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2016年08月27日

No.1735 平成28年度 第3回 益田木村塾 人生向上セミナー開催

8月23日19時から益田市駅前ビルEAGA3階大ホールで益田木村塾が開かれた。
今年3回目の「人生向上セミナー」のスピーカーは、
福井県あわら市に本社を置くファーストトレード(株)代表取締役の三上良平さん。

益田市と同じ日本海の地方都市でインターネットを使ったグローバルビジネスに挑み、
資本金100万円の会社をわずか6年で驚異的な自己資本を持つ優良企業にした。
「地方だから、資金がないから、知識がないから、経験がないから」
三上さんの話を聞けば、そんな言い訳は通用しないと分かる。

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1977年福井県生まれの39歳。高校卒業後、クルマの整備を皮切りに、トラック運転手、メガネ職人、ホテルマンなど職を転々。
「どの仕事も楽しかったがすぐ飽きた。バイトも含めると転職は15回ぐらい」
というから半端じゃない。
しかし、結婚して妻子を抱え、お金の必要に迫られた。

31歳で再び長距離トラックドライバーに。貯蓄や資産運用の勉強を始める傍ら、
起業を視野に入れて「運転手をしながらできるビジネスを」と始めたのが、
中国から品物を輸入してネットオークションで販売するビジネス。
始めてみると、それなりに稼げた。
副業から本業へとシフト。1年後にドライバーを辞めて起業したが
間に頼んだ輸入代行業者がズサンでトラブルが続出した。
そこに目を付けた三上さんは「自分が代行業者になればビジネスになる」と閃いた。

しかし、中国語も英語も苦手。そこで、中国人のビジネスパートナーを探そうと
同業者の集まるネットの掲示板に「日本語で」求人募集。
これがよかった。
言葉だけでなく日本に精通する有能な現地のパートナーが見つかり、提携した。
現在、中国では上海の近くの郊外都市に現地法人を設立、スタッフ50〜60を抱える。
2013年から新たに以前から興味のあったオリジナル・メンズバッグの企画製造に着手。
バングラディシュでの製造に続き、イタリア・フィレンツェで買い付けた商品も販売する。
さらにバングラディシュのマングローブでソフトシェルクラブ(蟹)の養殖事業も始めた。

一方、経営で大事なのは売上ではなく、自己資本。
強いBS(バランスシート)をつくる「BS経営」を忠実に実践する三上さん。
資本金100万円でスタートした同社は、2年目に自己資本1,000万円を達成。
これを弾みに急伸し、4年目で自己資本1億円を超えた。
私もこれまで何千社もの決算書を見たが、こんな勢いのある会社は初めてだ。

三上さんはBS経営のメリットを次のように話す。
「金融機関の信用がついて資金調達が簡単になること。そして、いい人財が集まること」
現在、同社の財務を担当する幹部社員は取引先銀行からの転職者だ。

三上さんは4年後10期のBSビジョンとして次のように話す。
「年収1,000万円の社員を3人育てて自己資本10億円に」。
さらに「20歳の頃に憧れたハワイのワイキキビーチにクレープ屋を開くことと、11年後
50歳の時には貧困に苦しむバングラディシュの子供たちを支援する街をつくりたい」と。
テイク&テイクだった人生が、ギブ&ギブの人生に変わりつつある。

いい学校を出て、会社に勤めて安定した生活をする人生も結構。
しかし、人口の5パーセントぐらいの割合で起業家が誕生しないと国は亡ぶ。
起業家とは、カタチを変え、飯の種をつくる人だ。

私には3つの原点がある。
父の死と、長男であったということ、そしてこの日本に生まれたということ。
このどれが欠けても今の私はなかった。
「飯が食えない」というピンチが起業家の道を拓き、日本というステージが私を育てた。
起業家になりたい人が極端に少ない日本は、チャンスがいっぱいだ。
経営とは「人・カネ・もの」という社会資源を活かして、それを10倍にも100倍にもすること。
特に日本はお金が余っている。
銀行ではこのお金を使って儲けてくれる借り手を探している。
BSは経営者の通知簿。
自己資本を厚くしていいBSを持てば資金調達が容易になり、事業は好循環になる。

