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2016年09月30日

No.1743 木村塾やってみよう会9月度例会A

9月27日、大阪市北区の手品家梅田店で第94回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回、我が人生を語ったのは井上武俊さん。大阪を拠点に民泊の代行事業を運営する。

早稲田大学在学中からイベント開催など学生起業家として活動していたという井上さん。
卒業後、大阪での会社勤めを経て会社を立ち上げたことがある。
しかし、資金繰りがうまくいかず廃業。
再び勤め人を経て、昨年10月に現在の民泊事業を興した。
この10月には法人化し、新たにメンズエステの店舗も開業するという。
そんなプロフィールを聞くだけで、アグレッシブな人生がうかがえる。

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1967年、京都生まれ。3人兄弟の末っ子。 教育熱心な家庭で育った。お兄さんは京大卒だ。
自身も中学受験のために好きな野球をやめて小学5年から塾通いをした。
しかし、志望校合格は叶わず、第二志望の私立高槻中学に入学。
男子校で部活では硬式テニス部。 部活動とゲームセンター通いに明け暮れた。

現役で早稲田の商学部に入学。大学では全く勉強せず留年も経験した。
イベントサークルのスタッフとして活動したことを機に広告代理店とつながりができ、
自らイベントの開催や人材派遣業務を行った。
土日のイベント開催や、都内各所でのサンプリングでは月150〜200万円を稼だという。
「お金を稼ぐってちょろいもん。稼いでは使い、稼いでは使い」
「あの時しっかりお金を貯めておけばよかった」と、お金の苦労を重ねた今は後悔の念。

卒業後は京都に戻り就職。「営業には就きたくない」と簿記2級を取り経理業務に従事した。
さらに税理士試験を受験し2科目のみ合格。
そんな折、笑顔の素敵な女性と出会って交際開始。
「彼女にかまけて税理士試験の勉強はおろそかに(笑)」
その女性こそ現在の奥さん。交際から1年後にめでたく結婚。
1996年に長男、翌年に次男が生まれた。
家が手狭になり長男が幼稚園に入るタイミングでマンションの購入を計画した。
「生活を切り詰めて切り詰めて」頭金600万円を4年で貯め、
2000年に東大阪市のマンションを購入した。

勤めて10年ぐらいすると井上さんの起業家魂が頭をもたげてきた。
東京の会社から広告の仕事をもらうことになったのがきっかけで起業を計画。
知人から資金提供を受け、2年後の2005年、資本金1000万円で広告代理業務を主とする
株式会社アジレックを創業。
ところが淀屋橋に事務所を借りたが、3ヶ月で1000万円が溶けることに。
同時に始めていたヤフオクでの日用品販売が軌道に乗り、何とか生活はできた。
売上平均600万円、粗利は40万円程度。
しかし、仕入れ先の倒産で商品が入らず2年後にあえなく廃業。

2007年、大阪の樹脂製品加工メーカーに財務マネージャーとして再就職した。
「定期的に入ってくる給料がどんなにありがたいことか」と振り返る。
2011年にはタイの現地法人に単身赴任。英語と片言のタイ語で生活する中、
生活費を切り詰めるためにバスや乗り合い自動車を利用した。
一方、タイは銀行の金利も高く、不動産も年々上昇している。
ビジネス新天地としての魅力を感じた。
赴任中は現地で起業している人たちと知り合い、大きな刺激を受けたという。

帰国後、会社の都合で退職。知人が行っている不用品回収の仕事を手伝った。
回収業務では手数料と回収した商品をネットで販売することで意外と売上があった。
そんな中、回収したベッドや家電を頻繁に購入する若者がいる。
不思議に思って聞いてみると、 「ゲストハウスをやっている」という。
調べてみたら「Airbnb」というサイトで意外と稼いでいる人が多いことが分かった。
そこで、井上さんも恵美須町で物件を借りて民泊事業を始めると初月から利益が出た。

昨年10月の事業開始から1年。現在は大阪市内で10軒の民泊の代行事業を展開するほか、
京都でもゲストハウスを準備中だ。
10月には資本金100万円で会社を設立、新規事業としてメンズエステの店舗も開業する。
「5期後、自己資本2000万円を達成します」。
発表を機に、井上さんは未来ビジョンをBS(バランスシート)の数字目標を掲げ
力強く宣言した。

学歴や知識があり行動力もある井上さん。
すばらしい素質があるのに、それが経営に活かせていないのは勿体ない。
最初の起業の時に欠けていたものがあるとすれば、数字を入れたビジョンだ。
売上や月収ではない、BSの「自己資本額」を目標値とするBSビジョン。
しかし、今回の発表でBSビジョンを決めて皆の前で公言された。
このことは大きな成果だ。

