さんの誕生祝いのために、隊長と添乗員さんの計らいで
バースデーケーキが登場したのだ。
31本のローソクが並ぶそのケーキは、なんとキリマンジャロの形と色をしている。
満面の笑みでローソクの火を吹き消す嶋田さん。
「まさかこんなところでケーキまで用意して祝っていただけるとは! 元気が出て来ました。
必ず登りきります」
巻き起こる大拍手とともにハッピーバースディの大合唱が。
テーブルを取り巻く現地スタッフや、後ろにいるヨーロッパ系の登山客も一緒に歌っている。
世界の最高峰で迎える誕生日。しかも世界中の人たちに祝福されるとは!
幸せな嶋田さん。何とステキな人生だろう。

外に出ると満天の星。
いつの間にか霧は去り、漆黒の空に日本では見たこともないような数の星が輝いていた。

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2015年09月16日

No.1642 「木村塾キリマンジャロ登頂ツアー」A

9月5日。朝9時にホテルを出発。専用車で登山口のマラングゲート(1,820m)へ向かう。
この日は約4時間をかけて、ゆるやかな樹林帯を標高2,730mのマンダラハットまで登る。

マラングゲートではガイド、ポーター、コックやウエイターなどの現地スタッフと合流。
今回は16人のツアーメンバーに対して総勢25人もの現地スタッフが同行するという。
6人いるガイドの責任者はビンセントさん。
ポーターは私たちの荷物のみならず食糧から寝袋まで、登山中に必要なものを全て
大きな布袋に詰め、頭上に乗せて運ぶ。
よく首が折れないものだ。
23年前には裸足のポーターが多かったが、今は皆ちゃんと靴を履きガイドは携帯電話も持っている。

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ここで簡単にメンバー紹介をしよう。

隊長の堀江悟さんは不動産鑑定士。妻のかりんさんはエアロビクスやティラピスの指導者兼
プログラム開発者。スポーツマンカップルだが、キリマンジャロ登頂に際し1年間
毎週六甲山で練習を積みあげた。

副隊長の久保英彦さんはジュエリーデザイナーで極真空手初段。腕力だけでなく健脚の持ち主だ。

東京から参加された武蔵境自動車教習所会長の高橋勇さん。業界のリーダーとして知られ
ホノルルマラソンに連続20年出続けておられる。

人財派遣や介護関連事業を展開する権藤度夫さんと妻の加代子さんもホノルルマラソン歴10年。
私とは「六甲山倶楽部」の仲間で山歩きやゴルフが趣味のご夫婦だ。
1年間、大好きなお酒を経ち加代子さんは散歩代わりに毎日自宅の近くにある生駒山に登ったという。

東京でアミューズメント関係の事業を展開する金慶哲さん。弊社の竹内社長と一緒に日本の
名だたる山にも挑む山男だ。半年前に生まれたご長男に「父親の生き様を見せたい」と参加を決めた。

物流コンサルタント会社を経営する濱田恵司さん。元、佐川ボーイで体力はお墨付き。
登山歴は浅いが、あちこちのフルマラソン大会に出場して自己記録を更新している。

門浦智さんは学生と企業を結ぶリクルート関係の仕事に従事する傍ら、木村塾では
「やってみよう会」と「パワーアップセミナー」を主催。スポーツ万能で六甲縦走も軽くクリア。

班長の嶋田昌弘さんは当ツアー最年少の30歳。理学療法士として病院に勤務する傍ら、
京都市内でカフェを共同経営する起業家でもある。

北海道から参加した宍戸千郁さん。ケーブルテレビの工事会社を営み、札幌木村塾の塾長
として北海道にある3つの木村塾を束ねる。登山に加え道内で開かれる100kmウォークの大会に
レギュラー出場するスポーツママだ。

池永美佐子さんはフリーランスのライター。4年前に木村塾の六甲縦走の練習会に参加したのを機に
登山に目覚め、苦手な運動を返上して金剛山で練習を積んでいる。

そして弊社の竹内泰光社長。富士山を走って5時間で登る。3年後のエベレスト登頂に向けて
日々研鑚を積んでいる。
妻の敬子と、敬子の妹の吉川成子さん。登山歴こそ少ないが成子さんはスポーツ万能で趣味はゴルフ。
この夏は敬子と一緒に富士山登山に2回も挑戦した。