人間は2つのタイプがある。「やる人」と「やらない人」。
やる人は、まず動く。
やる人は、やれる方法を考えるが、やらない人は、できない理屈を並べ立てる。
三上さんができたのは「やる人」だったことだ。
このチャレンジ精神とビッグなBSビジョンが人を巻き込み、
強いBSが信用となってさらに資金を呼び込んだ。

仕事のステージが世界に広がっても、同社の本社は あわら市のまま。
いま、三上さんは趣味のサーフィンができる神奈川県の湘南に住み、
あわら市と上海とダッカやフィレンツェを往来しながら仕事をする。
都会も地方も関係ない。インターネットを介せば、そんな生活ができるのだ。

三上さんが特別なわけではない。
誰でもやったらできる。みんな、できる。

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2016年08月22日

No.1734 木村塾やってみよう会8月度例会@

8月9日、大阪市北区の手品家梅田店にて第91回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「わが人生を語る」発表者は、東大阪市に本社を置く株式会社ダイコー製作所
代表取締役 沢井弘志さん。

アルミダイカスト・亜鉛ダイカストの二次加工を専門とする会社。
自動車や航空機の部品、医療部品など様々な分野を下支えしている。
2015年には新事業として株式会社ジェイポートインターナショナルを設立。
ベトナム人エンジニア採用コンサルチング事業や、インバウンド集客支援を始めた。

1971年大阪府出身。しかし生まれたのは福岡県。お母さんの実家だ。
「ここで祖母、母と三代続けて同じ産婆さんに取り上げてもらいました」という。
「実は3人兄弟で、4つ上の兄との間にもう一人兄がいたのですが、死産でした。
それで母は大事を取って九州の産婆さんに託したそうです。私が無事産声を上げることができたのも、その兄のお陰かなと。兄の分もがんばって生きていこうと思います」。
こんな誕生のエピソードから始まった沢井さんの人生。

「人生で逢うべき人には必ず逢える」。
沢井さんはこんなテーマを掲げた。

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高校1年生の時にはお父さんを亡くした。交通事故だった。44歳の若すぎる死。
以来、4歳年上のお兄さんが父親代わりになった。
生活費の足しに、高校時代は、北新地の珍味屋さんでアルバイトをした。
社長から任され、会計から営業、配達までほとんど一人でやった。
このときの体験が、沢井さんを起業の道へと駆り立てた。

卒業後、一部上場のシャッター会社に就職したが、指示待ちの仕事は性に合わず1年で退社。
その後、一足先に勤めていたお兄さんの紹介で同じ会社に入社。
ここで、チャンスが訪れた。
社長に腕を見込まれ「独立してやってみないか」と声がかかったのだ。
「当時はただ、お金が欲しいという気持ちだけ。私利私欲の塊でした」。

社長から引き継いだ東大阪にある30坪の場所で「3人のおばちゃん」とスタートした。
1995年、ダイコー製作所創業。沢井さん23歳だった。
しかし、時代は企業の海外進出で製造業が空洞化。
「仕事がない、おばちゃんの給料が払えない」。

そんな中、人とのつながりで仕事が入り、創立2年目で社員10名に。
さらに人脈の広がりから広い工場に移転。
小学校時代の幼馴染が会社に入ってくれるなどして、事業はどんどん拡大していった。
32歳の時には一冊の本「お金持ち父さん、貧乏父さん」の影響を受けて、
収益マンションを購入。
「稼いだお金は俺のもの、お金を散財していた」と振り返る。

一方、苦い経験もある。
良く分からないまま中国人を使っていたところ
「不法就労」でその半数以上が強制退去させられることに。
次の人を採用するまで待てるような仕事ではなく、最大のピンチ。
「中国に帰国する飛行機代がない彼らに、お金を空港まで持って行ってのですが、
会社に帰る道中、自分は今まで何をしてきたんだろうと涙が止まりませんでした」。

