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2015年12月28日

No.1686 木村塾やってみよう会A 12月度例会

12月22日、大阪市北区の手品家・梅田店にて第77回「木村塾やってみよう会」が開催された。
本年最後の「我が人生を語る」は、堀江測量事務所 所長の堀江悟さん(55)。
会場に鳴り響くビートのきいた強烈なBGMにのせて、赤いカーテンの隙間から飛び出したのは、
トレードマークのまんまる笑顔。
マジシャンさながらの演出で観客席を湧かせた。昨年に続いて2度目の登場だ。

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19歳から土地家屋調査士の仕事一筋。
銀行、弁護士、司法書士、不動産業者、ゼネコン、地主さんなどを相手に謄本を作る仕事。
「私が銀行にOKを出すとゼネコンに10億のお金が行きます。行かねば連鎖倒産。
数字、文字、一字一句間違えられない。そんな仕事を28年間やっているから神経ボロボロ。
だから毎朝4時に起きて、走って、座禅、読経。大川を毎朝走っているので気分は大川栄策状態」。
ダジャレがマシンガンのように飛び出す。

「どんな悲しい事も辛いことも、すべて笑いに変える」。それは、堀江さんの人生哲学だ。
仕事とは別にライフワークとして「悟道(ごどう)」という笑いを通じて人生を学ぶセミナーを開いている。

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1960年3月、大阪市港区生まれ。難産だった。
「命を捨てても子ども産む」と決めた20歳のお母さん。そのお陰で堀江さんがある。
が、出産後お母さんは口癖のように「うちはあんたに殺されかけた」と言った。
お父さんはペンキ屋職人。汚い、きつい、臭い仕事。
子ども時代はそれがいやで作文に「将来は平凡なサラリーマンになりたい」と書いた。

8歳の時に淀川で溺れて死にかけたこともある。
「ずーと流れていく自分。太陽の光だけが見えました。臨死状態かと思います」。
高校の時に空手を始めた。3級になり免状を部屋に貼っていたら友達が3段と見間違え、
「堀江は強い」というウワサが校内に広まった。喧嘩の仲裁に呼ばれた。
「人間、肩書で評価される。だから中身を見る。肩書にはビビらない」。
と同時に「自分がその肩書に近づくことが大事だ」と学んだ。

17歳の時にお父さんが交通事故で両足を切断する。
生活のため高校を中退し焼肉店に勤めた。毎日焼肉の鉄板を50枚くらい洗った。
ある日、店に友達が食べに来た。「こっちは蝶ネクタイで『いらっしゃいませ』。屈辱でした」。
授業料が要らないというので守口の守口高等職業訓練校に通った。
同級生は年配者ばかり。「グレーの作業服を着ると刑務所にいるみたい」に感じた。

中学時代の同級生の女性と23歳で結婚。2人の娘さんに恵まれる。
「家族を食わせなあかん」という責任感が堀江さんの意欲に火を付けた。
土地家屋調査事務所に就職。「自分も資格を取って開業して稼ぎたい」。
勤めの傍ら、朝4時から起きて土地家屋調査士合格に向けて猛勉強した。
2回落ちて3度目の挑戦で合格。25歳で初めて味わった成功体験。
コンプレックスの固まりが、合格したことで自己信頼が生まれた。人生が好転した。

続いて宅地建物取引士も一発合格。自身の事務所を立ち上げた。27歳だった。
その頃から日本のバブル経済が始まった。
開業後は破竹の勢いで伸びた。
15万円の月給が、翌月150万、300万、600万・・・瞬間風速では2000万円に。
大阪城を眺めるマンションに住み、ハーレー、ボルボ、ロレックス。ブランド品を買いまくった。
29歳で鶴見区に家を購入。当時は「お金が手裏剣のように飛んできた」。
ゴルフに目覚め、バイクツーリングやダイビング旅行も。7万円の吉兆の料理を自前で食べた。
そして1991年、31歳でバブル経済がはじけた。

しかし、当時は5人の事務所。「あまり影響はありませんでした」。
というのも、普段から「シンプル イズ ストロング」の事業をしていたからだ。
「小さく強く儲けて、しっかり貯めなアカン」。教えたのはお母さん。まさにBS経営だ。
松下電器にパート勤務していた母さんは、松下幸之助翁の考え方を熟知していた。