みんなキリマンジャロ登山を決めた時から、各々のやり方でトレーニングを始め、この日を迎えた。
その意気込みがうれしい。

登山中は「ポレポレ」「モジャモジャ」が合言葉。
スワヒリ語で「ゆっくりゆっくり」「一歩一歩」という意味だ。
この他に「ジャンボ(こんにちは。おはよう)」「アサンテ(ありがとう)」を覚えておけば
現地スタッフはもちろん、道ですれ違う人たちとも心が通い合う。

ガイドの先導で歩きだして2時間、
ジャンボワラビやシダ、巨木に寄生する小さな高山植物が生い茂るジャングルを抜けると、
直射日光が容赦なく降り注ぐサバンナ地帯に出た。
その途中、ランチタイム。コックがつくってくれたお弁当箱にはフライドチキンと
サンドイッチ、揚げパン、茹で卵、小さなバナナとリンゴ。それにジュースとヨーグルトなどが
入っている。栄養たっぷりで鶏肉や卵、果物は滋味豊かだ。

この辺りはまだ酸素が普通にあり、ゆっくり歩けばそんなに疲れることはないが
炎天下、1週間前に心臓のカテーテル治療を終えたばかりの私には、やはり応える。
ドクターの忠告通り、無理をせず3000mに差しかかるマンダラハットに到着したら
敬子と皆さんに登頂のバトンを渡して私は下山することにしよう。

ここからさらに2時間。ようやく辿り着いたマンダラハットの山小屋が、皆さんと過ごす
最後の夜となった。

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2015年09月15日

No.1641 「木村塾キリマンジャロ登頂ツアー」@

9月3日から12日に実施した木村塾キリマンジャロ登頂ツアー。
その模様はフェイスプックにライブ写真でお届けしてきたが、もう少し詳しい様子をお伝えしよう。

9月3日。関西空港23時15分発カタール航空機で一路キリマンジャロへ。
成田空港から向かった武蔵境自動車教習所会長の高橋勇さん、弊社の竹内泰光社長ら
東京組の3人とは中継地点のドーハで合流だ。
参加者は16名。さらに西遊旅行から添乗員の楠修さんと島田稜さんがご同行くださる。

関空・成田からドーハまでは約11時間。そこからタンザニアのキリマンジャロ空港まで5時間半。
乗換の待ち時間を加えると20時間以上の長旅だが、カラチ経由で向かった23年前は
36時間もかかったので、それと比べると随分便利になったものだ。

アフリカ大陸の最高峰(5895m)キリマンジャロは、タンザニアとケニアにまたがる。
機体が終着地点に近づくと雲海の中から氷河で化粧したキリマンジャロの先端が見えた。
前回登ったのは52歳だったが、再びあの頂を目指すことになるとは! 
人生は本当に面白い。

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翌4日。現地時間14時20分にキリマンジャロ国際空港に到着。
標高894 mの高地にある空港は、赤道直下とは思えない爽やかさだ。
アフリカ大陸に降り立った堀江悟隊長が開口一番、
「初めて来たとは思えない懐かしさを感じますね。血が騒ぎます」と笑わせる。
入国手続きを終え、現地ガイドさんの運転する専用車で登山ルートとなるマラング村の
ホテルへ向かう。

途中、車窓から人々の暮らしが見える。
乾いた大地に広がる枯れ木のようなトウモロコシ畑、泥土やビニルでつくった質素な家々・・・。
その前で大勢の男たちが集まって何やら井戸端会議をしている。
一方、色鮮やかな民族衣装をまとった女性たちは、頭にモノを乗せ、小さな子の手を引き
忙しそうに往来している。どこの国も女性は働き者だ。
学校も多く、ブリティッシュスタイルの制服を着込んだ子どもたちの姿がまぶしく映る。
ある学校の前では、スクールバスとトラックが衝突して黒山の人だかりになっている。
厳しい環境の中で今を生きるアフリカの人たちの鼓動が伝わってくる。

18時、マラング村にあるカプリコーンホテルに到着するやいなや
くつろぐ間もなくスーツケースから荷物を取り出して登山の準備にかかった。
夕食事には明日からの登山に臨んで全員が決意表明を。
堀江隊長が「メンバー全員、登りキリマンジャロ! 」と気合いを入れると
門浦さんが「木村塾 登りキリマンジャロ!」と記した大きな旗を取り出した。
これを山頂で掲げて皆で写真を撮るという。
意気揚々の私たちのテーブルにホテル専属の陽気なピアノマンが近づいて
歌と踊りで場を盛り上げる。