2006年、個人事業から法人化。株式会社ダイコー製作所を設立。
しかし2期目にリーマンショック。「天国と地獄の繰り返し」だった。
そのころから経営者仲間の導きで日創研に通い始めた。
当時、南大阪経営研究会の担当委員長をされていた沢井さんに私が会ったのもこの頃だ。
「強い会社を創りたい、と本気で思った」という。

現在、ダイコーは第10期。
30坪、スタッフ3人からスタートした会社は3拠点、スタッフ50人になった。
「おばちゃんたちは60歳を過ぎた人から円満退社。昨年最後のおばちゃんは、
67歳で『会社も大きくなって安心やし、私はそろそろゆっくりさせてもらうわ』と」。
感謝で止めどなく涙が流れた。

「一人で大きくしたのではない。全ては皆様のお陰。名前の『志』という字のように
十人(たくさんの人)と心を一つにしてビジョンに向かっていきたい。
いつか皆さんに恩返しのできる会社に」
沢井さんは、そう語る。

一方、「ダブルインカム」にも積極的な沢井さん。
昨年設立した、ジェイポートインターナショナルは、
ダイコーの工場のあるベトナムに対するエンジニア派遣やビジネス支援、
訪日中国人のインバウンド戦略の支援(WEBマーケティング)や越境EC(通販サイト)を行う。

最後に、ダイコー製作所の5年後と、⒑年後のBSビジョンを宣言された。
同時にジェイポートインターナショナルは⒑年後「一部上場」を目指す。

今年5月、沢井さんは44歳で天国に行ったお父さんの歳を一つ越えた。
「父の無念を心に刻み、父の分も頑張って生きていこうと思います」。力強く語った。

「やってみなわからん」マインドに満ちた沢井さんは、まさに起業家だ。
私も60年間の起業家人生で、30以上の事業を始めたが、そのうち残っているのは4つ。
ユニクロの創業者、柳井さんは「1勝9敗」と言ったが、この1勝が9敗を制して余りある。
成功したらお金が儲かる。
失敗したら経験が儲かる。
何もやらないのが一番大損だ。

なお、8月15日は私の76歳の誕生日。少し早いが前夜祭ということで
皆さんから大きなバースディケーキをプレゼントしていただいた。
ありがたき幸せ。これからは『光輝』高齢者として健康に留意し、
感謝の心を忘れずプラチナの人生を目指して日々を送っていきたい。

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2016年08月09日

No.1733 大阪木村塾BS経営セミナー 8月度開催

8月2日 大阪市北区にある手品家梅田店で大阪木村塾BS経営セミナーを開催。
ケーススタディとしてY'sLinks代表取締役の米澤忍さんをお迎えし、
「ピンチはチャンス! スマレボで日本を元気に」と題してお話しいただいた。
波乱の人生はまさに「ジェットコースター」だ。

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米澤さんは1967年大阪府生まれ。幼い頃に両親が離婚。
「女性が幸な人生を送るには教師になるか大企業に勤める男性と結婚すること」
という母親の価値観の元に育てられた。
脳裏には「いつも苦しそうな顔をして3時間睡眠で働いていた」母の姿が焼き付いている。

体育科のある高校を卒業後、大手スポーツメーカーに勤めた。
趣味のバイクをきっかけにレースクィーンのバイトを経て、モデル業界に転身。
バブル期で仕事も多く20歳でベンツを乗りまわしていた。
ジェットコースター人生は加速度を付けて上り続けた。

21歳の時、29歳の実業家と「玉の輿結婚」。専業主婦になり2児に恵まれた。
ところが、億単位の夫の負債が発覚。幸せの絶頂から急降下の人生が始まる。
借金取りが押し寄せる家の中で、時給200円のアクセサリー造りの内職をしながら
「生産性のない自分は価値のない人間だ」と悔し涙を流した。