1999年。39歳の時に谷町6丁目に新しい事務所を購入。
2002年には函館の北島三郎記念館の仕事を手掛けた。30億円の取引。「仕事っていいな」と思った。
2006 年、46歳の時に倫理法人会に入会。入ってすぐ大阪中央区の会長職を務めた。
倫理法人会では「リーダーシップ」とは何かを学んだ。
「カリスマは知れている。いかにメンバーに助けられるか。10人、100人のメンバーに
いかに自分の弱みを見せて本気を見せて、助けてもらえるか。それが真のリーダーだ」と。

ここまでが、堀江さんの50歳までの道程だ。
それだけ見れば、お父さんの事故をきっかけに逆境をはねのけたサクセスストーリーだ。
しかし、そうではなかった。
堀江さんはその間に3度も心の病にかかっている。病名は「パニック障害」や「うつ病」「ノイローゼ」。

最初は職業訓練校に通っていた時に。2度目は資格試験に挑んだ24歳の時に。
その度に病院で治療を受けたり心理学の本を読んだりして乗り切った。
筋力トレーニングで体を鍛えると治まることもあった。
気付いたことがある。
「感情は自分の意思でコントロールできない。放っておけばどんどんマイナスになる。
プラスの感情に変えるにはプラスの言葉、プラスの行動しかない!」

克服できたのは、39歳の時。事務所の隣にいた税理士の先生からかけられた言葉
「あんたな、自殺したらアカンで」が、引き金になった。
それを機に参加したローリー・ターナーによる「ブレークスルーセミナー」で
堀江さんは病気の根幹に「自己承認できていない自分の中にある」ことを知る。

「自己承認して、優しくしてやりなさい、というトレーナーの言葉に、ほろっと来ました。
しんどいと言いなさい、と。思いっきり泣くと赤子のように産道から生まれ落ちた。
母の『難産であんたに殺されかけた』と言われ続けて、産道にずっと狭まれていた自分、
自己承認できていない自分がいたのです」。

リーマンショックの後、3度目のうつ病に見舞われた。
仕事が激減し、事務所スタッフの「反乱」やお父さんの他界が追い打ちをかけた。
しかし、その時は両手両足を無くしても生き切ったお父さんに想いを寄せることで救われた。

仕事を通じて現在の奥様である堀江かりんさんと、最初に出会ったのは31歳の頃。
「エアロビクス、ボディビル、フィットネスの日本チャンピオン。かっこいい、可愛い。
スキを通り越してチュキになりました(笑)」。
一目惚れだった。
しかし、何事もなく12年の歳月が流れた。
再会したとき、独身のかりんさんを見て「待っていてくれたんか」と決め付けて火が点いた。
53歳で離婚成立。結婚30周年だった。
「財産は全部前妻に渡しました。すってんてん、いや、100万だけもらった(笑)」
「カネない、毛もない自分。なのに『私、稼ぐ自信あるから結婚しよう』と言ってくれた。
この人について行こうと思いました」
会場は爆笑の渦に。

木村塾に通うようになって明確な公私のビジョンを打ち出した堀江さん。
今年の年頭に立てた年間目標は、すべてクリアした。
9月には木村塾でキリマンジャロにも登った。
「キリマンジャロは自己投資。何かをつかもう、と思って行きました。バスの車窓から
5800mを超える高峰がそびえている。そこに登った。一歩ずつ。ならば、これからの人生、
どんなことでも耐えられる。それをつかみました。登頂のために1年間の断酒もしました」。
今年8月にはリーマンショック以降、最高の売上を記録しBS目標の2000万も超えた。

最後にこれからの5年先、60歳のBSビジョンを数字入りで宣言した。
「土地家屋調査だけでなく、不動産業にも着手して2020年までにBS 1億円に。
そして日本百名山を登ります」。
勢い付いて70歳(2030年)から100歳(2060年)のビジョンも公言。
ちなみに100歳のビジョンは
「作業服を着て測量していたい。やっぱりこの仕事が好き。金儲けできても汗水たらして
働かなあかん。現場は宝の山。生きた情報を取る。測量しながら死んだろ」。