決算書のBSは経営者の通知簿。
100万円の資本金を2000万円にすれば金融機関の信用がつき、
経営のステージが急上昇するはずだ。

私も50歳からBSビジョンを持って人生が劇的に進展した。
いま井上さんは49歳。まさに人生の折り返し地点にある。
これからは豊富な知識を「知恵」に変えて、このBSビジョンに向かって欲しい。
期待している。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 井上さんはもっと潜在能力があると思います。もっとエネルギーを出してさらなる活躍を願っています。
・ 淡々と話されやや物足りないと感じました。いろんなお話しが出ていてかなり大きな事業になるようですので、5年後が楽しみです。
・ いろいろやってこられたようですが、なかなか思うようにはならないのが人生。一緒にビジョンを考えませんか。
・ ビジネスの内容についてもっと聞いてみたいと思いました。今後が楽しみです。
・ 会長の「BS経営は正しい社長を生み、優秀な社員を育てる」という話が印象的でした。
・ 井上さん、強みを活かせ!!  最強の「強み」をダイレクトに活かして事業を発展させてください。
・ 熱意と情熱がお伝えできなかったのは残念でしたが、表明することは本当に大切であると感じました。(ご本人より)

2016年09月27日

No.1742 木村塾パワーアップセミナー「知識と知恵の違いは?」

9月20日 大阪市北区にある手品家梅田店で第1085回パワーアップセミナーを開催。
今回のお題は「知識と知恵の違いは?」
いつものように即答でプレゼンテーションしていただいた。

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まずは、みなさんなの見解から。
「知識は学ぶもの、知恵は生み出すもの」
「知識は歴史やセオリー、知恵は新しく生み出すもの」
「知識は積み重ねるもの、知恵はなくしていくもの」
「知識は答えのあるもの、知恵は答えのないもの」
違いは?と尋ねたせいか比較する方が多い中で
「知識だけでは成功しない、知識から正しい引き出しを出せる知恵が必要」と
両者を関連づけた方もあった。

ちなみに広辞苑では、こんな定義がのっている。
知識=ある事項について知っていること。また、その内容。
知恵= 物事の理を悟り、適切に処理する能力。

私自身を振り返ると、知恵だけで生きてきたように思う。
14歳で父親を亡くし、生活費を稼ぐために中学校に行くのを止めた。
だから、みんなが知っているような知識がなかった。

しかし、ビジネス社会の中ではそれが幸いした。
知識がないから、手当たり次第にチャレンジした。
どんどんチャレンジしていっぱい失敗したが、壁にぶつかるごとに知恵が生まれた。
この知恵が問題解決へと導いた。
たくさんチャレンジしたからこそ成功した。

こうして木村塾を開催していく中で分かったことがある。
知識のある人は、理屈をこねる人が多いということ。
やってもみないで、あれやこれや言い訳を並べ立てて結局やらない。
なぜか。
それはリスクを怖がるからだ。
なまじ身に付けた知識が邪魔をして、失敗したらどうしようと怖がるのだ。

やって成功したら銭が儲かる、失敗しても経験が儲かる。
何もしないことが一番損をする。

「何とかせなあかん」を「チャンス」と捉え知恵を絞る起業家になってほしい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ ふだんはできないプレゼン体験。初参加で楽しかった。会長や皆さんの話を聞いて新しい気付きがありました。
・ 「頭の中できちんと整理して話す」「全体を見渡して話す」。前回の浅田先生のアドバイスを意識して話しました。そして今回。「ただ話すだけでなく自分の体験談も交えて話せばいい」新たな気付きでした。
・ 「逆境はチャンスだ! 恐れるものではない」「知恵は変化を好む」という会長の話が心に刺さった。「10年で人生は変わる!」変化を恐れずチャレンジしようと思いました。
・ 3分間のプレゼンが1分45分で終わってしまい、すごく悔しかった。「知識あっての知恵。知恵がまた知識になる」というKさんの考えはすばらしい。知識、知恵。それぞれ深めて努力します。

2016年09月21日

No.1741 木村塾やってみよう会9月度例会@

9月13日、大阪市北区の手品家梅田店にて第93回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「我が人生を語る」は名古屋に本社があるidG株式会社 代表取締役の奥村昇平さん。
グラフィックデザイン制作を核として大学生の就職支援を行う。

座右の銘は高杉晋作の名言「おもしろき こともなき世を おもしろく」。
「人生をもっともっと楽しく」がモットーだ。
これまで37年間の人生を「大学卒業まで」「苦難のサラリーマン時代」「新米経営者として」
の3つに区切り棚卸した。

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1979年、滋賀県生まれ。長男の一人っ子。
調理師の父親は交友関係が広く、家の中はいつも客人であふれかえっていたという。
自身も学童期から率先して学級委員や生徒会長、キャプテンなどを引き受けた。
「そんな生徒会活動が内申点を底上げして」進学校の高校に入学。

