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2016年09月21日

No.1741 木村塾やってみよう会9月度例会@

9月13日、大阪市北区の手品家梅田店にて第93回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「我が人生を語る」は名古屋に本社があるidG株式会社 代表取締役の奥村昇平さん。
グラフィックデザイン制作を核として大学生の就職支援を行う。

座右の銘は高杉晋作の名言「おもしろき こともなき世を おもしろく」。
「人生をもっともっと楽しく」がモットーだ。
これまで37年間の人生を「大学卒業まで」「苦難のサラリーマン時代」「新米経営者として」
の3つに区切り棚卸した。

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1979年、滋賀県生まれ。長男の一人っ子。
調理師の父親は交友関係が広く、家の中はいつも客人であふれかえっていたという。
自身も学童期から率先して学級委員や生徒会長、キャプテンなどを引き受けた。
「そんな生徒会活動が内申点を底上げして」進学校の高校に入学。

部活では中学時代に続いて野球部に所属した。
しかし、ここでも「4番を期待されながらも万年補欠」。
自ら名乗り出て応援団長になった。
高校野球大会は1回戦で敗退したが、応援ぶりが目立って取材を受けテレビに出た。
部活引退後に挑んだ学園祭では、校長先生に「浪人しても学祭を盛り上げます」と宣言。
その言葉通り、大学祭は大成功だったが、大学受験に失敗。予備校に通った。

予備校時代も他府県から来た友達がたくさんでき、みんなでカラオケ店に通った。
夏期講習会で出会った女子高校生に告白して撃沈。
「勉強することから逃げていた」と振り返る。

1浪で龍谷大学に入学。大学時代は「サークルとコンパの両立を果たした」。
仲間と野球クラブチームをつくろうということになり資金集めに奔走した。
そのクラブは地域の子供たちを巻き込み、現在100名規模のクラブチームになっている。
実家ではご両親が石山(滋賀県)で飲食店を開業。
そこでアルバイトをしながら商売のイロハを学んだ。

将来の夢もビジョンも見えないまま就活に突入した。
就職できたのは、奥村さん自身が悩んでいたからかもしれない。
きっかけはパソコンに送られてきた「就活生のお手伝いをしませんか」という1通のEメール。
発信したジェイ・ブロードは新卒大学生と企業を結んで就職を支援する企業だ。
説明会に参加すると「この人たちと仕事がしたい」と熱くなった。
内定もこの1社のみ。「拾ってくれたジェイ・ブロードには感謝しかない」と話す。

社会人元年の2003年。「山あり谷あり仲間あり。苦難の10年」が始まった。
5時起床、滋賀の家から大阪の会社に出社し、帰宅すると2時。3時間睡眠で鼻血が続いた。
2年目には新規開拓のため名古屋支社が開設。
「新しいチャンス! 行きたい」。自ら手を挙げた。

行ってみると6畳1間の職場。「テンションだだ下がり」だったが
敏腕上司の元、売上目標5000万円に向かって粛々と仕事をした。
クライアント企業の課題を聞きオリジナル提案を続けると売上は順調に伸びた。
愛知万博とトヨタバブル、中部国際空港の開港が追い風となった。

売上は1億円から2億円に、2007年には3億円を達成。
名古屋支社は会社の中で一番元気な支社になった。
社員は11人になり、奥村さんは支社長になっていた。
しかし、2009年リーマンショックが会社を襲う。同業者も増えて業績は悪化の一途。
事業縮小で職場仲間の相次ぐ退職。
しかも、私生活では交際していた彼女と結婚を前にしての突如の破談…。
絶不調から救ってくれたのは「この世は男以外、皆女や」という人生の先輩の言葉。

再起を図り挑んだ東海地区の国立大学と企業を結ぶ大型のイベントコンペ案件で勝利し
それを機にV字回復を果たした。
奥村さんは34歳になっていた。
独立したい気持ちがふつふつと沸いてきた。
しかし、大阪営業部への異動の辞令が。大阪は8期連続赤字だった。
迷ったが「大阪を立て直すのはあんたしかいないのでは?」という母親の言葉に
背中を押され、「1年で黒字化して独立する」と決意した。

奥村さんが木村塾のセミナーに来られたのも、この頃だ。
実は「大阪木村塾やってみよう会」の主催者、門浦さんと奥村さんは
ジェイ・ブロード時代の同僚。
「より以上の成長を目指す人たちに出会って自分も起業家になろうと強く思った」
と話す。

大阪営業部に戻った奥村さんは決意の通り1年で黒字化を果たし、退職。
2016年4月、資本金450万円の会社を引き継いで今のidGを立ち上げた。
役員4人の役員を含めて社員6名。現在、自己資本は250万円。
普段は栗東市(滋賀)で在宅勤務し、名古屋の会社と関西を往来する。

「10年間のサラリーマン生活で毎年決算書と睨めっこして、
次の期になるたびにゼロになる売上やPL(損益計算書)に耐えられなかった。
これからはBS(バランスシート)に注視して、自己資本を殖やします」。
そう語る奥村さんは、10年後のビジョンとして「社員10名、自己資本1億円」を掲げる。

「人が仕事をつくり、仕事が人を育てる」
「数多くの出会いと別れを経験した中で今、私があるのは出会えた人のおかげ。
一時一時、本気になれたからこそ楽しかった。これからも未来に馳せて
仲間を大切にして人生、頑張っていこうと思います」
社会人14年目の新米起業家は、こう言い切った。

ちなみに、自己資本は会社の貯金だ。
個人の貯金と違って企業の自己資本を貯めるには「税金川」を渡らなれればならない。
10年間で250万円をいきなり1億円にするのはあまりにも非現実的だ。
役員さんが4人いるなら、1人1000万円で4000万円。これを目標としてはどうだろう。
自己資本4000万円を実現すれば、銀行から4億円の資金を引き出せる。
そのためにもBSビジョンを公言し、幹部社員共有することが大切だ。

起業家とは変化をチャンスにする人だ。
一番いい変化は向こうからやってくる逆境だが、自ら変化を起こす人にもチャンスが訪れる。
大きなビジョンを持つことは、大きな逆境を自ら課することになる。
自ら変化を起こす奥村さんの未来には、大きなチャンスが待ち構えている。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「人が仕事を創り、仕事が人を成長させる」私もそういう想いで毎日働いています。すごく共感できます。10年後のビジョンもぜひ叶えてください。
・ 経営していくまでに何か必要か。ぜんぜん知らなかったのでやっと理解できた。
・ 「経営者は極端な見方をする」。高い目標でやってみるともっと奥村さんの可能性が出ると思いました。お互いやっていきましょう。
・ 大勢の人をまとめ、人の上に立てる素晴らしいものをお持ちの奥村さん。まじめで素直な方なので多くの人に信頼され、力を貸して頂けるのでしょう。
・ 私も自分自身の棚卸をしよう! 結婚も頑張ろうと元気をいただきました。
・ 自分の人生も3つに分けてみたらどうなるんだろう? 考えてみたいと思いました。
・ 真剣に自分の人生と向き合った人生の棚卸。包み隠さずさらけ出しての発表に引き込まれました。



 

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