いよいよ始まるキリマンジャロ登頂。
はやる気持ちを胸にアフリカ初日の夜は更けた。

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2015年09月03日

No.1640 木村塾パワーアップセミナー「木村会長のビジョンはなぜ達成できたのか?」

9月1日、北区にあるマジック・バー梅田店で第1068回パワーアップセミナーを開催。
テーマは「木村会長のビジョンはなぜ達成できたのか?」。

最初、門浦リーダーと「ビジョン達成に必要なことは?」といったテーマを考えたが、抽象的だ。
そこで「わしがまな板に乗るから、徹底的に切り刻んで人生や経営のヒントにしてほしい」
と提案して、このテーマになった。

「ビジョンが明確だったから」「大きな夢を持つ力があるから」「意思の強さ」「行動力」
「習慣化している」「公言するから」「勝ちにこだわるから」「幼少期の苦労、反骨精神」
「本気の本気」「愛情があるから」「固定観念を持たない」「誠実と誠意で」「言霊の力で」…
果ては「名前が勝男(勝つ男)だから」というご意見まで!
もっと切り刻まれるかと思ったが、身に余るお誉めの言葉をいただいた。
皆さんの発表を聞いて、人から見るとそのように見えるのやな、というのが正直な感想だ。

なぜ達成できたか? 確かにハングリー精神はあると思うし何物にも縛られなかった。
固定観念を持たないことなどは当たっていると思う。
常識がなかった故に、自由にはリスクがあるということすらも考えたことがなかった。
しかし、自分では人よりたくさん努力をしたとも、根性があったとも思わない。
やはり「運が良かった」に尽きる。
本当にそう思う。
父親が亡くなり、ステージが与えられた。
日本というステージがあった。

お陰さまで黒字の人生を送らせていただいた。
ビジョンがあったからこそ、登りたい山に登れた。それは本当だ。
しかし、私の人生ビジョン「裸で生まれて裸で死ぬ」〜アンドリュー・カーネギーの言葉だが
このゴールに辿りつくには、まだ道半ばだ。
生まれてこのかた、たくさんの方々や社会のお世話になった。
そのお返しはまだまだ終わっていない。
これからは元気で社会還元をしていきたいと思う。

人生は1度切り。皆さんは日本というステージを与えられた。
ぜひ、このチャンスを活かしてほしい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 当り前の事を当り前にやる事の大切さ。ビジョンを持ち、達成する意志の強さを持つ事を改めて感じました。ビジョンを計画かし、行動し、習慣化しようと思いました。
・ 自分が持っているもの、持っていないものが明確になりました。中でも一番手に入れたいと思ったのが「本気」。できる方法を本気で考え、本気で行動します。
・ 名は体を表す。勝男という名前が全てを表す。何が何でも勝つ男。自分の中に負けるという事が存在しない。勝つ方法は無限にある。ビジョンが達成できるのは当たり前だと思った。
・ 本気になっているのか。自分を見つめ直します。
・ 健康も資産。裸で生まれて裸で死ぬ→世の中に返す。問題に対してすぐ行動。ビジョンを公言する。言霊によって自分に暗示をかける。損と得。得の得。名は体を表す。本日の気付きです。
・ 人前でしゃべるのは最高です!! 素晴らしい機会をありがとうございます。「裸で生まれて裸で死ぬ」。印象的でした。金を残して三流、事業を残して二流、人を残して一流、の言葉を思い出しました。我々は金や事業にこだわらずに人を残し「文化」を残したい。
・ 参加者の皆さんのパワーをいただき元気になりました。プレゼンは短時間で的確にまとめるには無駄な話を除かないと伝わらない。勉強になりました。
・ 2年という年月の中でやっとパワーアップセミナーの入口に立たせていただいています。時間が許す限り参加します!
・ 「数字の入っているビジョンが明確。だから方向性を間違わない」。「また問題が追いついてこない程、行動が早い」。「どんな問題があっても、結果が良かった、で終わる」。Kさんのプレゼンが印象的でした。

 

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