部活では中学時代に続いて野球部に所属した。
しかし、ここでも「4番を期待されながらも万年補欠」。
自ら名乗り出て応援団長になった。
高校野球大会は1回戦で敗退したが、応援ぶりが目立って取材を受けテレビに出た。
部活引退後に挑んだ学園祭では、校長先生に「浪人しても学祭を盛り上げます」と宣言。
その言葉通り、大学祭は大成功だったが、大学受験に失敗。予備校に通った。

予備校時代も他府県から来た友達がたくさんでき、みんなでカラオケ店に通った。
夏期講習会で出会った女子高校生に告白して撃沈。
「勉強することから逃げていた」と振り返る。

1浪で龍谷大学に入学。大学時代は「サークルとコンパの両立を果たした」。
仲間と野球クラブチームをつくろうということになり資金集めに奔走した。
そのクラブは地域の子供たちを巻き込み、現在100名規模のクラブチームになっている。
実家ではご両親が石山(滋賀県)で飲食店を開業。
そこでアルバイトをしながら商売のイロハを学んだ。

将来の夢もビジョンも見えないまま就活に突入した。
就職できたのは、奥村さん自身が悩んでいたからかもしれない。
きっかけはパソコンに送られてきた「就活生のお手伝いをしませんか」という1通のEメール。
発信したジェイ・ブロードは新卒大学生と企業を結んで就職を支援する企業だ。
説明会に参加すると「この人たちと仕事がしたい」と熱くなった。
内定もこの1社のみ。「拾ってくれたジェイ・ブロードには感謝しかない」と話す。

社会人元年の2003年。「山あり谷あり仲間あり。苦難の10年」が始まった。
5時起床、滋賀の家から大阪の会社に出社し、帰宅すると2時。3時間睡眠で鼻血が続いた。
2年目には新規開拓のため名古屋支社が開設。
「新しいチャンス! 行きたい」。自ら手を挙げた。

行ってみると6畳1間の職場。「テンションだだ下がり」だったが
敏腕上司の元、売上目標5000万円に向かって粛々と仕事をした。
クライアント企業の課題を聞きオリジナル提案を続けると売上は順調に伸びた。
愛知万博とトヨタバブル、中部国際空港の開港が追い風となった。

売上は1億円から2億円に、2007年には3億円を達成。
名古屋支社は会社の中で一番元気な支社になった。
社員は11人になり、奥村さんは支社長になっていた。
しかし、2009年リーマンショックが会社を襲う。同業者も増えて業績は悪化の一途。
事業縮小で職場仲間の相次ぐ退職。
しかも、私生活では交際していた彼女と結婚を前にしての突如の破談…。
絶不調から救ってくれたのは「この世は男以外、皆女や」という人生の先輩の言葉。

再起を図り挑んだ東海地区の国立大学と企業を結ぶ大型のイベントコンペ案件で勝利し
それを機にV字回復を果たした。
奥村さんは34歳になっていた。
独立したい気持ちがふつふつと沸いてきた。
しかし、大阪営業部への異動の辞令が。大阪は8期連続赤字だった。
迷ったが「大阪を立て直すのはあんたしかいないのでは?」という母親の言葉に
背中を押され、「1年で黒字化して独立する」と決意した。

奥村さんが木村塾のセミナーに来られたのも、この頃だ。
実は「大阪木村塾やってみよう会」の主催者、門浦さんと奥村さんは
ジェイ・ブロード時代の同僚。
「より以上の成長を目指す人たちに出会って自分も起業家になろうと強く思った」
と話す。

大阪営業部に戻った奥村さんは決意の通り1年で黒字化を果たし、退職。
2016年4月、資本金450万円の会社を引き継いで今のidGを立ち上げた。
役員4人の役員を含めて社員6名。現在、自己資本は250万円。
普段は栗東市(滋賀)で在宅勤務し、名古屋の会社と関西を往来する。

「10年間のサラリーマン生活で毎年決算書と睨めっこして、
次の期になるたびにゼロになる売上やPL(損益計算書)に耐えられなかった。
これからはBS(バランスシート)に注視して、自己資本を殖やします」。
そう語る奥村さんは、10年後のビジョンとして「社員10名、自己資本1億円」を掲げる。

「人が仕事をつくり、仕事が人を育てる」
「数多くの出会いと別れを経験した中で今、私があるのは出会えた人のおかげ。
一時一時、本気になれたからこそ楽しかった。これからも未来に馳せて
仲間を大切にして人生、頑張っていこうと思います」
社会人14年目の新米起業家は、こう言い切った。

ちなみに、自己資本は会社の貯金だ。
個人の貯金と違って企業の自己資本を貯めるには「税金川」を渡らなれればならない。
10年間で250万円をいきなり1億円にするのはあまりにも非現実的だ。
役員さんが4人いるなら、1人1000万円で4000万円。これを目標としてはどうだろう。
自己資本4000万円を実現すれば、銀行から4億円の資金を引き出せる。
そのためにもBSビジョンを公言し、幹部社員共有することが大切だ。