33歳で離婚。「父親のいる家庭よりも稼ぎたい」と
「年収1,000万円稼げる仕事」を見つけて飛び込んだ。
内容は工場に特化した人材派遣の飛び込み営業。やったことはなかったが
米澤さんは必死で食らいつき、3年後には目標を超えて年収1300万円になった。

独立採算にしてピーク時は年間5億円を売上げたが、会社と考えが合わなくなり仕事を降りた。
次にトライしたのは出版社の広告営業。給料は3分の1になったが、営業の仕事が楽しかった。
その後、リーマンショックがありグループ会社の人材派遣の会社に転籍したのを機に独立。
「人との出会いがあって自分に合った仕事に巡り合えたら、こんなにも力を発揮できた。
女性が輝いて働ける、そんなステージを作りたい」と2013年4月にY'sLinksを設立した。

女性営業プロデューサーとして力を発揮する中、不動産デベロッパーのオーナーからの依頼で
赤字だった系列のホテル経営に乗り出したのが2014年3月。
ホテル経営など、やったこともなかったが、
「人ができることなら自分にもできる」が米澤さんのポリシー。
しかし、引継いだ直後スタッフのほとんどが辞めるなど予想もしない困難が次々と押し寄せた。
「怒涛のような引継ぎ劇」を経て、それでも1カ月後には新体制で臨んだ。
3カ月間ホテルに住み込み、7月の朝礼で「必ず利益を出します」と宣言。膝が震えた。
そして、その月の終わりから赤字だったホテルは黒字化した。
「円安とインバウンド需要、ビアガーデン効果という不思議な力に導かれた」という。

以前にも何度か、ゲストスピーカーとしてこの木村塾に登壇された米澤さん。
ここまでの話は聞かれた方もあるかと思うが、今回さらに続編がある。
ホテル経営から丸2年。
見事にホテル再建というミッションを果たした米澤さんに、新たな逆境が訪れた。
今年3月、ホテルのオーナーが賃貸契約を更新しないことを決定したという。
理由は「黒字化」。軌道に乗ったホテルを今後は自分たちで経営するというのだ。
「悔しくて残念です。今、まさにピンチの中です。
ジェットコースターはまたもや下りになりましたが、今度は前のようにどん底に落ちません。
それはホテル経営ができるということが分かったからです。次にできることを探します」
爽やかな表情で力強く語る。

今後は人財教育の分野で、独自に開発した「笑顔で革命を起こす」研修プログラム
『スマレボ(スマート・レボリューション)』を企業研修の新基準として
全国に広めていきたいとビジョンを語る。
と同時にY'sLinksの数字を入れたBSビジョン目標として
「2026年、社員10名・自己資本1億円」を表明した。

社員10名なら1人当たりの自己資本は1,000万円。
家庭でいえば、1人1,000万円の貯金があるということだ。
強い会社は売上でも、従業員数でも店舗数でもない。
「一人当たり」という自己資本の物差しをもつことが、
小さくでも強くていい会社をつくる究極の方策となる。