今年の大トリにふさわしい超ステージのプレゼンテーションになった。
私もバブルの崩壊に遭遇したのは50歳の時。
巨額の負債を抱える中で経営の勉強をはじめBS経営にたどりついたが、
会社も私自身もここから信じられないよう成長が始まった。
これもBSの力とビジョンの成せる技だ。人生100年時代。50歳からの人生が面白い。

やってみよう会の主催者の門浦さんも、パワーアップセミナーと併せて
年初に「参加者1200人」という目標を打ち出し、今回、見事にこの高いハードルを超えた。
やってみよう会は本当にすばらしい。
皆さんのエネルギーが掛け算で合わさることで、どんどんレベルアップしている。
あらためて皆さんにお礼を申し上げたい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 来て良かった! 来なければ大損するところでした
・ 「自己承認の大切さ。ビジョンを持つこと。リーダーというのは何人に助けてもらえるか。肩が気にはびびらない。肩書きに自分を近づけていく」。本日の気付きを行動に移したいと思います。
・ 「プラスの行動をすればプラスに返ってくる」。強く響きました。歩いてきた道が全て今につながる人生。私もこれからエネルギーを高め頑張っていきます。
・ カリスマは知れている。リーダーは人を引張るのではなく、人から力を借りて助けてもらえる人になること。新鮮でした。
・ 「行動する!」この一点を心に刻んで帰ります。
・ 今回、たくさんの懐かしい顔に再会できて「故郷=木村塾」っていいな、と。あらためて実感しました。
・ 肩書きにびびらない。お父さんの事故が逆境となり立ちあがった。プラスの思考を生むプラスの行動。小さく強く設ける!! 楽しく勇気をいただきました!!
・ 木村塾という環境がどれだけ素晴らしいか、毎回参加する度に感じます。若いうちからこんな場に出会えてラッキーです。自分は未熟で、登る山を見つけていないけど、これから先、成長しかない! そう思うと、とても晴れた気持ちになりました。
・ 病を克服してきた堀江さんだからこそ、人の心の痛みも理解できると感じました。障害をサポートする志はぜひとも貫いていただきたい。応援します。
・ 「経験は解釈。悲劇を喜劇に変える」とても響きました。堀江さんのようにパワフルに生きたい。
・ 堀江さんのデカイ夢とデカイ情熱。かりんさんの協力なコントローラーでビジョンは必ず実現します。これからが楽しみな2人です。
・ その元気さ、そのバイタリティーの裏には大きな凹みがあったことを再確認できました。お話を聴けて本当によかった。
・ どんな出来事も見方を変えれば全く違うものになる。切り替えですね!
・ 学歴コンプレックスから始まり、不安、パニックになり、自己承認という過程を経て今の堀江さんがある。それを知ったことで私自身もしっかりとしたビジョンをもち、モチベーションを上げていきたいと思いました。
・ プラスの行動からプラスの感情。自分の弱いところを全てさらけ出し「助けて」と言えるようになる! BS経営についてももっと学びたいと思いました。
・ 話が上手で引き込まれました。テンションとモチベーションの違いを教えていただきました。テンションではなく、モチベーションを高めていのためにはビジョンを持つこと。共感しました。
・ 「小さく強く」「一歩一歩で頂上まで行ける」。人生で一番迷っている時に堀江さんの我が人生が聞けてとてもよかった。
・ 「しない後悔よりも、やって後悔したい」「感情はコントロールできない。プラスの行動あるのみ」「テンションとモチベーションは違う」。堀江語録よかったです。
・ 破天荒な人生、驚きです! とてもダイナミックで凄いです!! 仕事も遊びもやりたいことをやる。これが行動力。一度切りの人生。私も思い切り楽しみたい。
・ 堀江さんのビジョンの大きさに圧倒されました。今年1年間の目標も全て達成されている。それが信頼残高になり、このビジョンも必ず実現すると思いました。
・ 「シンプル イズ ストロング」。堀江師匠の行動力の源を知ることができました。前から大スキでしたが「大チュキ」になりました!



 

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