起業家とは変化をチャンスにする人だ。
一番いい変化は向こうからやってくる逆境だが、自ら変化を起こす人にもチャンスが訪れる。
大きなビジョンを持つことは、大きな逆境を自ら課することになる。
自ら変化を起こす奥村さんの未来には、大きなチャンスが待ち構えている。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「人が仕事を創り、仕事が人を成長させる」私もそういう想いで毎日働いています。すごく共感できます。10年後のビジョンもぜひ叶えてください。
・ 経営していくまでに何か必要か。ぜんぜん知らなかったのでやっと理解できた。
・ 「経営者は極端な見方をする」。高い目標でやってみるともっと奥村さんの可能性が出ると思いました。お互いやっていきましょう。
・ 大勢の人をまとめ、人の上に立てる素晴らしいものをお持ちの奥村さん。まじめで素直な方なので多くの人に信頼され、力を貸して頂けるのでしょう。
・ 私も自分自身の棚卸をしよう! 結婚も頑張ろうと元気をいただきました。
・ 自分の人生も3つに分けてみたらどうなるんだろう? 考えてみたいと思いました。
・ 真剣に自分の人生と向き合った人生の棚卸。包み隠さずさらけ出しての発表に引き込まれました。

2016年09月12日

No.1740 大阪木村塾BS経営セミナー 9月度開催

9月6日 大阪市北区にある手品家梅田店で大阪木村塾BS経営セミナーを開催。
ゲストスピーカーとして広告代理店(株) YU-MEプランニング代表取締役の本村優子さんに
お話しいただいた。
今年4月には、体験ツアー・オプショナルツアーの企画・運営や動画で観光PRを
する一般社団法人スマイルトラピック協会も立ち上げ、理事長も務める。

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本村さんは1974生まれ。
毎日放送ラジオテレヴィセンターに10年間勤務した後に同社を設立。
サラリーマン時代はテレビやラジオCMのスポンサー探しで
大企業や広告代理店を回り予算交渉業務をした。そんな経験を活かしての起業だった。

資本金は1000万円。創業当時に苦い経験がある。
旅行会社と組みバンコクツアーを企画したところ、コンサート前日に現地でデモが発生し
あえなくコンサートは中止。
俳優のギャラの支払、会場の支払などで400万円の損失を出した。
「イベントはギャンブル性が高いことを痛感した」と話す。

以後、芸能人やコンサート、地方観光などの残り600万円で回せる小さなPRを手掛けた。
活動がマスコミに取り上げられたのを機に、
青年会議所、ロータリークラブなど大手経営者クラブに人脈ができ、自らも入会。
交際費が嵩んだため「それなら自分で店を」と、北新地にバーをオープンした。
年間約1億を売上げ、7000万円の利益を出したこともある。

しかし、勢い付いてオープンした2件目で大ゴケ。2店とも閉店した。
「仕入れにお金をかけ過ぎたのと従業員を増やし過ぎたこと。広告代理店との掛け持ちで
心労が重なって体調を崩した」と話す。

HISの澤田社長のアドバイスも受けて今年4月に立ち上げたスマイルトラピック協会は
普通では体験できないようなことをコンテンツに入れ、ツアーを企画・運営する。
設立に際し出資者を募った。
「両親から『借金だけはするな! と言われていたので無借金で事業をしてきましたが、
ある方に『無借金経営は自分のお金を回しているだけのおままごと。もっと社会に
貢献できる大きな事業をしなさい』と言われ、銀行にも融資を受けました」。
本村さんを含め映像会社の経営者など4名の役員は、出資者でもある。

最後に「子どもの頃からの夢だった『世界中を回って笑顔を増やしていく』。
それが現実になっていっていると実感しています。
価格競争に巻き込まれない、差別化コンテンツを今後も増やし
一緒に働く皆と共に成長していきたい」と結んだ。

本村さんが旅行代理店で最初に行っていた経営は、まさに「PL経営」だった。
売上を追いかけ、経費をザクザク使い、店舗を増やす。
しかし、それでは経営は持続しない。

強い会社、持続する筋肉質の会社にしなければならない。
そのためにはPL(損益計算書)ではなくBS(バランスシート)に注力し
毎年毎年、儲けた利益の中からきちんと税金を払って自己資本(純資産)を殖やす
「BS経営」に切り替えることだ。
ビジョンをBSで語り、社員と共有するBS経営は、社員を育てる経営でもある。

本村さんはスマイルトラピック協会で「自己資本1億円」を目指したいと宣言されたが、
一般社団法人は「営利を目的としない団体」。それは自らの会社の中で実現するものだ。

会社経営に必要な資金を集めることは「借金」ではなく「資金調達」。
本村さんが「無借金経営の呪縛」から脱出できたのはよかったが、
今後は自身の会社にもお金を回して自己資本を高めていくことが課題となる。