成功すればおカネが儲かる。失敗しても経験が儲かる。
何にもしないのが大損だ。
米澤さんのジェットコースター人生は、まさにそのことを立証している。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 逆境こそが人間を強くし、やる気を引き出すものと改めて感じました。自己資本を一人当たり1,000万円稼げる人財を育てる重要性が今回分かりました。
・ 「やってみにないと分からない。やったことしか残らない」「会社も世の中も活かすのは人」「ピンチに沢山あったほうがラッキー」「数字が言葉をつくる」心に残った言葉です。
・ 私は自分が経験してみるのが好きでチャレンジ精神があるといいつつ、心の中では失敗することを常に心配していました。しかし、まずはやってみないと次のステップには進めないと感じました。
・ 「やってみな分からん」という木村会長の言葉が強く響いた。「まず言葉にしてからこそ、そこへ行くプロセスが見える」。今後の人生で忘れられないアドバイスになりました。
・ 米澤さんのジェットコースター人生に刺激を受けた。「いつまでにやる」という公約をされていたのが素晴らしい。私も頑張ろうと思いました。
・ 久しぶりにお会いした米澤さん。以前と変わらぬ表情で、ホテルも順調に経営されていると思っていましたがビックリの内容でした。米澤さんこそ、松下幸之助のいう「素直な人」だと思います。順境に素直に伸びる人。逆境に素直に生きる人。どちらも同じ強さと正しさと聡明さを持つ。まさにそんな方でした。
・ 日本人は変化を嫌うが、変化に対応することが成功の秘訣だと分かった。ピンチの時ほど成長するチャンスですね。
・ 米澤さんはとてもエネルギッシュで素直。生きていくために行動するという所が木村会長と似ていると思う。私ももっと厳しい環境に置き行動していこうと思いました。
・ 赤字のホテルで「再建してみせます」と言い切ったこと、凄い。本当に言い切ると責任感が出て以後気、それが結果につながる。本当の意味で生きている人間は、やはり様々な苦労や経験をしているのだと思いました。
・ 本気になればできないことはない! 覚悟を決めれば良い流れが生まれる! ピンチが訪れても諦めなければ向上していくことができる! 今私は大ピンチ!! 挫けないためにパワーのあるひとの話を聴き、ピンチをチャンスにして行けるよう踏ん張ります。
・ 米澤さんの「越える」チカラがすごい。聞いているこちらが元気になりました。
・ 「目標があれば実現します」は吸引力法則です。起業家になります。
・ 自分はまだ何も世界に貢献していないと痛感しました。木村会長の『人・もの・カネ』の活かし方の切り口は目からウロコでした。

2016年08月05日

No.1732 木村塾やってみよう会7月度例会A

7月26日、大阪市北区の手品家・梅田店にて第90回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「わが人生を語る」発表者は、有限会社エム・カンパニー常務取締役、白川尚範さん。
同社は大阪南港を物流拠点として畜肉商品に特化した「畜産物流」で急伸する。
7月のBS経営セミナーでゲストとしてご登壇いただいた松木克浩さんの会社だ。
白川さんは松木社長と理念とビジョンを共有し、ビジョン実現のための戦略を考えて実行する。

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大阪生まれの在日コリアン。幼少期は「つらい思い出しかない」という。
虚弱体質で八尾市の生家は「貧乏、ボロボロの長屋暮らし」。
民族学校に通っていたため地域の同年代の子どもたちからいつも除け者にされた。
転機は和泉市への引越し。
ここで出会った3人の友が、白川さんを生来の「明るいイタズラ小僧」に変えた。

しかし、学校では勉強嫌いで成績はどん底。
中学時代はサッカー部に入ったが、サッカー強豪校にあって「万年補欠」だった。
あきらめが早く努力もせず、ゲームセンターに入り浸った。
その一面、勉強を除くと「何でも卒なくこなす」天分を開花させた。
高校時代にはクラブメンバーというだけで在日コリアンの国体選手にばれたこともある。

高校卒業後、バイトの延長で中華料理店に就職した。
職場でも器用さを発揮して鍋振りやスタッフのとりまとめを任されたが
先輩の反感を買って衝突し1年で辞めた。
再就職先を探すも「育ちの悪い金髪」を雇ってくれるところはどこにもなかった。

9社目に受けたのが、創業3年のエム・カンパニー。
車両台数ゼロ、社員もわずか2人という運送代行会社。面接は松木社長の自宅だった。
「生い立ちも見ためも全然関係ない。うちはやる気のある人間が欲しいんや!」
松木社長のこの言葉に感動。即採用となった白川さんの心に火が付いた。

以降の同社は躍進著しい。車両台数が増えるにつれて白川さんの業務も激増した。
あまりの忙しさに退職を申し出た。しかし、専務に説得されて残留を決意。
その後も何度か「辞めたい症候群」が噴出した。
2度目は、ハードワークと研修の辛さから。「クギ師になりたい」を辞める理由にした。
3度目は、管理職昇格というプレッシャーから。今度は「おでん屋になりたい」。
しかし、その直後、社内で会社の存続が危ぶまれるような不祥事が起こる。
「社長や専務が一番苦しいときに辞めるわけにはいかない」と留まった。
「辞めたくなる時は、逆境に遭遇したとき。いつも言い訳を考えていた自分がいた」
と省みる。