経営者とは「人・もの・お金」という社会資源を使って、
それを10倍にも100倍にも殖やして社会に還元していく人。
非常に明るくエネルギッシュな本村さんは、人を集める力がある。

明治時代の起業家、渋沢栄一は「経営は右手に論語、左手にソロバン」といったが
起業家は言葉と数字の両方が必要だ。
ビジョンを数字で掲げ、決算書で証明したい。決算書は経営者の成績表。
BS経営を深めて数字に強くなれば、本村さんは名実ともに起業家になるだろう。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「無借金経営は会社のお金を回しているおままごと」。すごく感銘を受けた。お金の使い方をしっかり勉強して、他人のお金もうまく使って会社を大きくしていかないと自分だけが幸せになり、社員さんを満足させることができない。
・ すごい行動力の持ち主! まさに失敗を経験に置き換えて歩んでいる本村さんの生き方に感動しました。すばらしい起業家に育っていかれると期待しています。
・ 会社が育っていく段階や経営方法が分かった。やってみないと何も始まらない! 私もまずやってみます。
・ すばらしいビジョンを聞いてワクワクしました。私もツアーに参加したいと思った。
・ 木村会長のお話しはいつも自分の背中を押してくれます。本村さんの話も色んなチャレンジをされていてすばらしいと思った。
・ 明るく元気にほんわか語っておられましたが、信頼をとても大切にする本村さんは、必ずビジョンを実現される方だと感じました。
・ お客様のニーズに対してどんな戦略を立て、戦術を取ったのか。もう少し聞いてみたかった。

2016年09月06日

No.1739 木村塾やってみよう会8月度例会A

8月30日、大阪市北区の手品家梅田店にて第92回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「我が人生を語る」は、高級ブランド腕時計のネット販売で業界トップに立つ
潟uルーク代表取締役の青松敬介さん。2年ぶりの再登板だ。
今年、「ランドマークをつくりたい」と心斎橋にあるビル1棟を購入しリアル店舗を出した。

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1971年生まれ。出身は山口県下関市だが、わが郷里と同じ島根県益田市育ち。
4人兄弟姉妹の次男坊で兄は、ゴルフ用品のネット販売で業界首位の実績をもつ
潟潟Aルマックスの青松勇介さん。ご両親を含めて一家揃っての起業家だ。

「勉強もスポーツも苦手。まるで『のび太』だった」という。
農業高校卒業後、大阪の銀行(信用金庫)に就職した。平成元年、バブル全盛期。
貸付係を経て19歳で外回りを担当。「将来、自分も社長に」と夢見た。
「成功する社長は仕事好きで従業員を大切にする。
消える会社の社長は40歳前後で引退してハワイに住みたがる。決算書が読めない。
キャッシュフローでお金があれば潰れないが、自己資本を貯めないであるものを
全部使ってしまう傾向がある」など、シビアに分析した。

しかし、銀行では業績ビリのダメ社員。営業職は向いておらず、わずか3年半で退職。
次に勤めた人材派遣会社の営業職もすぐにギブアップ。
ただ、バブル全盛時代に金融機関にいたことはものすごく勉強になった。
「思えば21歳までは成功体験なしの人生。そんな中、妻と職場結婚できたことが唯一の成功体験でした。
この人を不幸にしてはいけない。初めてスイッチが入りました」という。

青松さんの潜在能力に火が付いたのは、3回目に勤めた創業間もない通販のベンチャー企業。
アイデアマンの社長が次々に打ち出す無理難題の要求に挑戦した。
誰よりも早く出社して誰よりも遅くまで働いた。
50人の部下の中で最年少。「有能な社員が大勢いましたが、超ハードな職場で
私だけが楽しみながら仕事をしていたと思う」。

1、2年目は失敗続きだったが3年目に成長した。
「失敗が経験になる。3年続けると自信になる。これが一番根っこの経験」。
「やったことないことしか、やらない」。それが青松さんの信条なった。

1999年、国庫金を借り布施駅前で奥さんと漫画喫茶を開業した。
当初、月商は60万円ほど。経費を差し引くと20万円しか残らない。
そこで考え付いたのが不要本のネット販売。
1冊100円の中古本が、セットしてシリーズ本として売れば300〜500円になる。
足りない本をブックオフで買い集め、ネットで売ると売上も荒利も店舗を上回った。
もっと効率よくできるビジネスはないかとスタートしたのが
「やったことない」新品時計のネット販売。
7000円で仕入れた腕時計セイコー・ファイブ4本をヤフー・オークションで販売。
その売上でパソコンソフトを買って本格的にネット販売を開始。潟uルークを設立した。

それから16年。「PLではなくBSを核にした数字経営と、数字の見える化」に取り組み、
新品時計のネット販売では日本一の実績を誇る。
2008年に掲げた
「2025年に自己資本30億円。Eコマースを中心としてブラント販売し、
世界一の会社をつくっていく」というビジョンに向かって着実に邁進中だ。

一方「失敗は誰にも負けないくらい多い」という。「失敗の塊になってここに立っている」とも。
一昨年には立ち上げた事業の大半が全滅した。
幹部の大半が辞めてしまったこともある。
「後ろをみたら誰もついて来ていなかった。理念が浸透していなかったのです」。
その理念のキーワードは、「感動」と「成長」。
お客様に利益と感動を届けするためには、社員の自己成長が欠かせない。
「経営者は社員に自己成長のチャンスと環境を用意すること。いい社長になってはいけない、
社員が困難を乗り越えるようになってもらうほうがいい」。
その理念に共感する社員しか採用しない。

まさに「やってみた」人、「カタチを変え」「新しいメシのタネを創ってきた」起業家だ。
私とも共通点が多いが、その最たるものは学校の勉強をしていないということ。
それでも、青松さんはスケールの大きなすばらしい起業家になった。
なぜか。それは「やったことのないこと」を「やってみた」からだ。

「ビジネスは川の流れに乗る」
「ハートがバクバクするほど没頭している時に成功する。半新半疑では成功しない」
「自分をワクワクさせる、自分に電流を与えるような刺激が好き」
語録ができそうなくらい、その言葉にはエネルギーに満ち溢れている。
質問タイムでは、青松さんの成功の秘訣やパワーの源を探ろうと質問が相次いだ。
会場全体にプラス思考の空気が満ち溢れた。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「やったことないことしか、やったことかない」という言葉が印象に残った。「やったことない人のほうが成長する」「やったことある人は先入観に縛られてしまう」。新鮮な考え方だったが納得できた。
・ 消える社長の共通点として「決算書が読めない」「40歳前半で仕事を辞めてハワイで暮らしたいと考えている」。質問時の「妻は自分の鏡」も勉強になりました。
・ 「もし自分が時計やの息子だったら先入観の塊でうまくいかなかったと思う」「人の成長にはBSが必要」。とても勉強になった。
・ 「ビジネスは川の流れに乗る」「没頭している時に成功する」「自分をワクワクさせる、自分に電流を与えるような刺激が好き」。素敵な言葉に出会えました。
・ どかんなに大変でも辛くて苦しくてもやり切った先には必ず成果が残る。ビジョンが明確でないとできないと気付きました。
・ やる気とエネルギーのある方は数字にコミットしていると感じた。売上ばかり見ていましたが利益を見るようにします。
・ あっという間の時間。青松さんの話の内容は手の届かないことばかり。でも、自分でもできるように感じた。
・ 自分の回りにプラスの刺激を与えてくれる仲間に身を奥ことが大切だと学んだ。
・ 考えているようで実は先入観の塊ではなかったか? 自らに問いかけました。とても面白かった。
・ やったことないことをすることで成功できる。理念を共感する人のみ採用する。川の流れに乗る。青松さんの堂々と語る姿、自信に満ちてかっこよかった。
・ 常にアンテナを張り刺激を受けているつもりでしたが、もっと繊細にやること、数字につなげていかなければと思いました。
・ 現状に満足しない。自分に刺激を与え続ける。これがとても大切だと気付いた。
・ 「1年目、2年目は失敗しても3年目は成功する」「いい社長ではなってはいけない、社員が困難を乗り越えるようになってもらうほうがいい」「良き友人をつくる」「家族を幸せにしないといけない」「数字を出す」「川の流れに乗る」等々、いい言葉をいただきました。
・ 木村会長の「うまくいけばお金が儲かる。失敗しても経験が儲かる。何もしないのが一番損」。頭に刻みました。
・ 固定観念をリセットし、経営者としてもっともっと学び大きな志を持ちたいと思った。
・ 「やったことないことにチャレンジする人が成功する」「できる範囲を考えない」。自分に欠けている2点。気付きを与えていただきました。失敗を恐れずチャレンジします。
・ 「成長の角度が幸せのバロメーター」「自分より大きな会社の経営者と付き合って悔しいという刺激を受ける」という青松さんのモチベーションに感銘を受けた。

2016年09月03日

No.1738 広島木村塾 第5 期 第2回セミナー開催

8月25日。広島木村塾が福路町交流プラザで開催された。
定期開催としては今回が最終回だ。
昼をはさんで午前と午後、いつものように水野・川野両塾長のご案内で、
市内にある2社を訪問。BSビジョン策定のお手伝いをさせていただいた。

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19時からのセミナー。
ラストというので東京から駆け付けた竹内社長を交えて、
「BS経営」のツボをお伝えすると共に、
ゲストスピーカーとして広島に本社がある株式会社G-net
代表取締役の本多正治さんを迎えて起業家精神を学んだ。

本多さんは1971年、兵庫県生まれの45歳。
10年間サラリーマンを経て、未経験の教育分野に進出、
学習塾大手のフランチャイズになり広島県内に9教室を展開している。