その後の白川さんの成長はめざましい。
人財研修に力を入れる同社で、社長と同じく日創研や木村塾で経営の勉強を続け、
昨年には常務取締役に昇進、次期社長として後継者に指名された。
同社の経営基盤は最強になり、今年度は「自己資本1億円」を突破する。

壇上では「30期 自己資本3億円」を掲げ、このBSビジョンを叶える戦略として
インターネットを活用した食肉販売「エムカン牧場」や
外食産業「エムカン一人焼肉」の展開などユニークなビジネスプランを発表。
合わせて「65歳までに貯金を1億円貯めて嫁と世界の好きなところを旅行します」と
自身の人生ビジョンも宣言した。

「自分の言葉に嘘はつけない。退路を絶つ覚悟で発表しました」と白川さん。
白川さんの人望だろう。満員の会場にはエム・カンパニーの社員さんを始め
取引先企業の方々や、奥さんと子どもさん、冒頭の話しに出てきた親友の姿も。
ここで宣言したビジョンがプレッシャーとなり、白川さんの行動を変え、
描いた以上に素晴らしい未来を手にするに違いない。

会場では松木社長の「社長にとって一番必要なものは?」との質問に「決断力」と即答。
「私は幹部として1を10にする自信があるが、ゼロを1にするのが経営者。
しかし、これほど難しいものはない。これからはそれを目指します」と
次期社長としての資質を見せつけた。

私も在日コリアンとして生まれ、白川さんとは比較にならないほどの極貧生活を送ったが、
いじめられとか不幸だったという思いを抱いたことがない。
転居を繰り返して、友だちをつくる暇もなければ人と比較するということがなかった。
そのお蔭かもしれない。
逆境ほど人を鍛え、強くするものはない。

私の原点は3つある。14歳で迎えた父の死、5人兄弟姉妹の長男であったということ、
そして日本というステージを与えられたということ。
その一つでも欠けたら今の私はない。
日本にはビジネに不可欠の「人・もの・カネ・情報」という経営資源が溢れている。
この国では安定志向が強く、リスクを負ってまで起業家にはなりたがらないが、
起業家になる人が少ないことを含めて、これほどビジネスチャンスに恵まれた国はない。

あれこれ理屈を並べ立てる前にやったらいい。
成功したらおカネが儲かる。失敗しても経験が儲かる。
10年後の白川さんに期待したい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 数字がいかに大切かということを教わった。「成功したらお金が儲かる。失敗しても経験が儲かる」という木村会長の指摘に自信が湧いてきました。
・ 白川さんが言われた「幹部の年収1,000万円」の定義について。「幹部は年収1,000万円にふさわしい利益を出せ」ではなく「ふさわしい利益を出す仕組みを創り出せ」。そんな発想が社員想い、仲間想いだと思いました。
・ 「勇気と信念と感謝」。今日の白川さんの話からこの言葉が浮かびました。
・ 「辞めたくなる理由はすべて逆境にぶつかっている時」。立場が上がると多くの逆境(プレッシャー・人材育成・責任)が大きくなる。素晴らしく楽しい講演でした。
・ 会社を辞めたい症候群の話しの中で「辞める言い訳を考えていた」という言葉に共感した部分がありました。人生も経営も「気付きと決断(選択)」の連続だと思う。
・ 「有言」することで、さらに「実行」を「覚悟された」と感じました。ゼロをカタチにして素晴らしい経営者になってください。
・ 要所要所に社員さんに対してメッセージを伝え、自身の想いも語っている。白川さんの人柄の良さが感じられる素敵な「我が人生を語る」でした。
・ 白川さんの人望に感心しました。数々の壁を乗り越えたところに勇気をもらいました。
・ 経営ビジョンの持ち方、理念の浸透のさせ方など経営者として大変勉強になりました。
・ 白川さんの「謙虚に上を目指す」姿が非常に良かった。私も見習います。
・ 私は社員なのでお金のことに関しては正直ピンとこなかった。そして、この考えがダメだと気付きました。
・ 「辞めたい症候群」が何度も訪れたというエピソード。自分も何度も経験があるので共感すると同時に、今こうして学び続けて築き上げてきた状況を本当に素晴らしいと思いました。私も見習います。
・ 白川さんの「ゼロを1にする」という言葉に打たれた。学びは嘘をつかない。白川さんの話しを聞いて改めて思いました。
・ 人との出会いが人生を変える。諦めずに継続することが自分の価値の気付き、前向きに生きる一歩になると思った。
・ 同じ経営幹部、創業者のビジョンや想いを継ぐものとして聞かせていただきました。日ごろから会社の方針や強みをよく知り、実際の計画を実行している率先者として周りから信頼を得ている姿が浮かびました。2022年の白川社長の新ビジョンが楽しみです。