さらにグローバル化に対応し、4年前にフィリピン・セブ島に滞在型の英会話学校
「ファーストイングリッシュ・グローバルカレッジ」を建設、留学事業を始めた。
この事業を始めたきっかけは、少子化だ。
学習塾経営だけでは先細りするという危機感が新たな道を拓いた。

英語学校は北米や豪州にもあるが、学費が高額な上に現地では日本人同士で固まり、
アルバイトに明け暮れるなどでなかなか成果が上がらない。
本多さんは世界中を旅し、セブ島でのマンツーマン・システムによる英会話学習を思い立った。
アジアの英語圏の中では特に英語のレベルが高いといわれるフィリピン。
その中でもセブ島は物価や人件費が安いうえに治安もいい。
ここならリーズナブルな料金で質の高い英会話留学が可能になる。

狙いは的中し、開業から1年未満で黒字化に成功。
需要は右肩上がりで伸び、セブに続いてシンガポール、香港、上海にも学校を開く予定だ。
2031年には大学設立のビジョンを描く。

起業家とは「カタチを変えて、メシのタネをつくる」人。
本多さんの場合は、この要素に加えて熱意と情熱、
失敗を恐れないチャレンジ精神が不可能を可能にした。
セミナーでは、24年後の2036年をゴールに見据えた壮大なBSビジョンを発表した。
このとき本多さんは65歳になる。

BS経営は、売上よりも自己資本をしっかり殖やして
盤石のBS(バランスシート)をつくる経営だ。
そのためには税金もしっかり払わなければならないが、
いいBSをつくれば銀行や投資家はもちろん「社会」を味方に付けて
ステージがどんどん上がっていく。
そして、上に行くほど競争相手が少なく、加速度がつく。

BS経営を実践する本多さんの会社G-netは、自己資本額1000万円から現在1億円になり、
2023年には10億という数字を射程圏に見据える。
セミナーでは企業訪問先のY社長とU社長も登壇、10年後のビジョンを力強く宣言された。

まずは5年先、10年先のビッグなBSビジョンを描いて公言することだ。
口にすれば思考回路が変わり行動が変わる。
トップの行動が変われば社員も変わって会社が変わる。
BS経営は人財育成の経営でもある。

広島木村塾も定期開催は今回が最後。
5年間に渡ってご尽力いただいた水野和子・川野登美子両塾長、
司会役の重道泰造さんをはじめスタッフの皆さん、
ご参加くださった皆さんに心から感謝申し上げたい。

企業訪問と連動した参加型の実践セミナーは全国に広がり、
広島でもたくさんの会社を訪問させていただいた。
この数年間に「自己資本1億円」をクリアした会社が続々誕生している。

皆さんも明日からといわず、今日から初めてほしい。
あれこれ考えるより、まずやってみる。バンバン公言して行動することだ。
みんなできる。
誰でもできる。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 泣けるほどBSの大事さが理解できました!! ありがとうございました。
・ 具体的な数字、それはBSで表現して社員に伝えなければならないことを学びました。
・ 「チャンスはいくらでもある」「大きな逆起用は大きなチャンス」「BS経営で業績が伸びる」。木村会長の言葉を聞くといいつも元気をいっぱいもらえます。
・ 3社長の決意表明を聞いて勇気をもらった。売上至上主義に走っていた自分にとっていい勉強をさせていただいた。
・ 経営上手し話し上手。部分的ではなく全体を見ながら話すので的を外さず迷わない。
・ BS経営は、BS(数字)ビジョン)と経営(言葉)ビジョンの両輪が大切だと痛感した。
・ 人財育成、利益を出す体質について等々、日々悩むばかりです。挫けそうなとき仲間の皆さんの頑張りを聞いて元気をもらいます。BS社員、育てます!
・ 本多氏のグローバルな経営、明るい人柄に好感を持ちました。とても前向きです。勉強になりました。
・ 素晴らしい木村塾ありがとうございました。まだまだ続けて欲しいです。
・ 5年間広島に来て下さり感謝しています。木村会長、竹内社長いつまでも尊敬しています。

2016年09月02日

No.1737 木村塾パワーアップセミナー「本物は続く、続けると本物になる」

8月23日 大阪市北区にある手品家梅田店で第1084回パワーアップセミナーを開催。
今回のテーマは「本物は続く、続けると本物になる」。

これは私が常日頃から好んで使うフレーズだが、このテーマを含めて
予め門浦さんが用意した3本のテーマの中から皆さんに挙手していただき、
「一番票が少なかった」ものだ。
意表を突いたテーマ選びだったにもかかわらず、皆さん我先にと果敢に発表された。

今回は私が益田木村塾で出張中のため、主催者の門浦さんのレポートでお伝えする。

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「本物は続く、続けると本物になる」。では「本物とは?」
そんな自問自答から始まり、「継続」「ビジョン」「世の中に必要とされているか」
といったキーワーズが飛び交った。

最初から本物というものはなく、継続することで周りから評価され、必要とされる。
ただ、単純に継続したら良い、ということではなく
ビジョンがあるか、常に考えているか、努力をしているか。
それにより、サポートあったり、経験値が増えて成長したりして本物になる。
そして本物にはさらに人脈が集まり、磨きがかかって続いていく。
概ねそんな意見に着地した。

「継続する、だけでもダメだし、ビジョンがある、というだけでもダメ。
ビジョン・マインド・行動が伴って始めて本物になっていくのではないか。
本物というのは、飽くなき精神で常に最高を目指していく状態。
そういうことを言うのではないか」
私に代わって門浦さんが、このようにまとめてくれた。

最後にスピーチに関して浅田先生から次のようなワンポイントアドバイスがあった。

・聴き手が複数でも人の目を見て話す。目を合わせないのは自信のない証拠。
・声がしっかり届いているか、声の確認をする。
・文末は曖昧にしないで「〜です」「〜します」と最後まできちんと話す。

レポートを読んで私もあらためて勉強になった。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 本物になるには本物のマネをする、本物に尋ねるところから始まって、感謝の気持ちを忘れない。自分を追い込んでもっと逆境に身を置かないと本気になれないと痛感します。
・ 本気で自分を磨き続けると決めました、感謝の気持ちを忘れず、しっかり自分の目標をもち意識して続けていきます。
・ 「本物とは自分以外の人に認められること」。本物であると周りのサポートが得られ、続けられる。本気で続けると信頼関係が形成され人脈が生まれて本物になれる!
・ 「本物は続く。続くと本物になる」「成長とは?」「人脈とは?」選ばれなかった2つのテーマを含めてそれぞれが関係するテーマだった。続けることにより成長が実感でき、なお続けると本物になる。習慣化することで多くの人脈にもつながる。
・ 初めてのプレゼンテーション。とても緊張しました。アドリブで発表しましたが、浅田先生からのフィードバックは勉強になりました。「続けると本物になる」。これを頭に刻んで仕事をしようと思います。
・ 考えたこともないことを一生懸命に考えられたことがよかった。これを機に自分の理想とする「本物」に近づくよう意識したい。
・ 一番票の少ないテーマに決まり! これは新鮮でした。テーマによっては本当にきついな、と思うのですが、それもまた枠を広げるいい経験になります。

2016年09月01日

No.1736 2016年8月度 実践目標の進捗報告

まだまだ厳しい暑さが残るが、もう9月。
皆さんにはいかがお過ごしでしょうか。

私はといえば、先月は76回目の誕生日を迎えたが、お蔭さまで夏バテもせず
実践目標に向かって着実に数字を積み重ねることができた。
とくにフロア昇り(階段で昇ったフロア)が好調だ。

ちなみに先月の1日平均は110階。
最近では「1日100フロア越え」がすっかり定着して習慣化している。
最初こそ結構きつかったが、続けると習慣になり、苦痛でも何でもなくなる。
そもそもフロア昇りは、
ドクターストップがかかって中止したスポーツクラブでの筋トレの代わりに始めたものだが、
この歳で新たな健康づくりの習慣をつくることができ、大きな自信になっている。

また、お盆過ぎには家内と4泊5日でロシアの湾岸都市、ウラジオストクを旅した。
新潟空港から飛行機でハバロフスクを経由し、
そこからウラジオストクまでシベリア鉄道で行く10時間の列車旅。
シベリア鉄道は以前、ヨーロッパを旅した時にも乗ったが、ロシア横断は初めてだ。

奇しくも明日、安倍首相がプーチン大統領と日露首脳会談のために訪れるウラジオストク。
かつては軍港として日本人のシベリア抑留の舞台にもなった都市でもある。
1991年までは外国人は入れなかったが、現在は企業進出も進み、
アジアとロシアを結ぶ重要な都市へと発展しつつある。

日本人は少ないが、親日的で現地を走っているクルマの99%が日本製だと知って驚いた。
クルマだけではない、商店も少なく、
ここでビジネスを始めたら業種を問わず繁盛するだろう。
飯のタネは、ここにも転がっている。

百聞は一見に如かず。いや、百見は一行に如かず。
「やってみなわからん」。
地球は狭くなったが、まだまだ未知なる世界がいっぱいある。

生ある限り、新しい空気に触れていつもワクワクドキドキしたいと思う。

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☆では、私の8月度実践報告を

・減量、減塩、断酒
・万歩計324/500万歩
・ヘルスケア、フロア階(1フロア3m換算)18,277/20,000階
・登山8/20回

・読書75/30冊
・英会話44/50回
・写経4600/4500枚(累計)

・大阪木村塾受講生 946/1800名

・益田市活性化への
「第一回マジックフェスティバル」
「デザイン思考講座」

 

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