2016年08月02日

No.1731 木村塾やってみよう会7月度例会@

7月12日、大阪市北区の手品家・梅田店にて第89回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の発表者は、プライベートエステサロンFLORA代表の藤平仙花さん。

「よく血液型はB型に見られますが、実はÅ型なんです」と、はにかむ。
中国出身。2004年に来日して12年。日本国籍を取得し、エステサロンを経営する傍ら、
貿易会社の設立に向けて奔走する。
中国語、日本語のみならず英語、韓国語にも堪能。
好きな言葉は「人生は誰と出会うかで決まる」。

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1977生まれ。子供時代は寒冷で冬が長い吉林省青島市で過ごした。
3人兄弟の長女で妹と弟がいる。
家は貧しく我慢の連続だった。「大人になると我慢しなくなると思っていた」という。
高校卒業後、日本語を学びたいと長春市にある吉林大学で日本語を専攻した。

入学時のエピソードがある。
「実は推薦枠が狭く先生から止めるように言われたのです。でも、諦めなかった。
するとミラクルが起こって合格した。ところが、学費が1万円足りない。
このときも知人からのお祝いが舞い込んで救われたのです」。
それが人生の転機となった。

卒業後、中国の大手旅行会社に就職。
旅行好きに加えて内向的な性格を直そうと選んだ仕事だった。
4年間働き、お金を貯めて憧れの日本で勉強するために来日した。27歳だった。
日本では1年間、日本語学校に通い大学院進学の準備をした。
その間、「自分はどんな人生を送りたいか」と自問自答を繰り返した。
結果的に進学を止めて就職。複数企業に勤めた。

しかし、日本での生活は順風満帆ではなかった。
2009年にはリーマンショックのあおりを受けて失業。家族の死・・・
失業を機に貿易の仕事と掛け持ちしながら2010年にホームエステサロンをスタートした。

思えば「妥協の連続だった」。
だから「もう絶対、妥協はしない」と決めた。「自分の証を残そう」と誓う。
今年に入り、これまでの経験と築いた人脈を活かして貿易会社設立した。
木村塾に通い始めたのも、この春だ。
「美容のフランチャイズ展開を海外に広めていきたい」と夢を語る。

「自分だけが儲かるのではなく、みんなを幸せにしていく」という未来ビジョンに合わせて
今年度と3年後、10年後の数字を入れたBSビジョンも発表した。

言葉は文化だ。
多言語を話し、多文化を知る藤平さんは複眼でものを視ることができる。
しかも勉強好きで行動的。まさに起業家に必要な条件を備えている。
ただ、足りなうものがあるとすれば、それは数字だ。
数値目標を入れたビジョンは言葉だけでなく公言すれば、具体的な戦略が生まれる。
そのためにも、もっともっと数字に対する理解が必要になる。

バランスシートは経営者の成績表。そして世界共通だ。
いいBSは世界に通用する経営者の証となる。
BS経営をしっかり学んで世界を舞台に活躍してほしい。

「朝は希望を、昼は努力を、夜は感謝を」
これは藤平さんが紹介した言葉だが、これはそのまま人生にも当てはまる。
まだ39歳。希望の真っ只中だ。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 海外へ進出するには、他国の文化を知る必要がある。そこで「毎年、新年のカウントダウンは別の国で迎えるようにしている」という藤平さん。すばらしい行動だと思いました。
・ 仙花さんのアグレシブさ、努力できる、努力しようとする姿勢は本当にすごい。努力の天才ですね。「What do you want?」私もこの精神を常に持って行動していこうと思いました。
・ 「妥協は二度としない」「朝は希望を、昼は努力を、夜は感謝を」。良い言葉です。
・ 仙花さんのバイタリティあふれる人生。若い人に聞かせてやりたい内容でした。「10年後のすばらしい私」をテーマに、2人1組で発表し合う開始前の3分間ダイアードや、最後の感想もよかった。
・ 「常に自分の目標を持つ」「出会いはチャンス」「朝は希望・昼は努力・夜は感謝」「自立と自律」「旅のテーマを持つ」。人生で大切なキーワードです。
・ 「朝は希望を、昼は努力を、夜は感謝を」という言葉は初耳で大変印象に残った。当り前のことを当たり前にしたり、日々を妥協せずハングリー精神をもって行動することで人は成長するのだと感じた。

2016年08月01日

No.1730 2016年7月度 実践目標の進捗報告

7月23日に写経が今年目標の4,500枚に達した。
予定よりも5カ月も前倒ししたことになる。
スタートから9年、「10年間で5,000枚目標」を掲げたのが2007年9月だから
この調子で行けば1年早くゴールできるだろう。

ちなみに、私は毎朝5時に起床し、洗面を済ませると仏間で座禅を行う。
蓮華座を組み、ゆっくり腹式呼吸をしたら胎の中から声を出して「般若心経」を唱える。
それから半眼で丹田に意識を集中させて今この瞬間に意識を向ける。
最後に「白隠禅師座禅和讃」を唱えて座禅は終了。
ここまでが30分。
それから机の前に座り、筆ペンで1時間かけて般若心経をしたためる。

何しろ脳味噌が足の裏についている私だ。考えるより前に行動している。
座禅や写経は、静止して考える習慣を身に付けたいという思いから始めたが、
お蔭さまで心が落ち着き、忍耐力や集中力が養われたように思う。
今ではこのリズムがすっかり身に付いた。
毎日、生まれ変わったかのように清々しい朝を迎えている。

きっかけは、ニューヨーク大菩薩禅堂金剛寺の嶋野栄道老師との出会いだった。
嶋野老師はアメリカに禅を広めたいという夢を抱いて40年前に単身渡米され、
一代で臨済禅の実践道場であるこの寺を開院された。いわば仏教界の起業家でもある。
私もニューヨークで禅修行をさせていただき、「鳳雲」というありがたい戒名を授かった。

それにしても飽きっぽい私が、よくぞここまで続けることができたと思う。
なぜできたのか。
それは、最初に数字目標を掲げたからだ。
一枚、また一枚・・・。
毎日、写経用紙の左下に書き込む数字が増えて、目標に近づくことが励みになった。
どんな大きな目標も日々の小さな積み重ね。
50センチほどの高さになった写経の束を眺めていると、つくづく思う。

次なる目標は5,000枚、いや、10,000枚。
そのとき私は85歳!
明日も元気に早起きしよう。

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☆では、私の7月度実践報告を

・減量、減塩、断酒
・万歩計 285/500万歩
・ヘルスケア、フロア階(3M換算)15,022/20,000階
・登山 8/20回

・読書 70/30冊
・英会話 42/50回
・写経 4,520/4,500枚(累計)

・大阪木村塾受講生 820/1800名

・益田市活性化への
「第一回マジックフェスティバル」
「デザイン思考講座」

 

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